最近は歴史を扱ったTV番組が多く、歴史ファンの一人としては嬉しい限り。一般的に正しいとされている「正史」も好きだが、「キリストは日本を訪れ、日本で死んでいた。」(動画)なんていう「俗説」に入れられてしまう物もワクワクしてしまう程好き。知人にこの手の説を話すと「単なる俗説で、考慮に値しないよ。」と鼻で笑われてしまうのは哀しいが、それ迄正史と信じて疑われなかった事柄が或る日を境に「誤りではないか。」と、そして俗説や珍説と称されていた物が「もしかしたら、これが正しいのかも。」と変わって行く事も在るのだから、俗説と言われる物も決して馬鹿には出来ない。様々な物証を基にして、俗説と呼ばれる類いにあれこれとイメージを膨らませるのも歴史の醍醐味と思っている。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけ、天台宗の僧として歴史に名を残す「天海」。徳川家康の懐刀として、江戸幕府の設立に大きな影響を及ぼした人間として知られる彼だが、近年では彼に関する俗説が結構有名になっている。兎に角謎の多い人物で、特に彼の前半生は不明な点ばかり。表舞台に顔を出したのが本能寺の変以降という事も在り、「明智光秀は本能寺の変の直後に死んではおらず、天海という僧となって徳川家康の懐刀となった。」という俗説が在るのだ。「徳川家康は以前から明智光秀の才能を高く買っており、『死なせるのは惜しい。』と彼を救出し、別の人間として傍に仕えさせた。」、「天海が造営に関与したとされる日光東照宮には、明智家の家紋で在る桔梗の紋が到る所に使われている。」、「日光の見晴らしの良い場所に、『明智平』という呼称を付けたのは天海。」、「天海は江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠、そして3代将軍・家光のブレーンも務めたが、この2人の将軍の名付け親も彼。それぞれに『秀』及び『光』という漢字が用いられており、これを合わせると『(明智)光秀』となる。」等々、想像するだけでもワクワクしてしまう説だ。*1
徳川家徳川家のブレーンとして「黒衣宰相」とも呼ばれる活躍をした謎多き人物・空海の若き時代、そう徳川家康の懐刀となる前の時代を描いた歴史小説「地の日 天の海」を読破。上&下巻併せて700頁近い大長編を著したのは、浅見光彦シリーズ等の推理小説で有名な内田康夫氏。彼の作品には歴史を下敷きにした推理小説が多いが、純粋な歴史小説としてはこの作品が初めてとか。彼の作品は筋立てが面白く、且つ歴史を下敷きにした物が多いので、出版された作品は全て読んでいる。
著者が数多の文献に当たり、それ迄事実と信じられていた事柄の誤り(「桶狭間の戦いに於ける奇策」、「長篠の戦いに於ける鉄砲の三段撃ち」等。)を盛り込む等、「なかなかの意欲作。」と書評で紹介されていたこの作品、読む前から期待はかなりの物だった。
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時は戦国時代真っ只中の1552年、若き修行僧・随風は比叡山を目指していた。会津芦名家の重臣で在る船木家に生まれた彼、後に「黒衣の宰相」とも称される空海の若き日の姿だった。彼は恵那明智の庄で明智光秀と出逢い、天下の行方に付いて意見を交わす。類い無き才知と共に、何処か危うさをも感じさせる光秀は、「争いの日々を鎮める、日輪の様な人物が近々現れる。」と随風に予言するのだった。
そして尾張に入った随風は、「虚け」と噂される織田信長の姿を眼前にし、「徒者では無い。」と直感。又、美濃のの宿では、「吉」と称する奇妙な男と同宿する事に。随風が「藤吉郎」という名を授けたその男こそ、後の豊臣秀吉だった。
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安土桃山時代から江戸時代初期にかけ、天台宗の僧として歴史に名を残す「天海」。徳川家康の懐刀として、江戸幕府の設立に大きな影響を及ぼした人間として知られる彼だが、近年では彼に関する俗説が結構有名になっている。兎に角謎の多い人物で、特に彼の前半生は不明な点ばかり。表舞台に顔を出したのが本能寺の変以降という事も在り、「明智光秀は本能寺の変の直後に死んではおらず、天海という僧となって徳川家康の懐刀となった。」という俗説が在るのだ。「徳川家康は以前から明智光秀の才能を高く買っており、『死なせるのは惜しい。』と彼を救出し、別の人間として傍に仕えさせた。」、「天海が造営に関与したとされる日光東照宮には、明智家の家紋で在る桔梗の紋が到る所に使われている。」、「日光の見晴らしの良い場所に、『明智平』という呼称を付けたのは天海。」、「天海は江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠、そして3代将軍・家光のブレーンも務めたが、この2人の将軍の名付け親も彼。それぞれに『秀』及び『光』という漢字が用いられており、これを合わせると『(明智)光秀』となる。」等々、想像するだけでもワクワクしてしまう説だ。*1

徳川家徳川家のブレーンとして「黒衣宰相」とも呼ばれる活躍をした謎多き人物・空海の若き時代、そう徳川家康の懐刀となる前の時代を描いた歴史小説「地の日 天の海」を読破。上&下巻併せて700頁近い大長編を著したのは、浅見光彦シリーズ等の推理小説で有名な内田康夫氏。彼の作品には歴史を下敷きにした推理小説が多いが、純粋な歴史小説としてはこの作品が初めてとか。彼の作品は筋立てが面白く、且つ歴史を下敷きにした物が多いので、出版された作品は全て読んでいる。
著者が数多の文献に当たり、それ迄事実と信じられていた事柄の誤り(「桶狭間の戦いに於ける奇策」、「長篠の戦いに於ける鉄砲の三段撃ち」等。)を盛り込む等、「なかなかの意欲作。」と書評で紹介されていたこの作品、読む前から期待はかなりの物だった。
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時は戦国時代真っ只中の1552年、若き修行僧・随風は比叡山を目指していた。会津芦名家の重臣で在る船木家に生まれた彼、後に「黒衣の宰相」とも称される空海の若き日の姿だった。彼は恵那明智の庄で明智光秀と出逢い、天下の行方に付いて意見を交わす。類い無き才知と共に、何処か危うさをも感じさせる光秀は、「争いの日々を鎮める、日輪の様な人物が近々現れる。」と随風に予言するのだった。
そして尾張に入った随風は、「虚け」と噂される織田信長の姿を眼前にし、「徒者では無い。」と直感。又、美濃のの宿では、「吉」と称する奇妙な男と同宿する事に。随風が「藤吉郎」という名を授けたその男こそ、後の豊臣秀吉だった。
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