冴えない脳味噌でも、たまにはブラッシュアップしないとと思い立ち、珍しく真面目な本を2冊併読中。先ずは、恥ずかしい程経済理論には無知な為、猿でも判る様に噛み砕いて書かれたものをという事で、「東大生が書いたやさしい経済の教科書」という本をピックアップ。確かに、従来の解説書からするとかなり優しく書かれている。でも、哀しいかな数学アレルギーが在るので、計算式やグラフが出て来ると思考がややスローダウンしてしまう。文章に散りばめられたギャグのセンスも今一つなので、なかなか読み進まない所は在るが、学生の立場から「何とか判り易い本にしたい。」という意思が行間から伝わって来るのが好感を持てる。何とか読破したい。
そしてもう一冊は、ナベツネこと渡邉恒雄氏の回想録「わが人生記」。ナベツネに関しては、過去にも何度か記事にして来た。「ナベツネ吼える!」や「ナベツネよ、ハカイダーになれ!」、「ナベツネ・ファンではない、一人のジャイアンツ・ファンとして」等がそうだが、彼の傲慢で野卑な言動には嫌悪感を持っているし、ジャイアンツ至上主義的な思考にはジャイアンツ・ファンの立場としても辟易たるものが在った。
しかしながら、これも何度か書いている事だが、野球を含めた様々な分野に関して貪欲な迄に知識を吸収している姿勢には、素直に凄い人だなあと思っている。又、所謂鷹派に分類される人物で在りながら、リベラルな思考をしばしば披瀝する彼を、人間として非常に興味を持っていた。元々共産党員で在った彼が、どの様な変遷を経て鷹派と呼ばれる様になったのかも知りたかった。(共産党に入党後、脱党して逆に”右の世界”に転ずる人が結構居るのは興味深い所だ。)
全体的には自画自賛の目立つ本だが、読み応えの在る内容では在る。政治に関するものもそうだが、プロ野球に関しても頷ける見解が幾つか見受けられた。*1私見とは相容れない見解も勿論在ったのだが、そうで在っても彼の見解は確固たる理論に基づいて述べられており、感性だけで動いている様な指導者が少なくない中、その意味では貴重な存在とも言える。ナベツネ賛歌するつもりはないが、内容面の賛否は別にして、言論人としてはこういう存在も必要に思う。
あのアナタハン事件をスクープしたのはナベツネだった(当時属していたのが週刊新聞だった為、スクープしながらも発売日前日に毎日新聞にトップ記事で”抜かれて”涙を呑んだとの事。)とか、山村工作隊探訪取材の為アジトに潜入したナベツネが、工作隊に捕えられ殺されそうになった話等、意外な話が載っている。
又、政界の話では、かの吉田首相が意に適わない議員の広川弘禅氏(元々は吉田氏に重用されていたものの、”策士”三木武吉氏の策略に陥り、吉田氏と仲違いさせられてしまう件も触れられている。)を政界から排除すべく、佐藤栄作氏や大野伴睦氏といった党幹部に命じて、広川氏の地盤から安井大吉氏という無名の新人を立候補させ、選挙戦に莫大な大金を注ぎ込んで、結果として実力者広川氏を落選させた話が載っている。この落選によって広川氏の政治生命は実質的に絶たれた訳だが、この事をもっと大規模な形、刺客候補乱立という形で真似たのが、昨年の”小泉手法”ではなかったのだろうかと指摘しているのも面白い所。
人間的な好き嫌いはさて置き、ナベツネという人間の別の一面が垣間見られる一冊だと思う。
*1 一昨年の記事でも書いたが、プロ野球合併問題をきっかけに噴出した諸問題を、全て「ナベツネが悪い!」として片付けようとする論調には疑問を感じていた。確かに妙な言動が少なくなかったナベツネだったが、中には的を射た発言も在ったと思っている。事の本質を逐一精査する事無しに、安直に「正義v.s.悪」といった対立構造を作り上げて煽るマスメディアの怖さが其処には在る訳だが、国民の側も扇動される事無く(この点は自戒を込めてだが。)、是々非々を自らの頭で捉えて行く必要が在るだろう。
そしてもう一冊は、ナベツネこと渡邉恒雄氏の回想録「わが人生記」。ナベツネに関しては、過去にも何度か記事にして来た。「ナベツネ吼える!」や「ナベツネよ、ハカイダーになれ!」、「ナベツネ・ファンではない、一人のジャイアンツ・ファンとして」等がそうだが、彼の傲慢で野卑な言動には嫌悪感を持っているし、ジャイアンツ至上主義的な思考にはジャイアンツ・ファンの立場としても辟易たるものが在った。
しかしながら、これも何度か書いている事だが、野球を含めた様々な分野に関して貪欲な迄に知識を吸収している姿勢には、素直に凄い人だなあと思っている。又、所謂鷹派に分類される人物で在りながら、リベラルな思考をしばしば披瀝する彼を、人間として非常に興味を持っていた。元々共産党員で在った彼が、どの様な変遷を経て鷹派と呼ばれる様になったのかも知りたかった。(共産党に入党後、脱党して逆に”右の世界”に転ずる人が結構居るのは興味深い所だ。)
