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「内村、団体銀に『正直4位でも2位でも同じだった。』」(7月31日、サンスポ)
ロンドン五輪第4日(30日)体操男子団体総合決勝。日本は一旦は4位と発表されたが、抗議が通り銀メダルを獲得した。金メダルは中国。銅メダルはイギリス。
内村航平は「最初、僕の演技が終わった後に、電光掲示板に4位と表示されて。正直、何も言葉も出なかったですし、今迄何を遣って来たんだろうなという気持ちが込み上げて来た。結果は僕の鞍馬が難度が取れて2位になったんですけど、正直4位でも2位でも余り変わらなかったかなと思います。メダルは取れましたけど。後味の悪いチーム戦だったと思います。」と複雑な表情。
最後の鞍馬で着地が乱れたのは「イギリス・チームと(演技時間が)被っていたので、最後の選手が終わった歓声が少し気になってしまったというか。地元の波に少し飲まれた気がします。」と苦笑い。
「4年前と全く同じでしたね。4年前も銀メダルを見詰めて、中国の金メダルを羨ましそうに見ていたのを思い出しました。直ぐ気持ちは切り替わると思うので、個人総合、種目別と良い形で繋げて行きたいと思います。」と個人戦での金メダル獲得を誓った。
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「丑三つ時」には魔物が跋扈するというが、昨日の体操男子団体総合決勝で日本チームが4位という発表がされたのは、(日本時間で)丑三つ時を少し過ぎた頃だった。魔物が跋扈してしまったのだろうか?
最後の鞍馬に臨んだ内村選手が着地で乱れたものの、解説者等が「最後は乱れたものの、日本チームが銀メダル、又は銅メダルを獲得するのは間違い無い。」と話していたので、異常に低い点数が出て、メダル無しとなった時は、「本当なのか!?」という驚きが。茫然自失といった内村選手の表情が、画面に映し出されたのが印象的だった。
抗議の結果、点数が加算され、日本チームが2位になったのは嬉しかったけれど、メダルを逃してしまったウクライナ・チームの気持ちを思うと、複雑な気持ちも。
「何としても、団体総合で金メダルを獲得したい。」という気持ちが強かったのだろうし、自らの不出来が情けなかったで在ろう事も理解出来るけれど、内村選手の「正直4位でも2位でも余り変わらなかったかなと思います。」という発言は非常に残念だった。結果として3位&4位になったイギリス・チーム&ウクライナ・チームに対して失礼だと思うし、何よりも一緒に闘った(日本チームの)仲間達に対して失礼だから。
内村選手に、“悪意”が無かったのは判っている。しかし彼は「単なる1選手」では無く、「世界的な選手の1人」なのだ。天衣無縫さは彼の魅力だけれど、其の影響力の大きさを考えれば、言動には十二分に注意して貰いたい。此の手の誤解を招き易い言動が彼にはしばしば見受けられるので、老婆心乍ら書かせて貰った。
此れ迄、多くの夏季オリンピックをリアル・タイムで見て来た自分。記憶に残る名場面は、十指に余る。ロンドンオリンピック開催中という事で、「夏季オリンピック:記憶に残る名場面ベスト5」を選んでみたいと思う。自分よりも“先輩”の方々ならば「東洋の魔女」(動画)とか「前畑頑張れ!」(動画)等を挙げられる事だろうが、残念乍ら自分はリアル・タイムで見ていないので外させて貰った。
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「夏季オリンピック:記憶に残る名場面ベスト5」
