当ブログを立ち上げた当初、「『ば○こう○ちの納得いかないコーナー』というブログ名は、一体どういう意味なのか?」との御質問を何度か頂戴した。6年前の7月、不純な動機からの立ち上げでは在ったけれど、「このブログでは“あの人”と同様に、『世の中の不条理な出来事に対して、何者にも阿る事無く、正々堂々と吼える。』というスタンスを死守したい。」との強い思いが自分の中には在った。その“あの人”、ジャーナリストのばばこういち氏が肝不全にて77歳で亡くなられた。
4年前、「ば○こう○ち」という記事で彼に対する思いの丈を記させて貰った。今でこそ「世の中の不条理な出来事を取り上げ、そして追及する。」というテレビ番組は普通に存在しているが、この手の番組の先駆けと言えるのが、1970年代半ばから1980年代にかけて放送されていた或るコーナー。テレビ朝日系列で平日の正午に放送されていたワイドショー「アフタヌーンショー」の一コーナーだった「ばばこういちの納得いかないコーナー」がそれで、ばば氏が「庶民が『納得いかない!』と憤りを感じている不条理な問題を取り上げ、その当事者に徹底的に迫り、そして追及して行く。」というスタイル。
早朝の報道・情報番組では「あんたねぇ、それはおかしいんじゃないの!」等と声高に指摘する、黒光りした顔の某司会者。父親から継承した会社の社長業も務めているが、その会社が過去に何度か問題を起こした際には、「悪い事が出来てしまう法環境が悪い!」等と平然と責任転嫁する厚顔無恥さ。彼の様な存在は極端にしても、“表”では“正論めいた言葉”を吐き乍ら、“裏”では“同じ穴の狢”といった感じの著名人は少なくない。“正論めいた言葉”を吐けるだけましなのかもしれず、力を有する存在に対して阿る様な連中が結構居たりする。ばば氏とは一面識も無いからその実像を知る由は無かったけれど、少なくとも長年同コーナーを見続けて来た限りで言えば、ばば氏からは「何者に対しても怯んだり阿ったりする事無く、真摯に、そして熱く徹底追及する姿勢。」が感じられ、それが実に眩しく感じられたもの。己が凡庸さを自覚せぬまま、無謀にもジャーナリストの道を一旦は志したのも、ばば氏という存在が在ったればこそ。能力の無さを痛感し、ジャーナリストの道は諦めるも、ブログを立ち上げる際には「ばば氏に、ほんの少しでも良いから近付きたい。」という憧れの気持ちが在ったのは否定しない。ばば氏が居なかったら、このブログは存在しなかった。
人は誰しも、「生」を終える時が来る。それは自然の節理だけれど、ばば氏にはもっともっと公の場で正論を吐き続けて欲しかった。非常に残念で在る。ばば氏の足元にも及べない自分だけれど、今後も“憧れの人”に少しでも近付くべく、稚拙なこのブログを続けて行きたい。
ばばこういち様、本当に御疲れ様でした。これからは天空より、世の不条理な出来事に対して睨みを利かせ続けて下さい。さようなら・・・。
4年前、「ば○こう○ち」という記事で彼に対する思いの丈を記させて貰った。今でこそ「世の中の不条理な出来事を取り上げ、そして追及する。」というテレビ番組は普通に存在しているが、この手の番組の先駆けと言えるのが、1970年代半ばから1980年代にかけて放送されていた或るコーナー。テレビ朝日系列で平日の正午に放送されていたワイドショー「アフタヌーンショー」の一コーナーだった「ばばこういちの納得いかないコーナー」がそれで、ばば氏が「庶民が『納得いかない!』と憤りを感じている不条理な問題を取り上げ、その当事者に徹底的に迫り、そして追及して行く。」というスタイル。
