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【勉強以前】
講義でのノートの取り方や教員への電話の掛け方、研究室への訪問の仕方等を事細かに記した新入生向け学習方法マニュアルを、愛媛大学が作成した。一部の学生や教員は「馬鹿馬鹿しい。」、「其処迄やるか。」と冷ややかだが、大半は歓迎とか。勉強に付いて行けず退学する学生を繋ぎ止める経営戦略上からも、大学としては学力の底上げに必死なのだという声も。
[「週刊新潮(6月7日号)」の連載コラム「B級重大ニュース」より]
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このマニュアルに対して冷ややかな目を向ける当事者が居る一方で、少なからずの人達が歓迎の意を表しているというのは吃驚の思い。大人と言っても良い年頃の学生達に、こんなレベルの事迄マニュアルを作成して教え示さなければならないというのでは、彼等が社会人となって以降も様々な事柄に対して、それこそ手取り足取り懇切丁寧に解説されたマニュアルを人事部等が用意しなければならなくなるのかも。
決して優秀では無い、寧ろ落ちこぼれ学生だった大学時代の自分。自身で学費を稼がなければならない事も在り、日夜バイトに明け暮れ、肝心の講義には殆ど出ていなかった。「こんな状態では定期試験を受けた所で、及第点を得られる訳が無い。どうしよう・・・。」”難局”を乗り切る方策を、無い頭を散々使って考えた。
悪友に講義での代返を頼んだり、講義内容を記したノートをコピーさせて貰い、その代わり英語等の比較的得意だった科目の試験では、書き終えた答案用紙を彼等が見易い様に机の端に置く、つまりカンニングさせるというバーター契約を結んだ。又、試験の問題を解いて行く中で「これは及第点に届きそうも無いぞ。」と感じた際には、答案用紙の裏に問題とは全く無関係な事柄に付いて長々と私見を書き連ねた上、「試験問題への解答に自信が無い為、別の事柄に付いて私見を書かせて貰いました。悪足掻きなのは重々理解しておりますが、少しでも努力を認めて戴ければ幸いです。」といった一文を書き添えたりもした。決して褒められる事では無い我が汚点だが、「何とかしなければ。」という必死な思いから馬鹿な頭をフル回転させ、”玉砕”覚悟で色々試みていたというのも事実。
マニュアルという物自体を否定する気は全く無いが、「何でもかんでも他者から与えられた情報を元に動く。」というマニュアル至上主義になってしまうのは決して好ましい事ではないだろう。ミスする事を過度に恐れる余りにマニュアルへの依存度が高まってしまうのかもしれないが、「Trial and Error」で人間は進化して行くものではないか。自らの頭で思考し、そして試みた結果、ミスしたって良いと思う。勿論、同じミスを何度も繰り返すのは論外だが。
【勉強以前】
講義でのノートの取り方や教員への電話の掛け方、研究室への訪問の仕方等を事細かに記した新入生向け学習方法マニュアルを、愛媛大学が作成した。一部の学生や教員は「馬鹿馬鹿しい。」、「其処迄やるか。」と冷ややかだが、大半は歓迎とか。勉強に付いて行けず退学する学生を繋ぎ止める経営戦略上からも、大学としては学力の底上げに必死なのだという声も。
[「週刊新潮(6月7日号)」の連載コラム「B級重大ニュース」より]
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このマニュアルに対して冷ややかな目を向ける当事者が居る一方で、少なからずの人達が歓迎の意を表しているというのは吃驚の思い。大人と言っても良い年頃の学生達に、こんなレベルの事迄マニュアルを作成して教え示さなければならないというのでは、彼等が社会人となって以降も様々な事柄に対して、それこそ手取り足取り懇切丁寧に解説されたマニュアルを人事部等が用意しなければならなくなるのかも。
決して優秀では無い、寧ろ落ちこぼれ学生だった大学時代の自分。自身で学費を稼がなければならない事も在り、日夜バイトに明け暮れ、肝心の講義には殆ど出ていなかった。「こんな状態では定期試験を受けた所で、及第点を得られる訳が無い。どうしよう・・・。」”難局”を乗り切る方策を、無い頭を散々使って考えた。
悪友に講義での代返を頼んだり、講義内容を記したノートをコピーさせて貰い、その代わり英語等の比較的得意だった科目の試験では、書き終えた答案用紙を彼等が見易い様に机の端に置く、つまりカンニングさせるというバーター契約を結んだ。又、試験の問題を解いて行く中で「これは及第点に届きそうも無いぞ。」と感じた際には、答案用紙の裏に問題とは全く無関係な事柄に付いて長々と私見を書き連ねた上、「試験問題への解答に自信が無い為、別の事柄に付いて私見を書かせて貰いました。悪足掻きなのは重々理解しておりますが、少しでも努力を認めて戴ければ幸いです。」といった一文を書き添えたりもした。決して褒められる事では無い我が汚点だが、「何とかしなければ。」という必死な思いから馬鹿な頭をフル回転させ、”玉砕”覚悟で色々試みていたというのも事実。
マニュアルという物自体を否定する気は全く無いが、「何でもかんでも他者から与えられた情報を元に動く。」というマニュアル至上主義になってしまうのは決して好ましい事ではないだろう。ミスする事を過度に恐れる余りにマニュアルへの依存度が高まってしまうのかもしれないが、「Trial and Error」で人間は進化して行くものではないか。自らの頭で思考し、そして試みた結果、ミスしたって良いと思う。勿論、同じミスを何度も繰り返すのは論外だが。
私も肝心の講義にはほとんど出ず、日本の大学を中退しています(汗)。
ただし、こちらは生活のためのバイトなどという殊勝な理由ではなく、ただキャンパスに行きたくないという倦怠感が支配していたからというだけですが。
