恰幅の良さが特徴の1つだったのに、数年前に見掛けた彼はゲッソリと痩せていたので、「大丈夫かなあ?」と心配はしていたのだが・・・。
SF作家の小松左京氏が肺炎にて、80歳で亡くなられた。古今東西、人間は「数字」で物事を括るのが好き。「三大珍味」とか「七不思議」、「五虎大将軍」等々がそうだが、「御三家」というのも其の1つ。芸能界での「御三家」と言えば自分の世代だと「野口五郎氏、郷ひろみ氏、そして西城秀樹氏の『新御三家』。」がパッと頭に浮かぶが、文壇で言えば「星新一氏、筒井康隆氏、そして小松左京氏の『SF御三家』。」が有名。14年前の星氏に続き、SF御三家から2人目が鬼籍に入られてしまった。
SF御三家が登場する以前、日本に所謂「SF作品」を著していた作家が居なかった訳では無い。有名所で言えば押川春浪氏や海野十三氏といった名前が挙げられ、SF御三家が我が国のSF界に於いて先駆け的な存在とは言えない。だがしかし、多くの人がSF作品を読む切っ掛けを作り、我が国の文壇に「SF作品」という範疇を確立させたのは、SF御三家の活躍が非常に大きかったと思っている。(漫画界で言えば、手塚治虫氏が手掛けたSF作品の影響も大きかったろう。彼の作品には、小松氏や星氏の名前を捩った「大松右京」や「星真一」といったキャラクターが登場していたっけ。)
SF御三家と言えば自分の場合、「黴臭さ」というのがリンクして来る。勘違いして欲しくないのだが、彼等の作品に黴臭さを感じたのでは無い。寧ろ、彼等の作品は斬新だった。彼等の作品を読み漁っていた幼少期、其の場所は学校及び近所の公民館の図書館で在る事が多く、其処の黴臭さ(決して嫌いな匂いでは無かった。)と共に思い出が甦って来るのだ。長じてからは読まなくなったけれど(当ブログを立ち上げて以降に読んだ“純粋な意味での”SF作品は、3年前の「マイナス・ゼロ」だけという有り様だし。)、幼少期はSF御三家の他に光瀬龍氏や豊田有恒氏、半村良氏、眉村卓氏等が著したSF作品を読み漁っていたもの。
私見で言えば、星氏や筒井氏の作風は「何気無い日常の中に紛れ込んだ、不思議な異空間。」といった感じなのに対して、小松氏の其れは「壮大な別世界」という感じが在った。(「何方の作風が良くて、何方の作風が悪い。」といった話では全く無い。例えば「ドラえもん」は「日常生活」を、そして「宇宙戦艦ヤマト」は「宇宙空間」を舞台にしているという違いは在るけれど、「描いている空間の大小」で作品の評価が決まる訳では無く、何方も名作と思うから。)「日本沈没」や「復活の日」等を初めて読んだ時は、其の壮大な世界観にグイグイ引き込まれたし。
子供の頃、夢中になって見ていた「SFドラマ 猿の軍団」。原作者の1人が小松氏と知ったのは、5年前の事だった。戦後間も無い頃、彼が「モリミノル」や「小松みのる」等のペン・ネームで漫画を描いていたのは有名な話だが、1970年の「日本万国博覧会(通称:大阪万博)」ではサブ・プロデューサーを、そして1990年の「国際花と緑の博覧会(通称:花博)」では総合プロデューサーを務める等、プロデュース業でも活躍。落語を愛し、伝説の番組「お笑いスター誕生!!」(動画)では審査員を務めたりも。兎に角、才能に溢れた人物。
今週末、小松氏を偲んで「日本沈没」や「復活の日」を手に取る中高年が多いのではないか。巨星墜つ。*1合掌。
*1 有名人が亡くなった際、無闇矢鱈と「巨星墜つ」という表現が用いられるが、個人的には其の安直な使われ方が好きではなかった。故に記憶違いで無ければ、当ブログで訃報を扱う際に此の表現を用いて来なかったのだが、小松氏の場合は禁を破って用いる事にした。手塚治虫氏等と同様、彼は自分の思想等に大きな影響を与えた人物の1人だから。
「復活の日」も「日本沈没」も私は、発売されてすぐ読みました。
この2作品は2度読みました。「日本沈没」は阪神大震災を経験した直後に再読しました。小松さんの地球物理学への見識に驚きました。このたびの東日本大震災は、とても読む気が起こりませんでした。あまりに被害が大きすぎたからです。
「復活の日」は神戸で新型インフルエンザ騒ぎがあった時に再読しました。背筋が寒くなりました。
様々な分野への深い知識を元に、未来を予見する。手塚治虫氏もそうでしたけれど、小松左京氏が「予見した未来」が次々に「現実」となっている事に驚きを覚えます。本当に惜しい人を亡くしました。