ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

老後

2016年11月20日 | 其の他

今飼っているは、2代目に当たる初代の犬は5年前、人間の年齢に置き換えると「90歳」前後という高齢で亡くなったのだが、彼からは色々な事を教わった。「“老いる”というのは、どういう事なのか?」というのも其の1つで、晩年、日に日に衰えて行く彼の姿を見て、「人間も、こういう感じで“死”に向かって行くんだな。」と、我が将来に重ね合わせた物だった。

 

初老”とは元々、「40歳」の異称なのだとか。そうなると、気持ち的には30代位の自分も、初老を遥かに超えた年齢という事になる。以前にも書いたけれど、良く飲んだりする5人の同級生を加えた6人の内、両親が共に健在なのは皆無。皆、割合早い段階で、片方の親を亡くしている。

 

そんな年齢の自分だが、此の1年位の間には、親戚内で“老後”という物を強く考えさせられる出来事が続出。「長く患っていた難病が悪化した叔母と、そんな彼女を老々介護する叔父。」、「原因不明の病で心身共に衰えてしまった伯父と、そんな彼をずっと介護する事でノイローゼ状態となってしまい、子供との関係も険悪になってしまった伯母。」、「摘出等、手術相次いだ叔母。」、「独り暮らしを続けたかったのに、『1人では心配だから。』という子供達の説得により、渋々高齢者施設に入った伯母。」等々。

 

個人的に一番ショックだったのは、高齢者施設に入った伯母の事。今の時代、そういうのは“普通”の事と頭では理解しているのだけれど、“身内”で高齢者施設に入る事になったのは初めてだったし、何よりも伯母には多くの子供が居り、「誰かが引き取る等して、高齢者施設には入る事なんか無いだろう。」と思っていたからだ。彼女を心配し、高齢者施設入りを薦め従兄弟達の気持ちは判らないでも無いけれど、心身共に元気で、尚且つ「一人暮らしを続けたい。」と言っていた伯母の気持ちを思うと、何とも複雑では在る。

 

上記した伯母達は、一般的に言えば“裕福”な暮らしをして来し、今も経済的には恵まれた方だと思う。でも、“経済的な豊かさ”が、必ずしも“精神的な豊かさ”とリンクしていないのは、彼女達の姿を見ていると良く判る。「真面目に働き続けていれば、少なくとも心豊かな老後が送れる。」、そんなになって行って欲しい。


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2 コメント

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難しい問題です (Kei)
2016-11-22 00:31:14
ご無沙汰しています。
うーん。これは難しい問題ですね。
伯母様がどんな状態なのか、実際に身内の方で傍で介護している人でないと、その苦労は分からないでしょうし、軽々しく「子供の誰かが引き取ればいいのに」とは言えないと思います。

私はこれまで、私の両親、家内の両親それぞれ介護しましたので、その経験に基づく私見を述べさせていただきます。
父は軽度の認知症、母はアルツハイマー症で、父は見た目は普通の人と変わらず、母の世話もソツなくこなしてて、親類や近所の人も頭はしっかりしていると皆思っていました。
ところがこれまで、車で買い物に出たきり何時間も帰って来ない事が2度ほどあって、その都度兄弟、親類が探し回り、やがて警察から保護しているという電話が入りました。40kmも先の町まで行って、あちこちぶち当てたようで、その賠償にも追われました。人を跳ねてたらと思うとゾッとします。
そんな事もあって、これは施設に入れないと無理だと思いました。幸か不幸か、施設を探す前に怪我が元で亡くなってしまいましたが。

こういう、軽度にしろ認知症を患うと、目が離せなくなります。以前新聞にも載りましたが、自宅で介護していた老人が、家族がちょっと目を離した間に家を出て列車に跳ねられ、鉄道会社から高額の賠償請求をされた事がありました。

老人を自宅介護する場合、よっぽど本人の頭と足腰がしっかりしてて、ほっといても全く問題がない場合を除いて、かなり難しいです。家族の誰かが常に家に居て、監視の目を光らせていないといけません。その結果、多分世話してる方は心身共にクタクタになってノイローゼになるでしょう。
私自身も一時入院中の父に付き添っていた時、動けないクセに「ワシはどこも悪くない。家に帰る!」と夜中に騒がれて寝られず、ヘトヘトになりました。

外から見たら心身共に元気そうに見えても、実際は軽い認知症で、家族から見たらとても一人にしておけない、という場合が多々あります。
また、実際に心身共に元気な方でも、歳を取ると運動神経が弱り、家の中で転倒し大怪我をする場合も結構あります。そんな時一人暮らしだと、助けを呼ぶ事も出来ないでしょう。
本人が「一人暮らしを続けたい」と言っても、上記のように家族から見れば一人にはしておけないと思えるケースが出て来ます。苦渋の決断を迫られる場合もあるでしょう。

昔は、三世代同居の大家族が普通でしたから、家族の誰か(孫たちでも)が交代で老人の世話をする事が可能でした。今は核家族化で別世帯が普通で、それも難しくなりました。
一概には言えませんが、伯母様のご家族の決断は、あるいは正しいのかも知れません。まあ他人が人の家にどうこう言えるものではありませんが。本当にこればかりは難しいものだとつくづく思います。
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>Kei様 (giants-55)
2016-11-22 01:32:59
書き込み有難う御座いました。

仮令親類で在っても、実際に其の家庭の中に入ってみないと、外からでは判らない部分で在るでしょうね。又、伯母を高齢者施設に入れる事にした従兄弟達の考えは理解出来る面が在るし、彼等の事を批判する気は全く無いんです。親戚でそういう施設に入った人が居なかったというのが在り、其れが余計にショックだったというのが一番大きいでしょうね。


そういう時代じゃ無いっていうのは頭で判っていても、子供の人数が多い世帯だったし、「誰かが一緒に住むんだろうな。」と薄ぼんやりと考えていた事も、今回の決断に対して「意外だったなあ。」と。

伯母が比較的元気で、頭の方も確りしているだけに、「そういう施設に入るにしても、未だ早いんじゃないかなあ。」という思いも在ります。まあ、此れは第三者だから勝手に言える事で、内情を知ると、違った面が在るのかもしれません。

世界に名立たる先進国の1つ“日本”で、どういう形にせよ“寂しい老後”を送らざるを得ない人達が少なく無いというのは、身内にせよ、そうじゃ無いにせよ、哀しい現実では在ります。少しでも多くの高齢者が、「此の国に生まれ、そして生きて来た事は、本当に幸せだった。」と思える国になって欲しいです。
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