ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

大らかな時代

2016年01月14日 | TV番組関連

遊園地ぐりんぱ」は嘗て、「日本ランド」という呼称だった。1973年にオープンし、2004年に改称されるの間だが、幼少期に家族で日本ランドに遊びに行った自分としては、ぐりんぱよりも日本ランドという呼称の方がしっくり来る。

 

日本ランドは富士山裾野に位置していたが、富士山に近い遊園地としては、他に富士急ハイランドが在る。此方も家族で訪れた事が在る懐かしい場所だけれど、自分の世代以上だと富士急ハイランドと聞いて、或るマジシャンの名前を思い浮かべる人も多い事だろう。

 

初代・引田天功氏。二代目・引田天功さんの師匠で在り、“日本の脱出王”と呼ばれた彼は、1968年から1975年迄7回亘り日本テレビ系列の特別番組で大掛かりな“脱出イリュージョン”を行い、大人気を博した。其の舞台となっていたのが、富士急ハイランドだったのだ。

 

ファミリー劇場では現在、脱出イリュージョン・シリーズを再放送しており、昨夜は「引田天功地獄の大流水 死の水道管大脱出!」が再放送されていた。此方に内容の詳細が記されているけれど、「火を噴き乍ら疾走し、最後は大爆発するジェット・コースター(当時、世界一の巨大さと言われた「ジャイアントコースター」。)の中からの脱出。」【動画】と「爆発する水道管の中からの脱出。」【動画】の二本立て。当時は別々の日に放送された内容と記憶しているが、前者は1973年3月に放送された物で、自分の中では一番強く記憶に残っている。

 

当時、子供だった自分は、夢中になって脱出イリュージョン・シリーズを見ていたが、此の年になって改めて映像を見ると、実に突っ込み所の多い番組だった事に気付かされた。

 

森繁久彌氏の(?)が、意味不明に表示された。」り、「はかま満緒氏や富永一朗氏、一谷伸江さん等の出演者達が『天功さんとは、もう二度と会えないと思うと寂しい。』、『香典を用意しないと。』、『今日、天功さんは死ぬ。』等々、大袈裟煽りを何度も口にした。」り、「みたいな箱の中に手錠された天功氏が入れられ、其の箱をヘリコプターで吊り上げて、レール上のジャイアントコースター迄運んだ上、ジャイアントコースターに据え付けた。(最初からジャイアントコースターの上に箱を据え付け、其の中に入れれば良いのに。)」りと、苦笑してしまうシーンが連発。

 

番組内では「不死身の引田天功!」と矢鱈連呼していたけれど、「1979年、心筋梗塞にて45歳の若さで亡くなった彼。」を知っている身としては、「ちっとも不死身では無いじゃないか。」という突っ込みも入れたくなる。

 

箱の中に入った天功氏にスイッチを持たせ、「今、どんな状況に在るか。」を表示させるのだが、其の表示も凄い。「OK」、「脱出中」、「SOS」は未だ良いとして、「ちょっと待て」は無いだろう。其の「ちょっと待て」が表示されているのに、アナウンサーが「爆破して下さい!」と指示し、表示が「SOS」に変わってもどんどん爆破されて行くのだから、もう滅茶苦茶だ。

 

 

ジャイアントコースターがレール上の仮設小屋に突っ込んだ直後や、爆破現場に消防車が向かう場面等、明らかに画質が変わる所が幾つか在った。恐らくは“事前収録した映像”を間に入れ込んでいたのだろうが、あんなにもハッキリと画質が変わっていたというのに、当時は何も疑問を持たずに見ていたのだから、恥ずかしい限りだ。

 

燃え盛る炎の中から脱出した天功氏の服が汚れ1つ無かったり、御約束”として救助に駆け付ける救急車が、何もする事が無くてウロウロしていたりするのも、何とも間抜け。

 

 

特設レールを敷いた上での疾走らしいが、とは言え、あんなに火を噴きながら走っているのだから、レールに熱の影響等は出なかったのだろうか?今なら、先ずOKが出ない設定だろう。“オリバー君”やらネッシーやらが真剣に取り上げられていた、何とも大らかな時代だったからこその設定と言って良い。


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6 コメント

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催眠術 (かんちゃん@マラソンマン)
2016-01-15 21:15:46
初代の引田天功さんと言えば、フジテレビ系列の番組で催眠術を披露していたのを覚えています。「さん~、にい~、いち!」という独特のカウントが印象的で、テレビカメラに向かって、「裏番組を見ると頭が痛くなる!」と視聴者に向けて催眠術をかけていた(実際に頭が痛くなった人おるんか?)のも可笑しかった。思えば、天功さん、確かお正月に亡くなられたのでは?
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そういえばあった (AK)
2016-01-15 22:03:21
当地では土曜か日曜の昼間によくやっていました。なんか真剣に見ていた記憶が。同様に川口浩も・・・。
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>かんちゃん@マラソンマン様 (giants-55)
2016-01-15 22:15:12
書き込み有難う御座いました。

