“自分がファンとなった最初で最後の男性アイドル”の西城秀樹氏が亡くなられて3日が過ぎたけれど、其の喪失感を未だ抱えている。ふと気付けば「情熱の嵐」【動画】や「激しい恋」【動画】、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」【動画】、「ブーメランストリート」【動画】等々、彼の歌を口遊んでいる自分が居る。
ヒデキの特集を組むテレヴィ番組を見ていて思うのは、「殆どの歌を、今でも諳んじられるなあ。」という事。曲も歌詞も印象深く、だからこそ深く記憶に刻み込まれているのだ。と同時に、歌に合わせた彼の振り付けというのも、強く印象に残っている。子供の頃、休み時間に同級生達とヒデキ振り付けをして遊んでいたっけ。
記憶を遡って行くと、自分が初めて“本格的に真似した振り付け”は、金井克子さんの「他人の関係」【動画】だったと思う。「パッパッパヤッパー♪」というスキャットに合わせ、(無表情な)金井さんが高く上げた右手を左右に振る独特の振り付けを、当時の子供達の殆どが真似したと思う。「ミュージカル『スイート・チャリティー』で、男性ダンサーが煙草を手にし乍ら踊っていた姿をモチーフにした振り付け。」と言われているが、「アメリカで交通整理をする警察官の動きを見て、彼の振り付けを思い付いた。」という説も在る。「交通整理をする警察官の動きから思い付いた。」という方が、個人的にはピタッと来る。
ピンク・レディーの振り付けも、当時の子供達は競って真似したが、男子の場合だと、ヒデキの振り付けの方が頻度は高かったろう。ヒデキの振り付けを多く手掛けたのは振付師の一の宮はじめ氏だが、彼が以前“振り付けを思い付いた切っ掛け”に付いて語っていて、「そんな切っ掛けで思い付いたの!?」という意外さに溢れていた。
「傷だらけのローラ」【動画】では“ヒデキが拳を振り下ろす振り付け”が印象的だけれど、彼は「電気を消す際、ぶら下がった紐を引っ張る動き。」から思い付いたそうだ。
「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の“左右の拳を交互に突き出す振り付け”は、「当時、(一の宮氏が)習っていた少林寺拳法の“突き”の動き。」から思い付いた。此れは「成る程。」だ。
で、大笑いしてしまったのは、「激しい恋」の振り付けに付いて。「『やめろと言われても 今では遅過ぎた♪』という歌詞に合わせ、ヒデキがポンと叩いた右膝を上げ、両手を引いて、体を後ろに反らす振り付け。」が実に印象的なのだが、此れは一の宮氏がスーパーに買い物に行った際、目にした光景がヒントなのだとか。「スーパーに買い物に来たおばちゃんが、知り合いとばったり出会い、『あら、奥さん!』と自分の膝をポンと叩き、驚いていた姿。」を目にして、彼の振り付けを思い付いたというのだから、もう天才的としか言い様が無い。