昨日、主要なスポーツ新聞は「WBCの日本代表チーム監督」に付いて取り上げていたのだが、“本命”として挙げている人物がバラバラだったのは、実に興味深かった。
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スポニチ:「秋山監督 WBC日本代表指揮官に一本化へ 王会長から非公式打診」
スポーツ報知:「山本浩二氏、侍ジャパン監督最有力・・・WBC参加決定」
デイリースポーツ:「『侍ジャパン』秋山監督誕生へ最終交渉」
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秋山幸二氏と山本浩二氏を2紙、落合博満氏に山田久志氏、そして伊東勤氏を其れ其れ1紙が挙げている。シーズンオフには“飛ばし記事”が珍しくないスポーツ新聞だけれど、此の時期の記事としては珍しい。自紙と関係の深い人物を候補者に挙げたりするのは結構在る事だけれど、「WBC3連覇」へのプレッシャーが掛かる今回、監督の引き受け手が居ないというのが、此れだけ多くの名前が挙がっている要因なのだろう。個人的には、秋山監督がベターと思っている。
閑話休題。
東京新聞に「東京トリビア」という連載コラムが在るのだが、9月5日付け(朝刊)は「警視庁は東京以外に・・・」というタイトルだった。
都道府県警察には其れ其れ警察本部が置かれており、北海道だったら「北海道警察」、沖縄県だったら「沖縄県警察」という様に、「道府県名+警察」という呼称が普通。しかし東京都の場合は「東京都警察」というのでは無く、「警視庁」という呼称で、其の組織の規模や知名度は別格の存在と言って良い。「警視庁=東京都」というイメージしか無かったのだが、嘗ては大阪に「大阪市警視庁」というのが存在していたのだとか。
戦後、大阪市警察局長に就いた鈴木栄二氏は「大阪の様な大都会では、『警視庁』程適切な名称は他に無い。」と考え、改称の機会を窺っていた。「GHQが推奨す『パトロール中心の活動』を真っ先に採用し、GHQを味方に付ける。そして、其のGHQから市長へ『警視庁』への名称変更を勧告させる。」という手段に打って出た。
「名称が、威圧的な感じを与える。」と反発も多く、市議会の警視庁設置条例審議は紛糾したが、1949年9月、大阪市警視庁は発足。大阪城天守閣前に本部庁舎を構え、初代警視総監には鈴木氏が就任。
しかし、大阪市警視庁は短命に終わる。自治体警察を都道府県に一元化する「新警察法」に基づき、1954年6月に廃止になったからだ。発足から僅か4年9ヶ月の歴史という事になり、後を継いだ「大阪市警察」も翌年の1955年、大阪府警に吸収されたと言う。