TVの人形劇や舞台衣装のデザインで活躍した人形作家の辻村寿三郎氏が5日、心不全にて89歳で亡くなった。若い人達には馴染みが薄いかも知れないが、一定年齢以上、特に自分の世代にとっては、「馴染み深い。」なんて言葉じゃ表現出来ない程の人物。
今から50年前の「1973年4月2日」、NHKで或る人形劇番組が放送開始となった。「平日の18時30分~18時45分」という15分間の放送時間で、「1975年3月28日」迄の約2年間、合計で「464回」放送された其の番組は、当時の子供達、否、数多の大人達をも魅了した。自分も大好きで、初回からずっと夢中になって見ていた番組が「新八犬伝」【動画】で、此の番組で使われていた人形達を作ったのが辻村寿三郎氏だった。
「新八犬伝」の次に放送された「真田十勇士」【音声】(1975年4月7日~1977年3月25日)も、登場する人形達を辻村氏が作っていた。此の番組も大好きで、全て通して見た。
「新八犬伝」も「真田十勇士」も、ストーリー自体の面白さや(人形の声を担当している)声優達(「新八犬伝」では、黒子姿で“語り”を担当した坂本九氏も含む。)の素晴らしさ、人形遣いの方達の動作表現力の高さ等に加え、何と言っても人形達の魅力が、此れ等の番組を“不朽の名作”にしたと思っている。
【「新八犬伝」】
【「真田十勇士」1】
【「真田十勇士」2】
【「真田十勇士」3】
子供心に、“人形達から漂う妖艶さ”を感じた。特に“彼等”をアップで映した際、“縮緬を用いた肌の質感”が、何とも妖艶だった。
「一歩が踏み出せず、悔いが残っている。」事が、自分には結構在る。今から44年前の1979年、敬愛する手塚治虫氏と“連れション”するという稀有な体験をしたものの、恐れ多くて一言も会話する事が出来なかった。以降、入会していた「手塚治虫ファンクラブ」主催で「高田馬場にて、手塚氏を囲む会。」という、所謂“ファン・ミーティング”が在ったのだけれど、スケジュール的には参加出来たのに、「恐れ多い。」とか「恥ずかしい。」という思いが邪魔して、結局参加しなかった。少数のファンだけという事で、手塚氏と会話出来たかも知れない、実に貴重&最後の機会を逃してしまった事は、今でも悔いが残っている。
大好きなザ・ドリフターズや伊東四朗氏&小松政夫氏の“舞台”を見られる機会が在り乍ら、足を運べなかったのも、悔いが残っている。
そして、日本橋人形町の「ジュサブロー館」では、多くの辻村作品を鑑賞出来る許りか、辻村氏と対面出来る可能性が在ったのに、足を運ばない儘、8年前に閉館。別件で人形町を訪れた事が在ったのに・・・本当に悔いが残る。
38年前の1985年、「日本航空123便墜落事故」にて、43歳の若さで坂本九氏は亡くなられた。又、昨年10月に声優・近石真介氏が91歳で亡くなられた事により、「新八犬伝」で“八犬士
”の声を担当された方は、全員鬼籍に入られた事に。そして、今回の辻村氏の訃報。「“子供時代の自分の楽しい思い出”が、益々遠くに行ってしまった。」様で、本当に寂しい。
皆無に等しい程、現存する「新八犬伝」及び「真田十勇士」の動画は少ない。其の貴重な動画が収録されたDVDを所有しているので、今週末は其れを見て、辻村氏を偲びたいと思っている。合掌。