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「動物食『残酷』の線引きは? ~フォアグラ弁当販売中止で考える~」(2月13日付け東京新聞【朝刊】)
大手コンビニ・ファミリーマートが、フォアグラ入り弁当の発売を中止した。一部の消費者から「残酷な食べ物」と指摘を受けた為だと言う。牛や豚等、飼育した動物を殺す行為の何処迄が残酷なのか。動物を食べる事に付いて考えた。
「苦情の件数の多寡では無く、御客様が不快感を覚える商品は出すべきでは無いという結論に達した。」。ファミリーマートの広報担当者は、弁当の販売を中止した理由を説明する。
同社は1月10日、高品質志向の「ファミマプレミアム黒毛和牛入りハンバーグ弁当~フォアグラパテ添え」(690円)を同月28日から発売すると発表した。すると「フォアグラをコンビニで扱う事に不快感を感じる。」、「生産方法が残酷だ。」といった声が、計22件寄せられたと言う。
フォアグラは、鵞鳥や鴨に大量の餌を与える等して太らせ、脂肪肝の状態にした肝臓。フランス料理等の高級食材として知られる。だが、嘴を抉じ開けてパイプで餌を詰め込む「強制給餌」等が、「動物虐待」と批判されている。海外では強制給餌規制の動きも在り、米カリフォルニア州ではフォアグラの販売を禁じている。
弁当発売中止に付いて、実業家の堀江貴文氏がツイッターで「馬鹿な奴等ばっかり。」と書き込んで批判。或る動物愛護団体は「遣り過ぎなのはフォアグラの生産方法。」と反論する等の騒ぎになった。
フォアグラ騒動に何処か似ているのが、捕鯨や海豚漁を巡る議論だ。嘗て和歌山県太地町の海豚漁を批判した米映画「ザ・コーヴ」が物議を醸した。キャサリン・ケネディ駐日米大使も、海豚漁に付いて「非人道性に付いて深く懸念する。」との批判をツイッターに投稿し、波紋を広げた。
デンマークのコペンハーゲン動物園では今月9日、飼育していた健康な麒麟を空気銃で殺し、「身体の構造を知って貰う。」目的で来園客の前で解体し、ライオンの餌にした。此の事が動物愛護団体等の激しい反発を呼んだ。動物園側は「頭数が増え過ぎたので、近親交配を避ける為。」と説明したが、職員が脅迫を受ける騒ぎになった。
何が残虐に当たるのか。映画監督の纐纈あやさんは「強制給餌の衝撃的な映像を見れば、可哀想と思う感情が芽生えるのは自然な事。でも、人間は他の動物の命を奪って利用しないと生きて行けないという原点に常に立ち返って考える必要が在る。」と話す。
大半が人工授精で生まれる食用牛は、誕生時から命を操作される。抗生物質を投与されて、一度も外に出ない儘、鶏舎で育つブロイラーも居る。纐纈さん自身が「人間が動物を何処迄利用する事が許されるのか、考え続けている。」と言う。
纐纈さんが監督したドキュメンタリー映画「ある精肉店のはなし」では、精肉店の一家が、牛を育て、手作業で解体し、肉を販売する迄、「命を戴く」事に真摯に向き合う姿を撮った。「海豚漁批判の様に『高等動物だから殺すべきでは無い。』という論調には疑問を感じる。残虐性の問題というのは、大量生産・安価販売の為に、工業製品の様に命を扱う事なのではないか。」。
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藤子不二雄Ⓐ氏の作品に「北京填鴨式」というのが在る。同氏が得意とする“ブラックな内容”なのだが、其の中に「顔だけを出した状態で土に埋められ、飼育されている北京ダック用の家鴨達。」の姿が登場する。子供の頃、此の作品で初めて「北京ダック」なる物を知ったのだけれど、其の飼育法に「残酷だなあ。」と思ったもの。「フォアグラ弁当」に対し、「生産方法が残酷だ。」と不快感を示した人達というのは、単なるクレーマーで無い“としたら”、当時の自分の様な気持ちなのだろう。