早朝の報道・情報番組では「あんたねぇ、それはおかしいんじゃないの!」等と声高に指摘する、黒光りした顔の某司会者。父親から継承した会社の社長業も務めているが、その会社が過去に何度か問題を起こした際には、「悪い事が出来てしまう法環境が悪い!」等と平然と責任転嫁する厚顔無恥さ。彼の様な存在は極端にしても、“表”では“正論めいた言葉”を吐き乍ら、“裏”では“同じ穴の狢”といった感じの著名人は少なくない。“正論めいた言葉”を吐けるだけましなのかもしれず、力を有する存在に対して阿る様な連中が結構居たりする。ばば氏とは一面識も無いからその実像を知る由は無かったけれど、少なくとも長年同コーナーを見続けて来た限りで言えば、ばば氏からは「何者に対しても怯んだり阿ったりする事無く、真摯に、そして熱く徹底追及する姿勢。」が感じられ、それが実に眩しく感じられたもの。己が凡庸さを自覚せぬまま、無謀にもジャーナリストの道を一旦は志したのも、ばば氏という存在が在ったればこそ。能力の無さを痛感し、ジャーナリストの道は諦めるも、ブログを立ち上げる際には「ばば氏に、ほんの少しでも良いから近付きたい。」という憧れの気持ちが在ったのは否定しない。ばば氏が居なかったら、このブログは存在しなかった。
人は誰しも、「生」を終える時が来る。それは自然の節理だけれど、ばば氏にはもっともっと公の場で正論を吐き続けて欲しかった。非常に残念で在る。ばば氏の足元にも及べない自分だけれど、今後も“憧れの人”に少しでも近付くべく、稚拙なこのブログを続けて行きたい。
ばばこういち様、本当に御疲れ様でした。これからは天空より、世の不条理な出来事に対して睨みを利かせ続けて下さい。さようなら・・・。
giants-55さんのブログは、3年前ふと「そういや”ばばこういち”って今どうしてんのかな」と思い立ち、検索していて見つけたのがきっかけでした。たぶん、40代以上の方でないと分からないかもしれませんね。しかも、今日になって「娘さんはジャーナリストで、川田氏の妻」だということを知った次第。
「アフタヌーンショー」の印象が、やはり強烈ですね。また昭和が遠くなったような気がします。
「硬骨漢」という表現が、ばば氏は実に似合う方でした。近年は地上波でその御姿を見掛ける事は無かったのですが、CS放送で何度か拝見していました。風貌は老いたものの、厳しい切り込みは昔のまま。もっともっと主張し続けて欲しかったです・・・。
「早朝の司会者」、ナレーション等で独自のスタイルを確立されたのは評価するけれど、人間的には全く受け容れられないタイプ。人間は大概年を経る毎に“丸くなって行く”ものですが、彼の場合はどんどん傲慢さが増している様に感じます。「有言不実行」とは正に彼の為に在る言葉の様に感じていましたが、件の「悪い事が出来てしまう法環境が悪い!」という開き直りで、それを確信しました。
ばばさんの娘さんが堤さんでその婿が川田さん、にびっくり。すごい一家ですね。
ご冥福をお祈りします。
実際に統計等で確認した訳では無いのだけれど、感覚的にマスメディアに従事された方は早く亡くなられる事が多い様に感じます。
ばば氏の御嬢さんが川田龍平氏と結婚されたという記事、昨年だったか週刊誌で目にして「へー。」と意外な組み合わせに驚かされたもの。政治家として「?」と感じる言動が報じられている川田氏ですが、ばば氏御夫妻はそういう姿勢を批判された上で、「そういう事を許している娘はもっと悪い。」といった事を言われていたとか。真偽の程は不明なれど、もし疑問を生じさせる言動を川田氏が実際にしていたならば、ばば氏の御霊の前でそれ悔い改めて欲しいもの。
今考えると「アフタヌーンショー」に出演されていた面々は、本当に癖の強い方ばかりでしたね。当人は至極真面目にやっていた山本耕一氏も、その真面目さが逆に強い個性となって、ザ・ぼんちによって一躍有名になりましたし。(彼よりもは遥かに健康そうだった奥様・小林千登勢さんが、あんなにも早く亡くなられたのは非常に驚きでした。)
加東康一氏も歯に衣着せぬ物言いで、当時絶大な力を有していた某大手プロダクションに噛み付いたりしていたのが印象的。硬骨漢と言える人でした。
ネット上で一般人が自由に情報提供出来る今とは違い、憤りを公にするどころか泣き寝入りするのが珍しくなかった当時、そういった声を吸い上げて放送するというスタイルは斬新だったと思います。