ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

悔いが残る

2023年02月15日 | 其の他

TV人形劇舞台衣装のデザインで活躍した人形作家辻村寿三郎氏が5日、心不全にて89歳で亡くなった。若い人達には馴染みが薄いかも知れないが、一定年齢以上、特に自分の世代にとっては、「馴染み深い。」なんて言葉じゃ表現出来ない程の人物。

今から50年前の「1973年4月2日」、NHK或る人形劇番組が放送開始となった。「平日の18時30分~18時45分」という15分間の放送時間で、「1975年3月28日」の約2年間、合計で「464回」放送された其の番組は、当時の子供達、数多の大人達をも魅了した。自分も大好きで、初回からずっと夢中になって見ていた番組が新八犬伝動画】で、此の番組で使われていた人形達を作ったのが辻村寿三郎氏だった。

「新八犬伝」の次に放送された「真田十勇士」【音声】(1975年4月7日~1977年3月25日)も、登場する人形達を辻村氏が作っていた。此の番組も大好きで、全て通して見た。

「新八犬伝」も「真田十勇士」も、ストーリー自体の面白さや(人形の声を担当している)声優達(「新八犬伝」では、黒子姿で“語り”を担当した坂本九氏も含む。)の素晴らしさ、人形遣いの方達の動作表現力の高さ等に加え、何と言っても人形達の魅力が、此れ等の番組を“不朽の名作”にしたと思っている。


【「新八犬伝」】


【「真田十勇士」1】


【「真田十勇士」2】


【「真田十勇士」3】

子供心に、人形達から漂う妖艶を感じた。特に“彼等”をアップで映した際、“縮緬を用いた肌の質感”が、何とも妖艶だった。

「一歩が踏み出せず、悔いが残っている。」事が、自分には結構在る。今から44年前の1979年、敬愛する手塚治虫氏と“連れション”するという稀有な体験をしたものの、恐れ多くて一言も会話する事が出来なかった。以降、入会していた「手塚治虫ファンクラブ」主催で「高田馬場にて、手塚氏を囲む会。」という、所謂ファン・ミーティング”が在ったのだけれど、スケジュール的には参加出来たのに、「恐れ多い。」とか「恥ずかしい。」という思いが邪魔して、結局参加しなかった。少数のファンだけという事で、手塚氏と会話出来たかも知れない、実に貴重&最後の機会を逃してしまった事は、今でも悔いが残っている。

大好きなザ・ドリフターズ伊東四朗氏&小松政夫氏の“舞台”を見られる機会が在り乍ら足を運べなかったのも、悔いが残っている。

そして、日本橋人形町の「ジュサブロー館」では、多くの辻村作品を鑑賞出来る許りか、辻村氏と対面出来る可能性が在ったのに、足を運ばない、8年前に閉館別件で人形町を訪れた事が在ったのに・・・本当に悔いが残る。

38年前の1985年、「日本航空123便墜落事故」にて、43歳の若さで坂本九氏は亡くなられた。又、昨年10月に声優・近石真介氏が91歳で亡くなられた事により、「新八犬伝」で“八犬士
”の声を担当された方
は、全員鬼籍に入られた事に。そして、今回の辻村氏の訃報「“子供時代の自分の楽しい思い出”が、益々遠くに行ってしまった。」様で、本当に寂しい。

皆無に等しい程、現存する「新八犬伝」及び「真田十勇士」の動画は少ない。其の貴重な動画が収録されたDVDを所有しているので、今週末は其れを見て、辻村氏を偲びたいと思っている。合掌


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