コペンハーゲン動物園の麒麟の件、「頭数が増え過ぎたので、近親交配を避ける為。」という事だが、日本だったら「他の動物園に譲る。」等の処置が取られるのではないだろうか。「元気な麒麟を殺し、来園者の前で解体する。」なんて事は、先ず在り得ないだろう。余所の国の話で、詳しく現状も判らない為、何とも言えないのだが、もっと良い方法が在りそうな気がする。
話を元に戻すが、「計22件のクレームにて、フォアグラ弁当の販売を中止した。」というのは、個人的に違和感を覚える。ファミリーマートの広報担当者は「苦情の件数の多寡では無く、御客様が不快感を覚える商品は出すべきでは無いという結論に達した。」と説明しているが、人の考え方は千差万別で、全ての人に受け容れられる事柄なんて在り得ないだろう。「苦情の件数の多寡は無関係。客が不快感を覚える商品は、一切出さない。」という事になれば、どんな商品でも出せなくなってしまうに違いない。
「残酷」という概念も、人によって異なる。鯨肉を食して来た日本人の立場からすると、「捕鯨を残酷な行為。」と非難されてしまうのは、「古来からの食文化なのだから、非難されるのもなあ・・・。」という反発が正直在る。
大の犬好きなので、犬肉を食する文化には強い抵抗が在るし、日本でそういう文化が広まるのは絶対に反対だが、だからと言って犬肉を食する文化が在る国に対して、「残酷だから止めろ!」と言う気にはならない。其の国には其の国の文化が在り、「自分達の文化と違うから。」という理由“だけ”で「止めろ!」とするのは、筋違いと考えるから。
ドキュメンタリー番組で、「小鹿がライオンに捕食されている場面」を目にすると、「小鹿が可哀想。ライオンは残酷だなあ。」なんぞと思ってしまう。でも、「ライオンが“狩り”に失敗し、ライオンの子供が御腹を空かせている場面」を目にしたら、「ライオンが可哀想。」と思ってしまったりするのだから、人の感情ってぶれ易い物なのだ。
先日の記事「クレーム」でも書いたけれど、「クレームが付いたからといって、安直に其のクレームに対して“迎合”してしまう風潮には反対。」で在る。自分としては、フォアグラ弁当を販売中止にする必要は無かったと思っている。
夫は昭和を代表する美男俳優、そして息子は一時代を築き、今でも活躍する元青春スターという元女優。彼女は「身体に凄く良いから。」という事で、特定の食べ物許りを食していたそうですが、其れが原因かどうかは不明なれど、50代そこそこの若さで亡くなられた。
「良い。」とされる事柄でも、其れだけで済ませ様とすると、早晩破綻が生じるもの。余りに極端な思考も同様で、「エコ」だ「愛護」だというのも、極端過ぎると何処かに無理が生じる。紹介戴いた「善良な女性」の話は、そういった事を感じさせますね。
「一回こう言う判断をすると、独善的な輩が図に乗りそうで怖い。」、此れは自分も懸念する所です。少なくとも明々白々に“愉快犯”な連中が、のさばる様な世で在ってはならない。
海外では「『飼いたい。』という依頼を受けてから犬を交配し、生まれた子が親離れしても良い時期になって以降、飼い主に譲る。」というシステムが主流の所も在るとか。ペット・ショップという仕組みが出来上がってしまっている我が国で同じシステムを導入するのは難しいかもしれませんが、より良い方向に変えて行って欲しいものです。
何を以てして「高等動物」と見做すか?此れは、凄く難しいですよね。「生き物の中では、自分達が一番偉い。」と許りに、理不尽な行動を取り勝ちな人類は、そういった意味ではとても「高等動物」と言えないだろうし。
