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「<五輪柔道>ビデオ審判システムが正しい決定 IJF見解」(7月30日、毎日新聞)
柔道男子66キロ級準々決勝で審判が旗判定を覆した事に付いて、国際柔道連盟(IJF)は29日、畳の横でビデオ判定をする審判委員(ジュリー)が旗判定に異議を申し立てたのは初めてだったと発表した。IJFは「審判システムが正しい決定を為し、上手くうまく機能している事を証明した。」とコメントした。
IJFによると、日本の海老沼匡(パーク24)と曹準好(韓国)との準々決勝で、ジュリーは2回異議を唱えた。1回目は主審は海老沼の投げ技が有効と判定したが、3人のジュリーがビデオで確認した所、有効程のインパクトが無かった。2回目は旗判定になった時、主審と副審は全員、曹準好の勝利に旗を上げた。此の時にジュリーは、海老沼の有効を取り消した事は考慮に入れるべきだと審判に説明し、主審達が判定を変えたと言う。
IJFは「畳の上の審判は重圧の中で仕事をしており、ビデオ判定システムが彼等を援護出来ている。」としている。
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準々決勝は延長に縺れ込むも、両選手共に決め手に欠き、勝敗は旗判定に委ねられた。主審1人と副審2人の計3人が全て青旗を上げ、「海老沼選手敗れたかあ。」と残念な思いが。海老沼選手の顔には、「負けてしまった。」というガッカリさが明らかに浮かんでいた。
しかし、場内に大ブーイングが巻き起こる。柔道に関しては深い知識が無いので、「大ブーイングが起こるという事は、少なくとも3人が3人共青旗を上げる程、ハッキリした勝敗では無いと感じているのだろうな。」と思っていたら、中継していたアナウンサーが「おや?主審達がジュリーに呼ばれていますね。」、「ジュリーが、彼等に何か言っている様です。」、「旗判定に、ジュリーが疑問を持ったという事でしょうか?」等々、「ジュリー」という単語を連発。
「畳の横でビデオ判定する制度」の導入も、況してや其れを「ジュリー制度」と呼ぶ事も知らなかったので、最初は「ジュリーって、まさか沢田研二氏じゃないよな?」と思ってしまった。
「ジュリー制度」の説明が在って、漸と状況が理解出来たけれど、ああも「ジュリー」を連呼されると、嘗ての人気ドラマ「寺内貫太郎一家」(動画)で沢田氏のポスターを前にした悠木千帆(現芸名:樹木希林)さん演じる寺内きんが、身悶えし乍ら「ジュリ~ッ!」と絶叫していた(動画)のを思い出してしまう。
【寺内きん】
柔道の場合は一瞬の技を、其れも時には見え辛い角度から判定しなければいけないのだから、誤審も出ては来よう。日本球界でも導入した「ビデオ判定」、柔道で導入したのは悪くないとは思う。だが違和感を覚えるのは、最初3人全てが青旗を上げたのに、幾らジュリーがビデオで判定したからと言って、次は3人全てが白旗に転じたという点。微妙な判定だからこそビデオでの判定になったのだろうし、其れだったら例えば「2人は白旗で、1人は青旗。」みたいな割れる結果でもおかしくない気がする。
野球に喩えるなら、「最初は『ファウル』と判定された打球が、ビデオ判定で『ホームラン』と判定された。」というのは理解可能だが、「最初は『三振』と判定されたのに、ビデオ判定の結果『ホームラン』という判定になった。」みたいな違和感か。今回は日本選手が“救われた”から未だしも、逆のケースも充分考えられ得る訳なので、“余りに極端な判定替え”は気になった。
又、余りにジュリーの権限が強くなり過ぎてしまうのも、主審や副審達の存在意義を軽んじてしまい兼ねないので考え物では在る。ビデオ判定に頼り過ぎてしまうと、試合を見ている側に無味乾燥さが感じられる懸念も在るので。
しかし…。町内大会じゃないんだからと思うことしばしば。参加することに意義があるのは選手で充分。審判はちゃんとしたの連れてきてほしい。体操も然り。きっと他でもあるだろう(フェンシングであったらしいですね。こっちは気の毒に覆らず)。