全体的には自画自賛の目立つ本だが、読み応えの在る内容では在る。政治に関するものもそうだが、プロ野球に関しても頷ける見解が幾つか見受けられた。*1私見とは相容れない見解も勿論在ったのだが、そうで在っても彼の見解は確固たる理論に基づいて述べられており、感性だけで動いている様な指導者が少なくない中、その意味では貴重な存在とも言える。ナベツネ賛歌するつもりはないが、内容面の賛否は別にして、言論人としてはこういう存在も必要に思う。
あのアナタハン事件をスクープしたのはナベツネだった(当時属していたのが週刊新聞だった為、スクープしながらも発売日前日に毎日新聞にトップ記事で”抜かれて”涙を呑んだとの事。)とか、山村工作隊探訪取材の為アジトに潜入したナベツネが、工作隊に捕えられ殺されそうになった話等、意外な話が載っている。
又、政界の話では、かの吉田首相が意に適わない議員の広川弘禅氏(元々は吉田氏に重用されていたものの、”策士”三木武吉氏の策略に陥り、吉田氏と仲違いさせられてしまう件も触れられている。)を政界から排除すべく、佐藤栄作氏や大野伴睦氏といった党幹部に命じて、広川氏の地盤から安井大吉氏という無名の新人を立候補させ、選挙戦に莫大な大金を注ぎ込んで、結果として実力者広川氏を落選させた話が載っている。この落選によって広川氏の政治生命は実質的に絶たれた訳だが、この事をもっと大規模な形、刺客候補乱立という形で真似たのが、昨年の”小泉手法”ではなかったのだろうかと指摘しているのも面白い所。
人間的な好き嫌いはさて置き、ナベツネという人間の別の一面が垣間見られる一冊だと思う。
*1 一昨年の記事でも書いたが、プロ野球合併問題をきっかけに噴出した諸問題を、全て「ナベツネが悪い!」として片付けようとする論調には疑問を感じていた。確かに妙な言動が少なくなかったナベツネだったが、中には的を射た発言も在ったと思っている。事の本質を逐一精査する事無しに、安直に「正義v.s.悪」といった対立構造を作り上げて煽るマスメディアの怖さが其処には在る訳だが、国民の側も扇動される事無く(この点は自戒を込めてだが。)、是々非々を自らの頭で捉えて行く必要が在るだろう。
いったいあの1リーグの騒動は何であったのか。いったい誰が得をし、誰が損をしたのか、という観点からすれば渡辺氏になんら得るところはなかった。一方、選手会長の古田は名を上げた。でも合併は阻止できず楽天のような戦力のいちぢるしく劣る球団が何か雇用確保みたいに出来上がった。さらに合併を強行したオリックスはプロテクトと称して2球団から25人もの選手を優先的に囲い込むことができ、戦力不足の下位低迷球団から一気にプレーオフを争える有力球団にのし上がった。前者の問題から言えば楽天の未来に明るい材料はない。なぜ選手を分けてやれなかったのか。オーナーはサッカーのビッセル神戸も所有しているが、結果を急ぎすぎてj2に陥落させてしまった。楽天を見ていると監督をすぐ変えるなど同じ道を歩んでいるとしか思えない。オリックスにいたってはやってはいけない禁じてを基礎に成立した球団であることを忘れるべきではない。前監督の急死、清原入団などとこの問題を分けて考えるような思考も育まないとすべてが情に流され理屈が死ぬ。渡辺氏が一本筋が通っているのは物事を理論的に考える習慣が身についているからなのかもしれない。話題性ばかり追いかけ目先の悪人と思しき人間を簡単にマスコミ、権力と一体になって糾弾していく。こんなことばかりを繰り返していくと民衆の価値判断能力がいつの間にやらマスコミ、権力の判断に代行されていく。そしてそれらは間違いを過去に犯してきたのだから。
今シーズンは、セ・パ両リーグとも盛り上がるといいな、と思っています。
渡邉氏に付いては、ジャイアンツのオーナーになる以前から知ってはいたのですが、当時のイメージと言えば盟友の中曽根氏と共に鷹派の代表というものでした。時事放談的な番組に出て、その手の発言を為していたからだと思いますが、そういう意味では中曽根氏もそうですが、発言が軌道修正されて来ているという事なのかもしれません。この辺りは、他のブログでもそういった御意見が載っておりますので、世の中の流れが余りにも片方に寄ってしまった事への危惧を感じての軌道修正という事なのかもしれません。
合併騒動からその終結に到る迄の事柄に付いては、red様の御意見に同感です。マスメディアは「選手=正義、オーナー達=悪」という安直な対立構図を作り上げ、それを面白おかしく煽っていた面は在ったと思いますし、その事の懸念は自分も何度か書いて来ました。その対立構図が前面に出過ぎてしまった為に、球界の本質的な問題点が表面的には論じられている様で、実際にはそのまま置き去りにされてしまったのではないか。その表れが、ゴールデンイーグルスへの"適正な”選手分配が為されなかった事に象徴されている様にも思います。
