ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「sex」

2010年04月24日 | 書籍関連
この年になってもレンタルビデオ店でエロDVDを借りる際には、気恥ずかしい思いをしてしまう。流石に若かりし頃の様に「映画のビデオ(当時はDVDは無かったので。)と一緒に、誤って取ってしまった。」みたいな感じでエロビデオを混ぜ込む様な真似はしないけれど、それでもエロDVDを借りる際には店員から目を逸らしてしまう。そんな自分だから、近年、書店で「SEX特集」等と銘打たれ、イケメンタレントのヌードがドカンと表紙に載った雑誌を若い女性が平然と立ち読みしていたりするのを目にすると、無関係なのに自分が恥ずかしくなったりもする。だから石田衣良氏の短編集「sex」は、正直言って購入するのに躊躇する物が在った。

この本の後書きで、石田氏は次の様に述べている。

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セックスとは時代遅れの冴えない悪徳になってしまったようです。不況と低成長で保守化する多くの人が、せきるだけ性から遠ざかりたいと願っている。この国の草食男子増殖、ロケットのような未婚率の上昇は、経済的な事情だけでなく、セックスそのものを厭う時代の空気が後押しをしています。(中略)セックスは肉体の一部の単純な往復運動ではありません。頭と心と身体のすべてが参加する全人的な行為で、生きものとしての人間にはなくてはならないものです。そこには欲望だけでなく、社会の仕組みや経済や個人の在りかた(ときに差別や暴力や支配)など、人にかかわるすべてがあらわれてしまう。だから、セックスはおもしろいのです。(中略)海外の避妊具メーカーが、一年間の性交回数を国別に発表しています。トップの残業時間を誇るこの国が、同時に年間最少の貧しさを記録している。その事態を淋しく思うのは、ぼくだけでしょうか。この国がGDPだけでなく、生と性のよろこびの豊かさでもトップになれる日を、ぼくは待ち望んでいます。
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私見で言えば、「セックスに関する余りに多くの情報が露骨に、何でも在りといった感じで目に出来る様になった。」事が、セックスに対して淡白な人達を増やしてしまった様に感じる。自分がガキんちょの頃はインターネットなんぞは当然乍ら存在しておらず、モロ出しの画像を目にするなんて事は図書館の奥に置かれていた医学書の写真位がせいぜい。際疾い写真が載っ所謂ビニ本”をこっそり購入し、“秘められた部位”への想像を逞しくしていたもの。アイドルの写真集も良かったが、父親が持っていた宇能鴻一郎氏や川上宗薫氏の官能小説、そして横山まさみち氏の描くエロ漫画を盗み読みする事で想像力を磨き、それで良くも悪くもセックスへの関心度を強くして行った気がする。だから中学二年生の男女の「性への関心」を描いた短編「文字に溺れて」には、何とも言えない懐かしさと共感を覚えた。

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「文字に溺れて」

雄一郎は以前クラスの友達の家で、アダルトDVDを見せられたことがある。四十二インチプラズマディスプレイいっぱいにローションぬめる粘膜が映しだされていた。そのときは確かに雄一郎のペニスは痛いほど硬くなったが、精神的にはまるで盛りあがりに欠けていた。肉が肉に反応したという印象なのだ。あからさまな視覚情報よりも、活字は数十倍も素晴らしかった。繰返し読み、イメージをふくらませ、自分がその状況に没入できるのだ。言葉なら肉体の表面も、心の奥深くも自由にいききできる。絶対に思われる男女の壁さえ越えられる。ただ粘膜の接触ならセックスなどたいしたことはない。センスのいい十四歳には、それくらいはわかっていた。あの最中に心と身体を何百回往復できるのか。エッチはそれがすべてなのだ。
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余りにも露骨過ぎる表現の多い短編「夜あるく」等は一寸趣味に合わなかったけれど、セックスを「頭と心と身体のすべてが参加する全人的な行為で、生きものとしての人間にはなくてはならないものです。」とする石田氏の思いはこの本から強く伝わって来る。総合評価は星3つとしたい。

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