作風は決して派手では無い。否、寧ろ地味な方だろう。唯、丁寧に編み上げられたストーリーが実に魅力的で、一旦読み始めると一気にその世界に引き込まれてしまう。個人的には大好きな作家なのだが、社会的な評価が今一つなのがもどかしくて堪らない。一昔前の東野圭吾氏もそうだったが、今回取り上げる今邑彩(いまむら・あや)女史もそんな一人だと思う。
彼女の処女作「卍の殺人」を読んだのが、最初の出逢いだった。今から15年程前の話だ。正直言って、この作品にはそれ程高い評価を与えられなかったのだが、何か気になる作風では在った。その後、彼女の作品が出る度に読破して行ったのだが、自分を惹き付ける”何か”が確実に増して行った。彼女の作風を語る時しばしば使われるのが、「ホラー・ミステリー」という呼称。確かに初期の頃の作品には、そういった雰囲気が漂うものが少なくなかったが、でも単なるおどろおどろしいだけのものでは無かった。読後に漂う哀愁が、東野氏の作風と似通っていた様にも思う。
そして、8年前に出版された「大蛇伝説殺人事件」からは、神話や神道といった宗教的なモノを軸にした作品が増えて来た。「宗教的なモノを軸にした作品」と書くと、敬遠してしまう人も少なくないかもしれないが、無宗教を自負している自分ですら読み耽ってしまう程、宗教的な事柄が純粋な知識として盛り込まれており、それが又作品に良い意味で深みを増させていた。
今回読破した「いつもの朝に」は、彼女の3年ぶりの新作。ずっと新作を心待ちにしていたが、こうも長く出版されない状態が続いていた事で、「もしかしたら、作家活動を辞めてしまったのだろうか?」という思いも湧いていた。あとがきを読むと、バセドー氏病を患われ、一時期は2週間で体重が20kg以上も減る等、ずっと闘病生活を送られていたとの事。大好きな作家なので、何とか病状が好転し、これからも素晴らしい作品を生み出して貰いたいと願うばかりで在る。
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容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と、絵に描いた様に完璧な兄。そして、そんな兄とは正反対に、何をやらせても落ちこぼれの弟。二人は或るきっかけで、恐ろしい出生の秘密を知ってしまう。
画家で在る母が描く顔の無い少年の絵は何を意味しているのか?いびつな兄弟と30年前の凄惨な事件の関係は?全てを覆し得る、出生の秘密。本当のユダは誰だ?現代を生きるカインとアベルの物語。
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キリスト教をモチーフにしているが、上記した「大蛇伝説殺人事件」等と比べると、宗教的な描写は薄いだろう。何よりも、対照的な兄弟の心の揺れ、心理描写が実に絶妙で、時には兄に、そして或る時には弟にと、嫌悪感に似た思いが微妙に移り変わって行く自分が居た。
「犯罪者になるのは遺伝か?それとも環境か?」人によっては、「余りにも短絡的で危険な捉え方だ。」と指摘するで在ろう表現も、「こういった二元論的な発想及び問い掛けは危険で在ると私も考えております。ですが、虚構を組み立てる作業の上で、テーマを際立たせる為に、こうした単純化も必要で在ったという事情を御理解下さい。」と作者があとがきで書いている様に、この作品のテーマをより印象付ける意味で避けられないものだったと自分も思う。
後半以降は読んでいて、目頭が何度も熱くなった。特に、最終章で描かれた”哀しみの中での光”には、感動という言葉を使うのも陳腐な程に、心が激しく揺さぶられた。彼女のこれ迄の作品の中では、間違いなくダントツの出来と断言したい。それだけではなく、今年読んだ小説の中では、一番感動した作品だった。星4つの評価としたい。
彼女の処女作「卍の殺人」を読んだのが、最初の出逢いだった。今から15年程前の話だ。正直言って、この作品にはそれ程高い評価を与えられなかったのだが、何か気になる作風では在った。その後、彼女の作品が出る度に読破して行ったのだが、自分を惹き付ける”何か”が確実に増して行った。彼女の作風を語る時しばしば使われるのが、「ホラー・ミステリー」という呼称。確かに初期の頃の作品には、そういった雰囲気が漂うものが少なくなかったが、でも単なるおどろおどろしいだけのものでは無かった。読後に漂う哀愁が、東野氏の作風と似通っていた様にも思う。
そして、8年前に出版された「大蛇伝説殺人事件」からは、神話や神道といった宗教的なモノを軸にした作品が増えて来た。「宗教的なモノを軸にした作品」と書くと、敬遠してしまう人も少なくないかもしれないが、無宗教を自負している自分ですら読み耽ってしまう程、宗教的な事柄が純粋な知識として盛り込まれており、それが又作品に良い意味で深みを増させていた。
今回読破した「いつもの朝に」は、彼女の3年ぶりの新作。ずっと新作を心待ちにしていたが、こうも長く出版されない状態が続いていた事で、「もしかしたら、作家活動を辞めてしまったのだろうか?」という思いも湧いていた。あとがきを読むと、バセドー氏病を患われ、一時期は2週間で体重が20kg以上も減る等、ずっと闘病生活を送られていたとの事。大好きな作家なので、何とか病状が好転し、これからも素晴らしい作品を生み出して貰いたいと願うばかりで在る。