自分も人の事は言えないのですが、一つ方向に一気に世論が流されてしまう状況は、個々人が自由に意見を述べている様で、その実は妙な方向に流されているだけではないかと。”過去の過ち”を繰り返さない為にも、個々人が情報分析を怠らない必要性が在るでしょうね。(個々の意見が、自らの頭で考えた結果、時に応じてぶれて行くのは必ずしも悪い事ではないと思っています。問題なのは、与えられた情報を頭の中で”咀嚼”する事無く、鵜呑みして流されてしまう事ではないかと。)
これからも宜しく御願い致します。
言論人としての渡辺氏は決して嫌いではないですがプロ野球についてとなると拭い去る事のできぬ感情が湧いて来てしまいます。FA、逆指名、自由獲得枠。カープが弱くなった事の全ての原因が彼にあったとは思いません。が、エースと4番を「盗られ」、「ぞんざいに扱われた」事。01年のシーズン、カープは「勝率では」3位でした。しかし“その年だけ”「勝ち数」で順位を決めた為、4位になりました。「勝ち数で順位を決めるべき」と強く主張し、翌年「勝ち数では分かりにくい」とあっさり戻したのは…。FA宣言したのは選手自身です、3位も4位も大して変わらないかもしれません。しかし…。それらへのわだかまりは簡単には、消せません。
それでも一昨年のプロ野球再編騒動。渡辺氏の主張、「理屈としては」筋が通っていたように思います。けれど、「感情」を余り考慮されなかったか、その点が説明不足だと感じました。12球団を数を減らして1リーグ。数が減るから、一球団あたりのファンが増える…。そんな事ないですよね。オリックス・バファローズの観客動員数が劇的に増えたわけではありません。プロ野球の観客動員はビジネスのように“1+1”になる筈がありません。渡辺氏にあれだけの逆風が吹いたのは、正しいかどうかは別にある意味で当然だったように思います。幾ら「大を生かす為に小を切る」と言っても切られる方は堪りません。それは“エゴ”でしょうが、誰だって「自分の好きな球団が消える」のは嫌でしょう。私だったら耐えられません。あのやや過剰だった逆風は大切な「変わらず存在し続ける筈のモノ」がなくなるかもしれない、と感じたプロ野球ファンが起こしたと言えるのかもしれません。
こうしてプロ野球については複雑な感情になってしまいますが、言論人としては一目置いております。小泉総理への指摘もさる事ながら最近の読売新聞は「保守」でありながら靖国参拝に反対したり、第2次大戦の日本の戦争責任を検証する特集を組み続けたりと変化が見られます。「自民党の与党的新聞」を自認して来た新聞の“変節”。左翼の朝日新聞の「論座」に寄稿したのは驚きでした。「保守」だからといってなんでもいいわけではない、是々非々だ、というなら敬意を表したいです。
日本最大の新聞社で絶大な影響を持つ渡辺氏。その言動には必ずしも賛同できない部分もありますが、彼のような「毒のある」強烈な存在感の人物が言論界に私も必要不可欠だと思います。
higu様の思いにかなり共感出来ます。特に「渡邉氏の話は、『見る』分には説得力を感じますが、『聞く』と何故かそれが減じてしまう。」というのは、その通りだと思います。あれだけの”頭”を持った人物ですので、一寸言葉を選んで話せばかなり伝わり方も違うのにと思う反面、もしかしたら敢えてああいった言葉を使う事で反響を期待しているのだろうかと思ったりも(笑)。
プロ野球の合併騒動の際、渡邉氏が多くの野球ファンの神経を逆撫でする様な、非常に失礼極まりない言動を連発したのは、自分も否定的な思いが在ります。でも、球界の構造的な問題、これは渡邉氏が野球に関わる前から”淀んでいた問題”迄も、あの機に乗じて渡邉批判の材料にされてしまった様な感じもしていました。(別に渡邉氏を擁護する気は毛頭在りませんが(笑)。)
でも、higu様が書かれている様に、概してジャイアンツの有利に働く様な言動が過去に多く見られたのは、ジャイアンツ・ファンの一人としても「身勝手だなあ。」と感じています。
上でred様宛のレスでも書かせて戴いたのですが、渡邉氏の政治的発言は、これ迄にも結構ブレを見せている様に思っています。人間誰しも、状況の変化に応じてその考えも変わるものですが、渡邉氏の現在の発言が果たして本音なのかどうかは、正に本人のみぞ知るでしょう。でも、最近のイチロー選手もそうですが、様々な媒体に積極的に登場して、自らの考えを述べている渡邉氏の姿は評価したいです。