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「ベルギー:安楽死の年齢制限を撤廃 法改正案を可決」(2月14日、毎日新聞)
ベルギー下院は13日、世界で初めて安楽死の年齢制限を無くし、子供でも実施出来る法改正案を賛成多数で可決した。上院は昨年12月に法案を可決しており、国王が署名し次第発効する。ベルギーは2002年、国家としてオランダに次いで安楽死を合法化しており、今回は対象を拡大した。唯、改正法案は、死期が迫った子供が文書で明確に安楽死を希望し、親と主治医が同意する等、厳しい条件を定めており、実際に適用される例は限られそうだ。
ベルギーの安楽死法は此れ迄、患者が18歳以上の大人か、16~17歳の「独立した未成年」の場合に安楽死を適用。通常、「意思能力や意識が在る。」、「安楽死の希望を自主的に、繰り返し述べている。」、「治癒の希望が無く、耐え難い苦しみが在る。」場合、安楽死を実施、補助する医師の違法性を問わないとしている。主治医は実施前に、他の医師の意見を聞く義務も在る。
今回の法改正は、年齢制限を無くす一方で、死が「短い期間に予測される。」事や、親が同意する事等を条件に加えた。
未成年の安楽死に付いてはオランダが、12歳以上で「(安楽死の)利益を、合理的に理解している。」事を条件に認めている。ベルギーも実態的には、此れに近い物になりそうだ。
ベルギーの安楽死は2012年に1,432件行われた。2009年の調査では40~79歳が73%を占めており、其れ以下の年齢で行われるのは「稀。」と言う。
年齢制限の撤廃に付いては「少年、特に幼児が安楽死に付いての合理的な判断が出来ず、親の意向に左右されるのではないか。」との懸念が在り、ベルギー国会周辺では12日に、反対デモが行われた。
所謂「安楽死」は「(1)本人の意思に基づき、医師の援助で死亡する『積極的安楽死』。」、「(2)本人の意思で不必要な治療を拒否する『尊厳死』の様な延命措置停止。」に大きく分かれる。積極的安楽死を国として合法化したのはオランダ、ベルギー、ルクセンブルク。スイスは医師の処方等、条件を満たした「自殺幇助」の違法性を問わない方針を取る。しかし、積極的安楽死に付いては議論が大きく分かれ、導入は停滞している。
延命措置停止に付いては、患者が指示書を事前に作成し、死期が迫った場合に医師が受け容れる慣行は、世界的に広がる。しかし、健康な障害者や認知症等、死期が迫っていない場合は議論が分かれ、英米では裁判で措置停止が例外的に認められるケースも在るが、一般化はしていない。
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「安楽死」や「Suicide Tourism」等、安楽死に付いて、過去に何度か記事にして来た。詳細な私見は其方に記しているので読んで戴けたらと思うが、ざっくり言えば「世の中には“生きたくても生きられない人達”が居る事から、“原則的には”『自ら命を絶つ。』という行為は反対だけれど、『“実質的に”治癒の可能性が無く、耐え難い苦しみの中で生き続けなければいけない状態、即ち“生かされているだけの状態”ならば、安楽死という選択は止むを得ない。」と考えている。
人の生き死にに関する事柄には、様々な考え方が在るだろうし、又、何を以てして「生かされているだけの状態」とするかも意見が分かれるだろう。だから、「自分の考え方が、唯一無二的に正しい。」なんて全く思ってはいない事は、理解戴けると幸い。
「安楽死という選択が止むを得ないケースも在る。」とは考えているが、安楽死が許される条件は、厳しく限定されるべきで在る。犯罪等、邪な事態が介在する可能性を懸念するので。此れは、年齢制限が撤廃された場合でも、全く変わらない。否、寧ろより厳しくなっても良いだろう。「死」とは、其れだけ厳粛な事態なのだから。
子供を道連れにしての一家心中が発生した際、「自身の子供と雖も、独立した人格を有する1人の人間なのだから、親の身勝手な判断で道連れにするのはおかしい。」という声が上がる。「其の通り。」とは思うのだが、1人で生きて行けるで在ろう年頃の子供は別にして、幼子の場合には「此の子を残して死ぬのは、とても耐えられない。」と考える親が居るのは、個人的に凄く理解出来てしまったりする。
「幼子が不治の病に冒され、のたうちまわり乍ら生き続けている。」という状況で、もし自分が其の子の親だとしたら、「こんなに苦しみ続けるならば、安楽死させて上げたい。」という思いを抑え込む自信が無い。「幼子に、安楽死に関する合理的な判断が出来のか?」という点は議論すべきとは思うが・・・。
幸い自分の身内や周りの者で安楽死(尊厳死)を考えなければならない者は居ないけどいざその立場になったら本人が何と言おうといつか治療法が発見されたり奇跡的に自然に完治するかもしれないからと無責任に頑張れと励ますと思います
やはり最後の判断は本人(意識が有る)に任せるのが最良なんですかね
ジョニーは戦場に行ったと言う映画が有りましたがあんな無に近い状態になったら自分も安楽死したいです
話しは横道にそれますが死に関して大霊界を作られた丹波哲郎大先生が言うには長生きするとその分たくさんの罪(汚れ)を作るからなかなか転生出来ず長いこと地獄で苦しむしかし若い内に死ねばそれだけ罪(汚れ)が無いから早く転生出来る一番良いのは赤ちゃんで死ぬことだと分かった様な分からない様な事を言ってました
自分が“生かされているだけの状態”になったならば、安楽死という選択肢を取ると思います。でも、実際に其の立場になってみたら、考えが変わるかもしれない。と言うのも、「もう充分長生きをしたから、早く彼の世に行きたい。此の世に、もう未練は無いし。」としばしば口にしていた高齢者の知人が、いざ死を間近にした時、“生”に対する執着心を見せ、意外に感じた事が在ったからです。
況してや安楽死の対象が近しい存在だったら、「楽にさせて上げたい。」という思いと同時に、「其れでも、生きていて欲しい。」という相反する思いが生じるかもしれない。
丹波大先生の話、如何にもという感じで、思わず笑ってしまいました。後年はスピリチュアルな方向へと進んでしまった大先生ですが、出来得れば役者として、其れも“黒木警視”の様な役をもっと見せて欲しかった。