1位:ナディア・コマネチ選手が、段違い平行棒と平均台の演技に於て、「近代オリンピック史上初の10点満点」を出す。(1976年のモントリオールオリンピック)【動画】
体操競技で「10点満点」が出る事が想定されていなかった為、当時の採点掲示板では「9.99」迄しか表示出来なかった。“白い妖精”ことコマネチ選手の余りに高い演技力に審判団は「10点満点」を出さざるを得ず、苦肉の策として採点掲示板に「1.00」と表示された時には、何が起こったのか一瞬判らなかった。「個人総合と併せて金メダル3個、団体で銀メダル、床で銅メダルを獲得した。」事から、モントリオールオリンピックは「コマネチ選手の、コマネチ選手による、コマネチ選手の為のオリンピック。」という感じで、自分にとっては最も印象に残る名場面だ。
2位:女子ソフトボールの日本チームが、金メダルを獲得。(2008年の北京オリンピック)【動画】
寒さや恐怖以外で鳥肌が立つ様な経験は余り無いが、上野由岐子投手の獅子奮迅の働きで日本チームが金メダルを獲得した瞬間、冗談では無く感動で鳥肌が立ってしまった。
3位:山下泰裕選手が、柔道の無差別級で金メダルを獲得。(1984年のロサンゼルスオリンピック)【動画】
満身創痍の状態で金メダルを勝ち取った山下選手の姿には、不覚にも滂沱。
4位:体操男子団体総合で、日本チームが金メダルを獲得。(2004年のアテネオリンピック)【動画】
「前畑頑張れ!」等、オリンピックの実況で飛び出した名文句は結構在るが、此の体操男子団体総合を実況していたアナウンサーが口にした「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」も、間違い無く名文句の1つだろう。
5位:池谷幸雄&西川大輔選手の所謂「清風コンビ」の活躍で、体操男子団体総合で日本チームが銅メダルを獲得。(1988年のソウルオリンピック)【動画】/北島康介選手が、男子100m平泳ぎで世界新記録を出し、金メダルを獲得。男子100m平泳ぎでの大会2連覇は初。(2008年の北京オリンピック)【動画】
何方も外し難く、同率で5位とさせて貰った。清風コンビはアイドル並みの扱われ方で、社会現象を引き起こしたと言っても良い。又、北島選手の有言実行さは、敬服に値する物だった。
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「1位でなければビリも同じ」
とコメントしました。当時、奔放な発言が物議を醸していた中山さんでしたが、このコメントも当時の陸連幹部の怒りを買い、
「暴言だ。」
「人間教育からやり直せ」
との批判を受けて、その大会で陸上競技唯一の入賞でありながら特別表彰まで取り消される、というペナルティーまで課せられたのでした。
あれから24年、今なら中山さんのコメントも違和感なく受けいられるというか、内村選手のコメントも24年前ほどの批判は受けず、むしろ「意識の高さ」を賞賛されるかもしれません。もはや、五輪は「参加することに意義がある」者ではなくなってしまいましたし、やはり、今は議員になったあのひとの、
「最高で金、最低でも金」
という言葉が大きく影響しているのだと思います。
でも、柔道は、「金以外は喜ぶな」という指導でもしていたのでしょうかね。
有森さんの「自分で自分をほめたい(ほめてあげたい、とは言っていません、念の為。)」はやはり名せりふだと思います。前回より順位を一つ下げたことで、悔しい、という言葉が出てくるのかと思ったら、意表を衝かれたからです。本人が満足しているのなら、それが何よりです。
かねが好き・・ということでしょうか?
金メダルの後が大事・・。選手も。周りも。
私の一番の金メダルはミュンヘンの男子バレーかな??