いわゆる「意識の高い国~」なんていわれてる地域でも(今回のデンマークなんてそういうイメージの場所だけど)、あまりの「緑の党」だの「グリーンマメ」が力を持ったことで、テレビドラマ、テレビバラエティー(一部日本のBSでも放映されている)などでその姿が頻繁に揶揄されていることがあります。その方々にすれば「意識が低い」一般庶民の違和感の表れかと。
BSフジで放送されているBBCの大人気番組「トップギア」でエコカーを特集したとき、アンチエコカーの司会者が「この車に乗れば、アザラシが絶滅から救われ、氷河が固まり…」と嫌味に演説しだした途端に会場大爆笑。
一般庶民の俺からしたら安価で世界三大珍味?の1つが食べれるチャンスだったのに
ある意味今回のファミリーマートの決断は少数意見を無視する事なく真摯に受け止めた立派な結果と言えるかもしれませんが一回こう言う判断をすると独善的な輩が図に乗りそうで怖いです
残酷と言ったらペットショップで売られてる犬や猫て親や子もしくは兄弟がバラバラに売られて離ればなれ(ペットからしたら誘拐&拉致)になってるから残酷な気がします
フォアグラが食べたかった私は言いたい動物愛護団体はまずファミリーマートにクレームをつける前にペットショップを廃止&ペットの売り買いを禁止する抗議活動をするべきでは?(食い物の恨みは怖いぞww)
高等動物は殺してはならない良い言葉ですね死刑囚が泣いて喜びそう
小鹿の喩え、先日見ていたTV番組内でビートたけし氏が似た様な事を言っており、「自分も同じ事を思っていた!」と同感でした。
「何が残酷かと問われれば、飽食に明け暮れ食べ物を粗末にすること、と私は思っています。」というのは、全く同感です。趣味としての「狩猟」というのは判断が悩ましくは在るのですが、「獲物を食する。」という大前提が在れば、「釣り」と同じとも言えますし、何でも彼んでも「残酷」と縛ってしまうのもどうかと思いますので、「積極的にOKとは思わないけれど、まあ『在り。』。」といった感じかと。
「トラウマになってしまう。」等の反対意見も在りましょうが、「家畜の場」や「犬猫の殺処分場」等を、(判断能力が備わった年代の)子供達に見せる事は、凄く重要と思っています。「残酷だから見せない。」と、「実際に在る現実」から何でも彼んでも目を逸らさせるのは、果たして良い事なのだろうか?と考えるからです。現実を見せる事で、「命の尊さ」を判らせる。見るだけで足りない、乃至はトラウマになるというので在れば、其れを補うのは学校の先生だったり、親だったりするのではないかと。
「自分の意に沿わないから。」とか、「ライバルを蹴落とす為。」といった理由“だけ”で、企業等へ“クレーム攻撃”をする連中というのは、全く以て許せないし、威力業務妨害等で厳罰を科すべきと考えています。真面な民主国家で、こんな下衆で悪辣な行為は、絶対に許されない。
唯、「自身の考えと合わない。」からと、何でも彼んでも“クレーマー”扱いしてしまうのも宜しくないし、マヌケ様が指摘されている様に、企業側も判断が悩ましいのも事実でしょうね。
肉食獣が獲物を生きたまま食いちぎっている映像と、その肉食獣の子供が餌をもらえず餓死しかかっている映像を並べてみて、どちらが残酷かを問うたら、どんな答えが返ってくるのでしょう。
私たちは自分が口にする食物の由来、特に命を奪うダークな部分から眼を背けるあまり、かえって過敏に反応するようになっているのではないでしょうか。
先日テレビドラマの話題から、娘が「生き物の命を奪わないで口にする食べ物なんてありえないのに」と言っていた事を思い出しました。まさにそこなんですよね。
何が残酷かと問われれば、飽食に明け暮れ食べ物を粗末にすること、と私は思っています。