2年前に書いた記事「『婆さん、あの猫は来てるだろうなあ。』 Part1&Part2」では、嘗ての歴史教科書と今のそれでは、記述内容の異なっている点が結構在る事を紹介させて貰った。嘗ては「聖徳太子」や「源頼朝」、「足利尊氏」の肖像画とされていた物が、今は「別人ではないか?」という説が強まった為に教科書で紹介されていないとか、嘗ては「良い国(1192)作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせで覚えた鎌倉幕府の創設年が、今は1192年では無く1185年という表記になっている等、古い教科書で習った自分としては面食らう話ばかり。
今回読んだ「いつのまにか変わってる 地理・歴史の教科書」も、そんな面食らう話が満載。嘗ての歴史、地理、そして公民の教科書と、今のそれとの間の差異を取り上げる事で、意外なジェネレーション・ギャップを浮かび上がらせている。今の若い人達には「嘗てはそう教えられていたんだ。」と、そして一定年齢以上の人達には「こんなに違うんだ。」という驚きが湧く事だろう。
この本の中から、幾つか問題を取り上げてみたい。自分が学んだ教科書を思い出しつつ、“答え”を出して欲しい。
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① 大阪府に在る日本最大級の前方後円墳の名前は何?
② 「百済」、「新羅」、「高句麗」は何と読む?
③ 三国時代の朝鮮半島で、南部に在った小国家(地図上の「A」)は何と言った?
④ 中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼした645年の出来事を何と呼ぶ?
⑤ 日本最古の鋳造貨幣は何?
⑥ 江戸幕府がキリスト教徒を見付ける為にした行為は?
⑦ 日本の中心工業地帯を纏めて何大工業地帯と呼ぶ?
⑧ 梨の生産高1位の都道府県は何処?
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さて如何だろうか?因に“自分の答え”は次の通り。
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① 仁徳天皇陵。
② 「くだら」、「しらぎ」、「こうくり」。
③ 任那(みまな)。
④ 大化の改新。
⑤ 和同開珎。
⑥ 踏絵。
⑦ 四大工業地帯(京浜工業地帯、中京工業地帯、阪神工業地帯、北九州工業地帯)。
⑧ 鳥取県。
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同じ様な答えを導き出された方も多いのではなかろうか?では、この本の中で書かれている正解、即ち最近の“主要な”教科書で書かれている記述は次の様になっているそうだ。
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① 大山古墳。
20代以上の場合、「仁徳天皇陵」という事で習っているケースが殆ど。この陵墓が仁徳天皇の物とは断定出来ない為、「天皇陵名」では無「古墳名」で記される様になった。
② 「ペクチェ」、「シルラ」、「コグリョ」。
20代以上は自分と同じ様に「くだら」等の読み方で習った様だが、今は「それぞれの国の読み方」で表記。
③ 伽耶(弁韓諸国)。
40代以上は「任那」、30代は「任那(伽耶)」、20代は「伽耶(加羅)」、そして10代は「伽耶(弁韓諸国)」と習っている様だ。任那を巡っては「1.実在したのか否か。」、「2.その範囲は何処迄なのか?」、「3.日本との関係は?」、「4.任那日本府の存在は?」といった論点が昔から在り、“政治的な思惑”も在って表記がコロコロ変わったと言う。最近では「任那は実在していたものの、任那日本府に関しては触れない。」で、「任那の範囲及び日本との関係を記述する。」というスタンスから、「伽耶(弁韓諸国)」に落ち着いたと。
④ 乙巳の変(いっしのへん)。
30代以上は「大化の改新」、20代は「大化の改新乃至は乙巳の改新」、そして10代は「乙巳の改新」と習っているそうだ。「蘇我入鹿を始めとした蘇我氏を滅ぼす事件、即ち645年に起こった事件は『乙巳の変』。」で在り、「翌646年に発せられた『改新の詔』によって始まり、650年に元号が『大化』から『白雉』に変わる迄続く政治改革こそが『大化の改新』。」とする考え方により、記述が変わったとか。
⑤ 富本銭(ふほんせん)。
20代以上は「和同開珎」、10代は「富本銭」と習っている様だ。1999年に奈良県で富本銭が大量に発見された事で、それ迄最古とされていた和同開珎(708年)よりも古い(683年頃)鋳造貨幣という事になった。但し「“流通貨幣として”最古かどうか。」に付いては異論が在るとの事。
⑥ 絵踏(えぶみ)。
20代以上は「踏絵」、10代は「絵踏」と習っているケースが殆ど。「キリスト教徒を見付ける為に踏絵を踏ませる『行為』が絵踏で在り、踏絵は絵踏で使う『道具』。」という考え方からの変更。
⑦ 三大工業地帯(京浜工業地帯、中京工業地帯、阪神工業地帯)。