日本人にも「両国にごめんなさい」みたいなウェットな人がいるけど、正当に主張した結果が科学的に認められたのだから、そんな感情論は馬鹿馬鹿しく、いかにも押しの弱い日本人的で、やはり両国に傲慢な態度であると感じます。
>柔道の態度
金以外は喜ぶな、がチャンピオンは神様扱い→その他ではチャンピオンになれた小川直也は五輪だけとれなかったことで彼らの世界では中途半端な神様になってしまった。消化不良気味のキャリアをプロレスに求めた→結果的に堅苦しい柔道界では得られなかったであろう富と幅広い知名度を得、柔道界も不承不承彼の貢献を認めているように思える。
一方で、あの失墜した神である内柴のような人物が生まれたのは勝利至上主義、金以外は喜ぶな、しかし金メダリストは神様、という思想と小さな村社会で神様になった人間の小ささを感じます。
拘置所でオリンピック聞いてるのかな。福見らに暴言はいたあの議員のように若い選手らに塀の中で暴言はいてるのかな。それとも全く情報をシャットアウトしているだろうか。どっかの週刊誌に載るかもしれませんね。
…でもね。
私の子供の頃は入賞でももっと大きく扱われていましたし。台所でラジオ聞きながら「日本また入賞です!」の声に母が喜びの涙を流していました。あれはローマだったのか…?当時はアジア大会も大きく報道され、日本が国際試合に出ることが出来て、こんなに入賞しているのだ、そして世界の人たちが暖かく迎えてくれているのだという事実にも涙を流していたのかもしれません。
メダル偏重になったのはソウルかロスアンゼルスだったか…。そしてそれが確固としたのはメダルラッシュのシドニーから(ソウル~アトランタはメダルが少なかったですので)。そんな印象を持っています。
内村君も柔道の人もまだ若いですね。
金メダル以外でも記憶に残る大スターはたくさんいます。その世界で今、連盟の大実力者になっている人もいます。
大スターで思い出すのは水泳の古橋さんと山中毅さんです。スケートの鈴木恵一さん、伊藤みどりさんです。マラソンの円谷さん、君原さん、ソウ兄弟、瀬古さんです。山中さんはずっと金メダルだと記憶違いをしていたのですが銀が最高でした。しかしお近くの高齢者に聞いてみてください。伝説の大選手です。北島康介出現まで同格のスターはいなかったと思います。
一方全く忘れられた金メダリストは両手に余るほどいます。そして一般大衆が忘れたころに犯罪者となって再び衆目を集めてしまった人も何人か…。失礼ながら国民が大事党のあの議員もそんな一人と思える(そうだあの山中毅も選挙に出た)
若くしてピークが過ぎてしまうスポーツ選手。余生は遥かにその輝いた時間より長い。そういえば北島選手もNHKの密着番組で遊び仲間に2008年ごろ「今がお前の人生の全盛期だな。でももうすぐ終わるな」とふざけて言われて、ぞっとしたというような告白をしていました。
共産圏の国では特に『メダル獲得者→莫大な恩賞が得られる。』という構図が在る。」ので、そういった国家の選手は目の色が違うでしょうね。日本の場合は「名誉」を前面に押し出す一方、「金銭的な見返り」が少ない感じが在り、一寸気の毒な気もしています。「金銭」だけが全てでは無いけれど、選手達は「霞」を食って生きて生ける訳でも無いので。
ミュンヘンオリンピックと言えば、真っ先に頭に浮かぶのは「ミュンヘンオリンピック事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6)。当時幼かったけれど、TVで此の惨劇を矢鱈と取り上げていたので、何が起こったのかは良く判らなかったけれど、とんでもない事が起こったのは判りました。此の2年前に発生した「三島事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6)も同様ですが、長じて如何に大事件だったのかを思い知らされた次第。
体操男子団体総合決勝の判定に付いては、飽く迄も「審判団の問題」で在り、日本チームの選手達が卑屈になる必要は無いと思っています。唯、「審判団の問題」とはいえ、逆に日本チームがウクライナ・チームの立場だったとしたら、自分はどうしても複雑な思いになってしまうのです。
