ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

効率化の流れの中で

2007年06月09日 | 其の他
双子の長寿姉妹だった成田きんさん&蟹江ぎんさん。確かきんさんに対してだったと思うが、インタヴュアーが「これ迄生きて来られた中で、最も哀しかった出来事は?」と質問した所、「子供を亡くした事だねえ。あの哀しさは今でも忘れていない。」と答えておられた。我が子を幼くして失ってしまった哀しみが、100歳を超えた今でも忘れられないという彼女の発言にグッと来る物が在った。自分も学生時代に父親を病気で亡くしているので理解出来るが、大事な人を失った哀しみは徐々に和らいで行く事は在っても、100%消え去る事は絶対に無いのだ。

今年の1月、最愛の御嬢さんを交通事故で失ってしまった風見しんご氏。その哀しみが、どれ程深いものかは想像に難くない。そんな彼が自身のブログで、「『えみる』は削除されたの!?」という記事を書かれている。leaf様のブログ「yohyo大好き!」で9ヶ月程前にアップされた記事「新聞の掲載記事について」と併せて、読んで戴けたらと思う。

業務の効率化アップは重要な事なれど、効率化を推し進める中で当事者達に更なる哀しみを与えてしまっているとしたら、正直遣り切れない思いが在る。風見氏が書かれている様に、戸籍からの”削除”を原則的に行うにしても、削除を望まない人達に対して”残す”という思い遣りの選択肢が在っても良い様に思う。「余計な選択肢を増やす事で、煩雑さやミスを生み出す可能性が増す。」というので在れば別だが・・・。

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4 コメント

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なんとも言えないけど・・・ (アラメイン伯)
2007-06-09 22:51:08
戸籍は担当したことがありませんので詳しくないのですが、まったく削除してしまうことはないと思います。っていうかそんなことしたら現行の制度では困ることがあります。
えみるちゃんは子供だから直接は関係ないけど。ある人の資産の相続登記ができてない場合、何代もさかのぼって戸籍謄本を頼りに相続登記しなければいけません。なければ困ります。

もっとも戸籍の制度があるのは日本くらいで韓国に似たようなのがある程度。
こういう制度が必要かどうかというのは議論が必要ですね。
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>アラメイン伯様 (giants-55)
2007-06-10 00:06:09
書き込み有難う御座いました。

leaf様の記事「新聞の掲載記事について」(http://blog.so-net.ne.jp/leaf_20020403-20041002/archive/20060907)の情報によりますと、除籍された人の証明が必要な場合は「平成改正原戸籍」なる書類を入手すれば良いとの事です。この平成改正原戸籍とは、要するに従来の戸籍という事の様ですが、これも戸籍法が改正されてより100年間は保存する事になっているのですが、その後に関しては焼却されるのだとか。ですから厳密に言えば「削除→全く消滅」という事では無いものの、あくまでも期限付きで保存という事の様です。

100年という期間をどう捉えるかによって、その捉え方は人それぞれになるでしょうね。業務の効率化はバンバン図るに越した事は無いものの、一寸この件に関しては複雑な思いが少なからず在ります・・・。
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子供は自分の体の一部なので失った記憶は決して消えないでしょうね (マヌケ)
2007-06-10 00:50:31
効率化ってなんでしょね。 業務の効率化という言葉もゆとり教育のゆとりも何度も聴く言葉ですね。 ゆとりとはある意味無駄でもあると思います。 人生に無駄は必要なことで無駄がないとつまらないし、結局は無駄だったかもしれなくても無駄じゃないんだ人生にとってはって、それがゆとりなのかなって。 ゆとりを切り詰めてしまうことが効率化かなとも思ったりします。 効率化とはある意味機械的で冷たい作業にも思えます。 みんなが迷惑するようなとんでもない無駄はそれこそ効率化によって退治されなくてはならないでしょうけど。 自分なんかどれほどの無駄やってきたことか知れません。 趣味なんか全部無駄遣いだし、無駄な努力とか、無駄な提案とか、やっても無駄だからやめとけと言われてもぶつかって、それでも懲りずにこんな年齢になっちゃいました。 テーマとかなりズレたコメントになってしまいました。 すみません。 交通事故で息子さんを亡くした社員の扶養手当を削除する端末作業は嫌な気持ちでした。 亡くなった日を確認して月額扶養手当×30分の○日の額を残し・・・という計算をしている自分が機械のようでした。 これも手続きかと思うとなんと言いますか、悲しかったです。 
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>マヌケ様 (giants-55)
2007-06-10 01:46:46
書き込み有難う御座いました。

何か新しい事を始めた場合、それによって生み出される好ましい物が在る一方で、何かを喪失してしまうというのはまま在る事ですよね。「無駄」という名の下にどんどん効率化を図って行き”過ぎる”と、社会から”潤い”が消えて行ってしまうという事も在りましょうし、その辺の匙加減が難しい所では在ります。

父の三周忌を執り行った際、父の会社の人と話す機会が在りました。その方は父の遺品(会社に置いてあった私物等。)を整理&送付して下さった方なのですが、「御父さんの遺品を整理するのは本当に辛かった。一つ一つの品物に御父さんがこの会社でずっと頑張って来られた”歴史”を感じてしまい、『御家族の為に必死で闘って来られたんだなあ。』と思ったら、自分自身の家族の事も同時に思い浮かべてしまい遣り切れなかった。」と・・・。
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