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「防衛次官、自衛官暴言を謝罪=野党、小野寺防衛相辞任を要求」(4月18日、時事通信)
防衛省の豊田硬事務次官は18日、参院議院運営委員会理事会で、現職自衛官が民進党の小西洋之参院議員に「御前は、国民の敵だ。」等と暴言を吐いた問題に付いて謝罪した。
此れに対し、民進党の芝博一理事は、速やかな調査実施と小野寺五典防衛相らの公式な謝罪を要求した。野党からは、小野寺氏の辞任を求める声も上がった。
民進党の平野博文国対委員長は同日の記者会見で「由々しき事態だ。」として、小野寺氏の辞任を求めた。又、同党の小川敏夫参院議員会長は党会合で「青年将校が政治家に対して『怪しからん。』と言って行動を起こしたのが五・一五事件、二・二六事件だ。暗黒の政治に繋がる様な行動に、強く抗議する。」と非難した。
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此の件、16日の夜、国会前の公道で起こった事とか。ランニング中に小西議員を偶然発見した統合幕僚監部指揮通信システム部の幹部自衛官が「御前は、国民の敵だ。」と繰り返し暴言を吐いた。周囲の警察官等が駆け付けた後も同様の発言を繰り返し、小西議員が「防衛省に連絡する。」と告げても発言を止めなかったが、最終的には発言を撤回したと言う。
過去に何度か書いているけれど、自分は自衛隊という組織に対して嫌悪感は無いし、災害時等に必死で頑張っている自衛隊の隊員達には敬意を持っている。そんな自分だが、今回の件に付いてはゾッとさせられた。小川参院議員会長が言っている様に、自分も「二・二六事件等が発生した際の“危うい空気”を感じた。」からだ。
今回の件に付いて小野寺防衛相は「どんな考えを持とうが自由だが、現職自衛官という立場としてこういう暴言を吐くのは良く無い。」という趣旨の発言をしていた。「明らかに法律に触れない限り、又、他者に迷惑が掛からない限り、どんな言動をし様が、“原則として”其れは個人の自由。」と考えているので、小野寺防衛相の発言は其の通りだと思う。
小西議員がどうこうと言う訳では無いけれど、国会議員の中には陸でも無い者が少なく無く、腹立たしく感じている国民が居てもおかしくは無い。でも、だからと言って“実質的には”軍人で在る自衛官が“公の場”で、“国民の代表”で在る国会議員に対して暴言を浴びせ捲るというのは、絶対に許される事では無い。“軍人による自国民へ暴言”と言っても良いからだ。腹立たしく思っているのなら選挙での投票行為という形で示すか、自衛官を辞めてから発言すべきだ。
又、一番の問題は、「現職の幹部自衛官が公の場で、“セルフコントロール”出来なかった。」という事実。人の考え方や主張は十人十色だと言うのに、件の幹部自衛官は「自身の考え=国民の考え」と思っているからこそ、「国民の敵」という言葉が出たのだと思う。自身の考える愛国心や正義“だけ”が正しいとし、青年将校達が暴走した結果が五・一五事件や二・二六事件だった訳で、こういう考え方は軍人として非常に怖い事だ。
今回の様な出来事が万が一、与党の議員に向けられた場合、与党の議員達は「大した事では無い。」と看過するだろうか?被害を受けた議員が与党なのか野党なのかを問わず、今回の様な出来事が起こった際には、厳しい対応を取るべきで在る。
今回の件で、小野寺防衛相が辞任をする必要は無いと思っている。“政争の具”にしてはいけない話なので。でも、件の幹部自衛官に対しては、厳しい処分が必要だろう。
北朝鮮の転換、此れはどうなんでしょうね。彼の国の状況をずっと見守っている身としては、“悪い意味での裏”が在る様な気がしてなりません。金日成以降、彼の国のトップが最優先しているのは「現体制の維持」だけで在り、「自国民」はどうでも良い。徳川の世では無いけれど、「国民は生かさぬ様に、殺さぬ様に。」で在る様に思っている事でしょう。
軍隊が護ってやっている、というのは、傲りでしかなく、戦争を抑止して、平和を保っているものは、経済や文化、そしてメディアの言論の統治のお蔭でしょう。軍事力だけの覇権は失敗するもので、彼の北朝鮮ですらが、政策の転換を図っているように、軍事力依存の覇権主義は、テロ国家の烙印を押される事になるでしょう。むしろ、今の、グローバリズムを軸にして、東亜の安定が成っている状況をこそ、至上と観るべきではないでしょうか。
その意味でも、北朝鮮の転換というのは、意義が深いものだと思います。
「歴史から学ばなければならない。」と言うと、「過去を振り返っても、何もならない。」と言う人が居たりします。そういう人に限って、「歴史を全く知らず、“自分が信じたくない事”に対して、何の根拠も無しに『在り得ない。』と条件反射の様に否定する。」のが常。古今東西、人間というのは似た様な過ちを繰り返しており、そういう「在り得ない。」と無根拠に否定する人が一定多数を超えた所で、戦争に突入したりしているんですよね。
自衛隊達の真摯な活動に対しては敬意を持っても、だからと言って“歴史”を踏まえた上で、危うさが在る時には注意を払う。人間が本来持ち得る“危険察知力”というのが、無思考を心地良く感じる人達からは失われつつ在る。そんな懸念を、昨今は感じております。
本当にびっくりするニュースでした。
政治家特に国会議員は国民の殺生与奪を握る権力を持っていますが、自衛隊はそれこそ殺生与奪が出来る実力を持っているわけですから、ひとつ間違うと本当に恐ろしいことになります。
災害時等に救難活動に駆り出される、現場の自衛官の働きには頭が下がりますが、彼らを指揮する立場の幹部の中には、本当に国民(全体)を守ろうとする意識があるのだろうかと不安になることもあります。
本質的に軍隊は敵を威圧・攻撃することが本分であり、その敵が外国であるとは限らず、むしろ往々にして自国民に銃口を向けることが、世界を見渡しても稀ではなく過去においては日本でも度々起きています。
丸腰の国民に対し、武器を持つものが恫喝することの無いよう、文民統制というルールがあるにしても、武器を持つものがそのルールを無視することがあれば、一瞬にしてクーデターは起きてしまいます。
故に私は自衛隊に対して嫌悪感とまでは言わなくても、不安感のようなものを感じています。
武器を持つ自衛隊でなく、高度に訓練された災害救助隊だけであれば、憲法への明記にももろ手を挙げて賛同なんですが。