「考え方は色々在って当然で、何れが正しくて、何れが誤りという話では無い。」という大前提で書きます。(決してspade様の考えが誤りで、自分の考えが正しいという訳では全く在りません。)「ウエットな感情」とも言えますが、そういう感情を少なからずの日本人が持っているで在ろう事を、自分は決して悪い様には感じていない。中国等に見られる「自分達さえ良ければ、他の人の事なんか知ったこっちゃない。」といった思考、そういった物が国家を強くする面は在るとは思うのですが、そういう国家よりも自分は、押しが弱いと言われようとも「優しさを持った国」の方が愛情が湧く。そういう国だからこそ、未曽有の大災害に見舞われた時、世界が手を差し伸べてくれたという面も在ると思うのです。
「失墜した神で在る内柴の様な人物が生まれたのは勝利至上主義、金以外は喜ぶな、しかし金メダリストは神様、という思想と小さな村社会で神様になった人間の小ささを感じます。」、此れは全く同感ですね。勝負事をしている以上、勝利に対して貪欲で在るのは大事。でも勝利至上主義から生まれるのは、破滅で在る事が多いので。
オリンピックの選手に選ばれた時点で、其の人は物凄い事を遣ってのけた訳です。自分の様な凡人には、200%在り得ない事だし。其の上更に、オリンピックで入賞を果たすなんて・・・本当に凄い事。
仰る様に、昔は今程「メダル至上主義」的な雰囲気は日本に無かった。経済力で世界に伍せる様になって行く中で、「此れだけ凄い国になったのだからメダル、其れも金メダルを沢山獲得するのは当然の事。」という思いが強くなってしまった結果と言えるかもしれませんね。
「日本人として、日本の選手達が1つでも多くメダルを獲得してくれるのは嬉しい。」し、「其のメダルの色が金で在れば、嬉しさが増す。」のは自分も例外では無い。でも円谷幸吉選手(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89)の悲劇を思う時、選手達に過度な期待を掛け過ぎて、彼等を追い込んでしまう危険性にも思いが到ってしまう。
北島選手にしても内村選手にしても、此れ迄過ごして来た時間よりも、此れから送る時間の方が遥かに長い筈。競技に全力で当たり、其の結果が仮に満足行かない物で在ったとしても、其れを引き摺る事無く、未来の糧にして欲しいです。
2008年の北京大会のソフトボールでは、上野投手の力投がもっぱらクローズアップされ、私も彼女の力投が第1の殊勲だと思っています。しかし、予選リーグから決勝戦までの総勝利数のうち、どの1勝が欠けても優勝はならなかった。各々の試合において、1点目から決勝点までのどの1点が入らなかったとしても、その試合は勝てなかった。チームの総得点を取る過程に関わったすべての選手、堅守で投手を盛り立て、相手の得点を自分たちより低く抑えた選手たちに敬意を示したい。それとともに、1つ1つのプレイを大切にするべく、その試合状況でやるべきこと、やってはいけないことを把握し、自分のやりたいスタイルとの折り合いをつけ、実践していけるように選手たちを指導してきたであろうソフトボール界の先人たちにも。
体操男子団体総合決勝の順位繰上げ、そして内村航平選手の発言に付いては、色々な受け取り方が在ると思うし、色々在って当然だと思うんです。どういった捉え方が誤りとか正しいとか、数学の様に1つの正答が在るという物では無いからです。
内村選手、自分に対して非常に厳しい面を持った選手だと感じています。「日本を背負っている。」、「仲間達と共に、頂点を極めたい。」等々、強い責任感と目的意識が在るからこそ、ああいった発言になったのでしょう。其れが判っているだけに、言い方が非常に残念だった。超一流の選手というのは実技だけで無く、言葉も上手く使える必要が在ると思うのです。彼は超一流選手の1人だと捉えているだけに、やや危なっかしさを感じる発言に、毎回冷や冷やしております。父親が息子を見守る気持ちに近いのかも。
団体競技に限らず、人は自分だけでは生きていけない。上野選手の力投がどうしても目立っただけに、記事では彼女に付いて触れたけれども、仰る様に彼女の力だけで世界一になれた訳では無い。皆の力が一方向に“最大結集”した事で、得られた大成果だと思います。
残念なのは、女子ソフトボールへの注目度が下がっている様に感じる事。先月22日に行われた「世界選手権」の最終日では、日本チームがアメリカ・チームを下して優勝。敗者復活戦から決勝に勝ち上がる等、日本チームにとって決して楽な道程では無かったのに、結果として優勝。日本チームが同選手権で優勝したのは、1970年大会以来、42年振りの事とか。7連覇を果たしていた“無敵艦隊”のアメリカ・チームを倒したというのに、日本のマスメディアの報じ方は小さかった。本当に残念です。