学生時代、体育の授業で柔道を1年間だけしました。“美しい国教育”の一環で、柔道を体育の授業で選ぶ所が増える様ですが、自分の経験から言えば、監督者(教師)が相当厳しく指導しないと、“御ふざけ”(又は虐め)で怪我、其れも危険なレヴェルの怪我をする生徒が出て来るのではないかと懸念。
抑、スポーツは危険と隣り合わせな面が在るものですが、格闘技系は特に其の傾向が強いもの。受け身をきちんと習得させ、御ふざけを絶対に許さない環境作りをしないと、柔道はまずいと思うんです。
で、話を本題に戻しますが、「柔道」が「Judo」となった事で、即ち国際化が図られた事で、デメリットとしては「力技重視」になった嫌いが在りますね。国際化は悪い事で無いけれど、相撲にも同じ感じを覚えます。
国際大会では審判の判定に問題が生じ勝ちなものだけれど、今回のオリンピックは余りに多い。純粋に「技量」が劣っている為なのか?それとも、妙なナショナリズムや偏見が介在している為なのか?良くは判りませんが、必死で頑張っている選手達(日本に限らず)の為にも、ちゃんとした審判を据えて欲しい。
あと、体育の先生がどういう人たちだったか思い出していただければハッキリしますが、私の記憶では良く言えば気が良いが、悪く言えば子供っぽくてバカ、頭が筋肉の人、おおざっぱ、いい加減が多いですから、ジャイアンツさんの危惧どおりどころか、先生自ら「モヤシっ子」っぽい生徒とか、日頃理屈っぽく、受験教科ではない体育の時間に不真面目ながり勉生徒を「締める」悪ふざけに参加しかねませんから。実際、高校のときにそういう実例を見ました。後者タイプを締め上げていたんです。残酷な物で私もその男を良く思っていなかったので、恥ずかしながら笑ってみていましたが、下手すると新聞の三面記事、週刊誌の見出しに載ったかなと今は思っています。
オリンピックの柔道を見ていると、同じような体勢から同じような技をかけたように見えるのに、さっきのは1ポイントで今のは10ポイントなの?と感じるシーンが何回かありました(競技経験はないので素人目ですが)。国家云々はあまり持ち出すべきではないでしょうが、ヨーロッパ勢に有利で東アジア勢に不利な判定がされる印象を持ちました。
国際大会を観戦していると、日本だけでなく他の東洋勢が他地域と試合しているのを見ても、東洋勢に肩入れしてしまいます(得失点差が大事な競技で、決勝トーナメント進出のボーダーライン上に日本もその国もいる場合は別です)。
大津市の“暴行&恐喝事件”(虐め事件なんて生易しい表現はしたく無いので、敢えて此の表現を使いました。)では、暴行を加えている少年達を目にし乍ら、担任は笑って「御前等、程々にしておけよ。」と言うだけだったとか。此れが事実ならば教師以前に、人として糞としか思えない。多くの教師は必死で頑張っていると信じているけれど、こういった不適格教師も少なくない気もします。こんな不適格教師が柔道の授業を請け負ったら、自ら面白半分に生徒を締め上げるという事は起こり兼ねないでしょうね。
“美しい国教育”の一環として柔道を取り入れ様が、最低限の規律という物を生徒達に守らせ得ないのならば、それこそ「仏作って魂入れず」になるのではないかと懸念します。
ファースト・ネームが「ジュリー」・・・爆笑してしまいましたが、自分も含め「ジュリー制度」を知らない人は少なくなかったと思うし、そう勘違いしてしまった人も居たでしょうね。
誤審が目立つ今オリンピックですが、昨日行われた「体操男子団体総合決勝」でも飛び出してしまいましたね。内村航平選手のフィニッシュに紛らわしさが在ったのは確かですが、それでも異常に低い得点には、ド素人の自分ですらも「?」と疑問を感じました。抗議の結果、日本代表チームは4位から2位になり、銀メダルを獲得出来たのは嬉しい事だったけれど、3位から4位になってメダルが取れなかったウクライナ代表チームの気持ちを思うと、実に複雑では在りました。