Giantsさんの場合、生活に必死だったという事情はよく分かります。
私は「中退は恥ではない」と書いたことがありますが、中退を万人に勧めているわけではありません。
私の場合、日本の大学を中退したあと、アメリカに行って大学に編入するのですが、そこは4年掛かるところを3年で卒業しました。ここで中退したら人間が駄目になると思って必死でした。成田を発った飛行機の中で絶対に卒業する。卒業するまでは帰国しないと自分に誓い、その誓いを守ることができたのです。
ただ根っから人間が怠惰なため、講義に出ないことが何度かありまして、そのときはベトナム系移民の友達などからノートを写させてもらったりしました。アフリカからの留学生に頼んだこともありました。ノートがフランス語で書かれてあったのには閉口しましたがw。
まあ私の場合、アメリカでの大学生活は日本でのそれと180度違って概して楽しく、充実したものだったので卒業できたわけです。
>こんなレベルの事迄マニュアルを作成して教え示さなければならないというのでは、彼等が社会人となって以降も様々な事柄に対して、それこそ手取り足取り懇切丁寧に解説されたマニュアルを人事部等が用意しなければならなくなるのかも。
マニュアル化というのはすでに受験参考書などにも及んでおりまして、式の計算や因数分解のごくごく簡単なことも、図解しながら、手取り足取り言葉で説明してある本、そこまで詳しく書くかと半ば呆れてしまう本が多い。
ただこの点に関しては、私はあまり偉そうなことが言えません。日本の大学院では論文を書くのに、難しい参考文献を教官からいきなり手渡されましたが、そこに何が書かれてあるのか、自分は何を書いていけばいいのかさっぱり分からない日々が長く続きまして、教官からは文字通り「手取り足取り」ご指導をいただきました。
二年目の終わりにやっと書くべきことが分かって、あとは十八番の「引きこもり」状態。教官の心配を余所に演習にも出ず、アパートの自室でひたすら書きまくり、教官に「これでいいですね?」と訊けば手直されることは分かっているから、教官にも訊かず、そのまま提出しました(笑)。
>勉強に付いて行けず退学する学生を繋ぎ止める経営戦略上からも、
これが日本の大学の嫌なところなんです。勉強についていけなければ退学を勧める、退学させる文化が根付かないんですね。退学して他の大学に転入できる文化、いったん就職して、仕事後や週末に大学に通って勉強を続ける文化が根付いてほしいです。
この記事では偉そうな事を書いたものの、自分が社会人になった頃は先輩方から、それこそ社内文書の書き方から目上の人への社会人としての言葉の使い方等を教わりましたから、マニュアル本を渡された新入生達とは大差無いのかもしれません。それに個人的にはアニュアル本の類が好きでは無かったので参考にする事は皆無に等しかったのですが、自分が学生だった頃は「彼女と良い関係になる為のデート・マニュアル」等、多くのマニュアル本が店頭に並んでもいましたしね。
唯、多くの後輩達を見て来た経験から強く感じるのは、自分等の頃よりも「ミスする事を過度に恐れていて、判らない事でも然も判っている様に振る舞い、結果的に大きなミスへと繋げてしまう子が目に付く。」という事。若いのですからミスをするのは当然だし、そのミスを糧にして更に成長してくれれば良いのに・・・と思うのですが、小さい頃から怒られる事に慣れておらず、それ故にミスを過度に恐れてしまうのかなあと感じています。
先日はコメントありがとうございました(^^)
何か日本全体が、マニュアルなしには何も進まない感じになってきてますねぇ(笑)
でもって、マニュアルに書いていないことは「できない」(=応用が利かない)あるいは「やらなくていい」って解釈をする人が出てきますから、結局マニュアルは分厚くなる一方なんですよね・・・
人のやっている事を見よう見まねでやりながら人からおかしな所を指摘され、ちょっと恥ずかしかったりヒヤヒヤしたり(笑)そういう経験の積み重ねの方がダントツ早く身に付くと思うのですが。実際私はそうでした(笑)
人とのコミュニケーションの中で磨かれるものがたくさんあると思うのですが、ますます”個”の時代は深みにはまってゆくのですねぇ。
よく考えれば大事なところで大事な場面で懸案事項をうまく処理するのも穏便に収めるのもマニュアルの力。 多くの人がその場の個人の考えや判断よりもマニュアルに従う方が安全だとの考えにとらわれている気がします。 マニュアルとは先人の残した宝でもあるでしょうが、あまりにマニュアルどおりだと、新しい発想とか一歩進んだアイデアとかが生まれにくくなることもあるでしょう。 それにマニュアルが必ずしも正しいお手本とも限らないと思います。 コンビになどの接客マニュアルにある日本語は間違いだとの指摘があるように。
自分もマニュアル車OKの免許を所持していますが、免許取得以後マニュアル車を運転したのは数える程に過ぎず、恐らく今では怖くて運転出来ないと思います。何と言っても運動神経に自信の無い自分にとっては、坂道発進で”原則”バックする心配の無いオートマ車は魅力ですから。
マクドナルド等、全国で均一のサービス(そう言えばマクドナルドが試験的に、地域毎に商品の値段を変える策を打ち出しましたね。確かに地域によって諸物価は異なるのですから、全国何処でも同料金にしなければならないという事は無いのでしょうが、消費者の反応はどうなんでしょうね?ここ数年、値付けでは何かダッチロールを繰り返している様なマクドナルド故、売り上げ低下で元通りに慌てて戻すという結果が見えている様な気も。)を提供する会社の場合はマニュアルが非常に大きな意味を持つとは思います。でもそういったメリットと同時に、何でもかんでもマニュアル道理に動かなければという”思考停止状態”に社員(パートも含め。)を追い込んでしまう危険性も秘めているのも事実なんですよね。