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容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と、絵に描いた様に完璧な兄。そして、そんな兄とは正反対に、何をやらせても落ちこぼれの弟。二人は或るきっかけで、恐ろしい出生の秘密を知ってしまう。
画家で在る母が描く顔の無い少年の絵は何を意味しているのか?いびつな兄弟と30年前の凄惨な事件の関係は?全てを覆し得る、出生の秘密。本当のユダは誰だ?現代を生きるカインとアベルの物語。
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キリスト教をモチーフにしているが、上記した「大蛇伝説殺人事件」等と比べると、宗教的な描写は薄いだろう。何よりも、対照的な兄弟の心の揺れ、心理描写が実に絶妙で、時には兄に、そして或る時には弟にと、嫌悪感に似た思いが微妙に移り変わって行く自分が居た。
「犯罪者になるのは遺伝か?それとも環境か?」人によっては、「余りにも短絡的で危険な捉え方だ。」と指摘するで在ろう表現も、「こういった二元論的な発想及び問い掛けは危険で在ると私も考えております。ですが、虚構を組み立てる作業の上で、テーマを際立たせる為に、こうした単純化も必要で在ったという事情を御理解下さい。」と作者があとがきで書いている様に、この作品のテーマをより印象付ける意味で避けられないものだったと自分も思う。
後半以降は読んでいて、目頭が何度も熱くなった。特に、最終章で描かれた”哀しみの中での光”には、感動という言葉を使うのも陳腐な程に、心が激しく揺さぶられた。彼女のこれ迄の作品の中では、間違いなくダントツの出来と断言したい。それだけではなく、今年読んだ小説の中では、一番感動した作品だった。星4つの評価としたい。

環境のほうは絶対ある!と思うんですが、遺伝はどうかなあ~。。強悪犯(サイコパス)には脳の断面図に特徴があるというのは聞いたことがあります。これは公には言えないタブーだとか。
遺伝でも環境でもない、原因なき殺人者・・にこっと微笑みながら、握手するように人を殺める青年を描いた「ボーダーライン」東野圭吾、こちらも印象に残る作品でしたよ。父親の苦悩・・自分がそんな子どもを持ってしまったら・・
かなり前に、何の犯罪だっけ?(あまりにも残虐な犯罪が多いので忘れてしまったけど・・)
鴻池大臣が「少年の両親にもこんなふうに育ててしまった責任がある。市内引き回しの刑にすべきだ」とか述べてましたよね。
ボーダーラインの父親を思い出しました。
評価を星4つとしましたが、本当は4.5としても良いかなと思った程。哀しいかな作者の知名度が高くは無いので、この本が書評で取り上げられているのも目にしないのですが、密かに何等かの文学賞を獲得して欲しいと願っております。その事によって、今邑女史の作品を読もうと思ってくれる方が増えると嬉しいなと^^。
「ボーダーライン」は東野圭吾氏ではなく、真保裕一氏ではなかったでしょうか?知り合いから「読み応えの在る作品。」と薦められたので、記憶に残っているのですが(^o^;;;。
少年による凶悪犯罪が起こり、加害者の親達が被害者及びその家族を更に苦しめる様な言動を為す。そんな度に、加害者だけではなく、そういった人間を育ててしまった親にも責任が在るのではないかと、しばしば思ってしまいます。
この二人、時々似たテーマで同じくらいに本出したりする。おまけに、真保裕一も東野圭吾も読みまくっているから、ええと~どっちだっけ?とまちがえることがあるんです。笑。
「繋がれた明日」と、「手紙」もテーマが似た感じ。
2冊続けて読んだんですが・・なかなか興味深いです。なるほど~。こっちはこういう手法で行くかあ~~とかね。
「繋がれた明日」のほうは、最近NHKの土曜ドラマになってましたが、わたしは、本としては「手紙」のほうが良かったです・・
お二人ともうまいですね。(*^。^*)
夏休みに父からの紹介でこの本を読んで宿題の読書感想文を書きました。私が今まで読んだ本の中で一番感動しました。特に廃墟のシーンでは泣きそうになりました。
この作者は亡くなったそうですね、とても残念です。
長い夏休みが終わり、新学期が始まっての1週間、心身共に“学校モード”に切り替わりましたでしょうか?出来の悪かった自分なんぞは、学生時代、夏休みが終わるのが本当に嫌でした。夏休みの残り日数を毎日数え、残り日数が数日になると、「夏休みも、残り○○時間かあ・・・。」と、「日数」を「時間」に置き換え、憂鬱感を増させていた様なアホな子でしたので。
で、読書感想文に「いつもの朝に」を選ばれたのですね。「今迄読まれた本の中で、一番感動された。」というのは、今邑作品が大好きな自分にとって、凄く嬉しかったです。
元記事にも書きましたが、東野圭吾氏同様に、今邑彩さんはブレークする迄に時間が掛かったタイプの作家でした。東野氏の場合は、其の作品の映像化によって、多くに知られる存在になった感じですが、今邑さんの場合は、全国の書店員の間から「此の作品は面白い。」という声が上がり始め、其れで広く知られる様になった感じ。
でも、漸く多くに知られる存在になった所で、若くして御亡くなりになられたのは、ファンとして非常に残念。元々“寡作”(かさく-「生み出された作品が少ない。」という意味。)の作家でしたので、「もっともっと多くの作品が読みたかった・・・。」と、今でも悔しいです。