9年前の記事「寝小便と催眠術」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/8a12da7efe9822d3f7f3894824a6102d)の中で書いたのですが、小学校に上がっても寝小便が治らなかった自分は、当時結構有名だった催眠術師の下に、治療で行った事が在ります。結局、“空気を読んで”催眠術に掛かった振りをしたのですが、そういう意味で催眠術というのは、遠い存在で無かったりします。

「昔、催眠術を得意にしていた有名人。」と言ってパッと頭に浮かぶのは、俳優でも在った多々良純氏(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E3%80%85%E8%89%AF%E7%B4%94)と初代・引田天功氏。引田氏の独特のイントネーションでの掛け声「サ~↑ン↓、ニ↑~→、イチ↑」は、当時の子供が結構真似したもの。

Wikipediaの情報によると、引田氏が亡くなられたのは「1979年12月31日」で、大晦日に亡くなられたんですね。彼も「昭和9年会」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B9%9D%E5%B9%B4%E4%BC%9A)のメンバーでしたが、同メンバーは夭逝された方が本当に多い。同じマジシャンで「何か御質問は?」のフレーズで人気を博した伊藤一葉氏も矢張り昭和9年会のメンバーでしたが、胃癌にて引田氏と同じ45歳で亡くなられているし。

引田氏と言って忘れられないのは、御嬢さんの引田智子さん。「一心同体少女隊」のフレーズで知る人ぞ知るアイドル・ユニット「少女隊」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E9%9A%8A)のメンバーとして彼女が途中加入した時は、「彼の引田氏の御嬢さんなんだ。」と感動したもの。又、先妻との間に生まれた御嬢さんは「引田有美」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E7%94%B0%E6%9C%89%E7%BE%8E)の名前で、今も声優として活躍されている事を、今回の記事を書くに当たって、初めて知りました。
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>AK様 (giants-55)
2016-01-15 22:29:43
書き込み有難う御座いました。

倫理面等から、今では放送出来ないで在ろう番組が、昔は結構在りましたね。日テレ系列の「あなたの知らない世界」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%96%E7%95%8C)や「木曜スペシャル」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%9C%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB)の“際物シリーズ”、テレ朝(当時はNETと呼んでいたと思いますが。)系列の「川口浩探検隊シリーズ」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9B%9C%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB#.E5.B7.9D.E5.8F.A3.E6.B5.A9.E6.8E.A2.E6.A4.9C.E9.9A.8A.E3.82.B7.E3.83.AA.E3.83.BC.E3.82.BA)なんていうのは、そんな類いだった。でも、そんな番組を当時は、多くの人が楽しんでいたのも事実。“ドッキリ番組”なんかも、今では芸能人を対象にした物許りだけど、昔は隠し撮りで素人を騙していた。TV慣れしていない素人が多かったからこそ面白かったのだけれど、今じゃあプライヴァシー等の問題も含め、行うのは難しいでしょうね。
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マジシャンの死 (かんちゃん@マラソンマン)
2016-01-17 10:22:24
正月に駅伝のテレビ中継を始める前には、「爆笑ヒットパレード」や「東西寄席」などをよく見てましたが、初代天功さんの死は、元旦のテレビで最初に知り、驚きました。「不死身のマジシャン」が早死にした例と言えば、アメリカのマジシャン、フーディニーが、「あんた不死身だろう?」とファンにいきなり腹を殴られて、腹膜炎で死んだエピソードを思い出します。伊藤一葉さんの時代は、がんを本人に告知するのはタブーでした。死後に見つかった日記によると、自分ががんとも知らず、仕事が減ってきた(奥さんとマネジャーが仕事を減らしていた。)のを落ち目になったせいだと思い、新しいネタを考えているような記述があったのだそうです。
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>かんちゃん@マラソンマン様 (giants-55)
2016-01-17 13:18:23
書き込み有難う御座いました。

亡き父が昔良く話していたのは、「力道山が暴漢に刺された際、最初の報道では命に関わる程の事では無いと思っていた。何よりも、力道山には不死身なイメージが在ったので。だから、1週間後に彼が急死した時は、凄く驚いた。」と。

伊藤一葉氏、一世を風靡したマジシャンでしたが、活躍した期間が短かった事も在り、今では知らない人が多いかもしれません。彼の日記の話は初めて知りましたけれど、遣る瀬無さを感じる話ですね。確かに昔は、罹患者に癌で在る事と徹底的に隠すのが一般的。罹患した祖母に対しても、母親達は徹底的に隠していましたが、其の苦労は相当な物だった様です。近年は「QOL(クォリティ・オブ・ライフ」(https://kotobank.jp/word/%E3%81%8C%E3%82%93%E6%82%A3%E8%80%85%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%81%A8QOL(%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%80%81%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%AE%E8%B3%AA)-792014)の概念が広まり、状況は変わりつつ在る様ですが。
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