第二次世界大戦で日本が降伏したのを受け、1946年5月3日から1948年11月12日に掛けて、連合国が“戦争犯罪人”として指定した日本の指導者等を裁く軍事裁判が行われた。所謂「極東国際軍事裁判」で、通常の裁判とは異なる一審制。
戦争犯罪人として28人が起訴されたが、永野修身氏と松岡洋右氏は判決前に病死し、大川周明氏は梅毒による精神障害が認められた事で訴追免除となった為、1948年11月12日に被告として判決を受けたのは25人。死刑判決を受けたのは土肥原賢二氏、広田弘毅氏、板垣征四郎氏、木村兵太郎氏、松井石根氏、武藤章氏、そして東條英機氏の計7人だった。
「勝った側は全て“善”で、負けた側は全て“悪”として裁かれるのは納得出来ない。」という声が在るのは理解している。一審性で行われた事等、裁判自体に問題が在った事も確かだ。又、「第二次世界大戦に参戦した際、マス・メディアや少なからずの国民も賛成していたではないか。なのに、戦争犯罪人だけに全ての責任を負わせて、『私達は被害者だ!!』と一方的に主張するのはおかしい。」という声も、其の通りだと思う。
でも、「戦争という“異常な状況”では、勝者が全て“善”とされ、逆に敗者は全て“悪”とされる。」のは古今東西の“常識”で在る。敗者となって“悪”とされたくなければ、又、敗者となれば多くの国民が苦しむ結果になるのだから、上層部の人間は絶対に戦争をしてはいけない。
死刑判決を受けた7人の内、東條英機氏は開戦時の首相だった事、そして何よりも「子飼いの“憲兵達”を使い、自分に少しでも逆らう人間や不都合な人間を、盗聴や監視等で炙り出して捕まえ、生きては帰れない様な戦地最前線に次々と、兵士として送り込んでいた。」等の“物言えぬ社会”を作り上げた事は、死刑判決を受けて当然と考えている。
今から72年前の今日、即ち「1948年12月23日」、午前0時1分30秒から0時35分に掛け、巣鴨拘置所内で東條氏等7人の死刑が執行された。
映画「プライド・運命の瞬間」が公開されてもう20年以上になるのですね。
予告編をちらっと見て、これはどうなのかと思ったことがあります。本編は見る気が起こらず。
ただ、見た人からは東条英機が家族を大事にする好人物だったことが分かり、評価が変わったという話は聞きました。
家族や気の合う親しい相手には思いやりのある好人物が、すべての人にとっても良い人だとは限らない、むしろ身内を大事にすることはそれ以外の人たちを区別する、ダブルスタンダードにはならないかと思ったものです。
武士の時代の戦陣訓を持ち出し、生きて虜囚の辱めを受けるなと、兵士には玉砕(自殺)を強要しながら、自らは生きて正当性を主張したとし、それをプライドとして持ち上げる。
令和の時代の前首相にも同じ匂いを感じます。
「プライド・運命の瞬間」は見ていないのですが、此の作品で東條英機役を演じて以降、津川雅彦氏の言動が“極端な方向”に行き始めた感じがしています。当人としては「東條英機という人物を自分なりに徹底的に分析した事で、今迄の彼の人物像ががらりと変わった。」という事なのかも知れませんが、個人的には妙な意味で“憑依”されてしまったのでないかと。
「自分にとって好ましい人間は徹底的に守るけれど、少しでも異を唱える相手は“敵”として排除する。」、「愛国心やら道徳心を声高に叫ぶけれど、自身はそういった物に反する事を平然と行う。」等、安倍晋三首相に凄く似た所を感じる東條元首相。