20代以上は「四大工業地帯」、10代は「三大工業地帯」と習っている様だ。嘗ては四大工業地帯の一つとされた「北九州工業地帯」も、その生産高が京浜工業地帯や中京工業地帯、阪神工業地帯に比べて格段と低くなった為に四大工業地帯から外されて、他の3工業地帯を以ってして三大工業地帯となった。尚、北九州は「北九州工業“地域”」と記される様になったそうだ。
⑧ 千葉県。
30代以上は「鳥取県」、20代は「千葉県乃至は鳥取県」、10代は「千葉県」と習っている様だ。これは2000年に梨の生産高が、それ迄1位だった鳥取県を抜いて、千葉が1位になった事に起因。鳥取県は茨城県にも抜かれ、3位に転落したと言う。
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教科書の記述も、時代と共に変化しているのだなあ・・・。
⑦はまとめて太平洋ベルト地帯って習いましたね^^
③の「伽耶」については実は天皇系譜の最古はこの伽耶から渡来した人物だと聞いたことがあります。天皇系譜の初代から数代はこの人が考えて、一桁台の天皇にこの方から実在して。。という説です。
「婆さん、あの猫は来てるだろうなあ。」を書いた時点で、「自分が習った頃と、歴史の内容が結構変わっているんだなあ。」と思っておりましたが、今回この本を読んで益々その思いを強くしました。iorin様の上司と同じ経験をされた方も少なくないでしょうね。
そうそう、「太平洋ベルト地帯」って習いましたね。Wikipediaの情報(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E5%9C%B0%E5%B8%AF)を見る限りで、未だこの呼称に付いては“生きている”様ですね。
天皇家の祖先に関しては諸説在りますね。「秦の始皇帝から『不老長寿の薬を捜し出せ!』と命じられ、日本に渡来した徐福(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F)が実は神武天皇だった。」なんて説も在りますし。
因みに、嘗ては「海を渡って日本へ来た人の事を一律『帰化人』と称していた。」時代が在りましたが、今は「日本に帰属&同化した人達のみを『帰化人』とし、来日してた後に帰国(離日)した人達は『渡来人』。」と使い分けている様です。これは理に適っていますね。
あと「4大工業地帯」は「太平洋ベルト」のほうが良く覚えています。
日本海側出身の同僚は「太平洋ベルト」に対し、「ただでさえ『裏日本』と呼ばれた時代だったし、いろいろあって太平洋側へのコンプレックスが強かった」と懐かしそうに言っていました。
あとその同僚とも話にあがったのですが「仁徳もだが、もっと怪しい継体天皇、彼は何者だったのか?」という話。
この辺はロマンはありつつも触れて欲しくないと思っている人も多いでしょうね。
しかし、任那。コレを見ていつも「佳那晃子」を思い出していたのは自分だけ(笑)?
そういや「伽耶子のために」という映画がありました。
「裏日本」なんて呼称が、昔は良く使われていましたね。学生だった時分、社会科の教師が「この呼称には表日本に住む人達の『自分達こそがメイン。』といった、高みから見下ろしている様な感じがして好きじゃないんだよなあ。」と言っていたのが記憶に残っています。
天皇家で言えば、残酷さでは突出しているとされる雄略天皇(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87)。生爪を剥がしたとか、妊婦の腹を切り裂いたとかの逸話が在りますが、一説には後世になって作られた逸話ともされています。余りにも“超人伝説”が口にされる現代の皇族もそうですが、歴史とは時の実力者に都合の良い形で語られる事も在るんでしょうね。
佳那晃子さんって居ましたねえ。烏丸せつこさん主演の映画「四季・奈津子」(ビートたけし氏が「烏丸せつこは、おっぱい出して『も~。』って喘いでるばっかり。乳牛が鳴いてるんじゃないっつーの。」と言っていたのを思い出します。)にも出ていましたね。
思い出しました。
周りはナシ園だらけです・・
②そもそも自国史を学ぶのに、外国語の知識を必要とせよという論理が私には理解不能。これは竹島を独島と表記させる根拠になりかねないという深謀遠慮はないのだろうか?百済観音もペクチェカンノンと読めというのだろうか?
何故日本で百済をクダラと発音するのかを教えてやったほうがよほど歴史教育に有効だと思うが、利権の奪い合いに汲々としてる役人にはわかるまい。
発掘調査の件、全く同感です。宮内庁曰く「天皇家の陵墓故、他者が立ち入るのは許されない。」という理由の様ですが、一般人の墓と比較するのも妙な歴史的遺物で在り、天皇家が国民の物と言っているので在れば、余計に“国民の財産”として歴史的検分を行うべきだと思うんですけどね。「万世一系」を標榜しているだけに、「遡って異国の血が入っているの判ってしまうのは困る。」という宮内庁の狭量さが在るのかもしれませんが、今上天皇自身が以前に「天皇家と古代朝鮮半島との“深い繋がり”」を口にしているというのに、何か時代錯誤の感を強くします。