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ザハ・ハディッドの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう1つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられる事に。犯罪者に寛容に成れない建築家・牧名沙羅(まきな さら)は、仕事と信条の乖離に苦悩し乍ら、パワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実の無い正義の関係を豊かなフローで暴く、生成AI時代の預言の書。
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第170回(2023年下半期)芥川賞を受賞した小説「東京都同情塔」(著者:九段理江さん)は、「“ザハ・ハディッドさんがデザインした形での国立競技場は完成しなかった現実の日本”とは異なる、“彼女のデザインでの国立競技場が完成した日本”というパラレル・ワールドが舞台。」となった作品。
生成AIの1つで在る「Chat GPT」を作品に活用する等、著者の“実験的取り組み”は認めるし、「不寛容さもどうかと思うが、過度な寛容さも又、どうかと思っている自分。」にとっては、そういった面に違和感を覚える主人公・沙羅には「そうだよなあ。」と思う部分も在る。
だが、「漢字表記への余りに強い拘り(「シンパシータワートーキョー」→「東京都同情塔」等。)や執拗に同じ単語&表現を繰り返す記述等が“パラノイア的なきつさ”が感じられるし、実に読み辛い。色々詰め込み過ぎて、収拾が付かなくなっている感じがする。」というのが在り、読み終えた後にはすっかり疲れ切ってしまった。
「『良いな。』と思う作品と、『意味がサッパリ判らない。』と思う作品とに、はっきり分かれてしまう。」というのが、芥川賞受賞作に対する自分の思い。「東京都同情塔」は典型的な後者。
総合評価は星2.5個。
10代後半か20代前半のころ、同人誌に作品を書いていた頃ですが、作家さんと同人仲間との座談会の中で、ある有名な作家さんから「大げさな表現(すごいとか超など)を多用する人は幼稚な思考の持ち主」「一つの文脈の中に同じ表現を繰り返す人は表現力の無い人」と教えられました。
どちらも語彙が乏しく、豊かな表現が出来ないので作家には向かない。
作家になりたいのなら語彙力を豊かにすること、とのアドバイスでした。
例えば今何かと話題のトランプ氏。
彼の発言を見ると「歴史上最も~」などの誇張した表現を多用していますが、これはトランプ氏自身が思考的に幼稚なのか、あるいは自分を信奉している支持者たちを、単純で幼稚な扇動しやすい相手とみているかのように感じます。
本題に戻れば、この作品の作家さんも本職である以上、語彙力があり多彩な表現力を身に付けているはずなのに、あえて「同じ単語&表現を繰り返す記述」をすることに、何か重要な意味があるのかな・・・と思ったりして。
あるいはそれは深読みで、作家とはいえ買い被りなのか(苦笑)。
“もしトラ(若しもトランプが大統領になったら)”が現実化しそうな勢いが、非常に不安な今日此の頃。トランプ氏の熱狂的な支持者に言わせれば、「彼は正直だから良い!」との事ですが、明々白々に“事実な事柄”で在っても、“自身に不都合な事柄”で在れば、其の根拠を全く示す事無く、何とかの一つ覚えの様に「フェイクだ!」と騒ぎ立てる御仁の何処が正直なのか?
アメリカのみならず日本でも、「自身の頭で検証する事を放棄し、心地の良い主張を鵜吞みにする人達。」が増えているのは、本当に恐ろしいです。
トランプ氏の場合、其の言動から感じられるのは幼稚さのみ。論理的な思考が全く出来ないのは、間違い無いと思っています。
で、「東京都同情塔」ですが、著者は“意図的に”繰り返しを多用していると思います。全体的に見て、決して語彙力が乏しいとは思わないし、筆力も低くは無いと感じられるので。唯、彼女自身が意図した効果が、自分には非常にうざく感じられるというのが、実際の所かも知れません。