「与党は、自民党でなければ絶対に駄目!」とか、「政権交代は、もう懲りた。現野党には全く期待出来ないので、今後はずっと野党で在り続けろ!」といった頑迷な思いを持っている方は、今日の記事を読まない方が良い。読んでも全く面白く無いだろうし、時間の無駄になるだけだろうから。
昔の自民党は、党内に右派や左派、中道派といった政治家が混在していた。だから、様々な考え方を吸い上げる土壌が在り、与党として極端に右に振れたり、左に振れたりすると、全く逆の勢力や中道派が力を得るという、或る意味“党内での政権交代”が行われるのが常だった。党内での政権交代が行われても、党が大きく割れる事が無かったのは、彼等が“権力の旨味”を知り尽くしており、「一時的には主流派で無くなるけれど、自民党に留まり続けた方が得。」という計算が働いたからだと思っている。良くも悪くも“大人”な訳で、「少しでも考え方が異なると、“分裂”してしまう。」という動きを繰り返して来た“旧民主党”の連中は“子供”と言って良いだろう。
自民党が「多様な考え方を持つ政治家の集団だった時代。」ならば、政権交代は必要なかっただろう。でも、今の自民党の様な“一方向の考え方の政治家の集団”、もっと言ってしまうと“安倍晋三党”と化してしまった状況では、自民党内での“自浄作用”は全く期待出来ない。「どんなに滅茶苦茶な事をし様とも、自民党を無条件で指示する人達だけが“御友達”で、少しでも疑問を持てば、“こんな人達”として排除される。」というのは非常に危険な事。(面白半分に排除する側に立っていると、ふと気付いた時には自分自身が排除される側に回っているという事を、歴史から学ばなければいけない。)そういう危険性を取り払う意味でも、「政権交代出来得る政党を、我々国民が地道に“育てる”必要が在る。」と、自分は考える。
旧民主党から喧嘩別れした立憲民主党と国民民主党が、(全員参加では無いけれど)合併する事となった。「合併した所で、結局は“毎度毎度の顔触れ”が前面に出て来るだけ。」と揶揄する声も在るが、毎度毎度の顔触れが前面に出て来るのは、自民党も全く同じだと思う。
「政権交代出来得る政党を、我々国民が地道に育てる必要が在る。」と考えている自分としては、今回の合併は決して悪く無いと考えている。一番大きな理由は、中村喜四郎氏という非常に面白い存在が加わった事。此方に彼の経歴が記されているけれど、「嘗ては自民党の中枢に居たけれど、安倍首相が返り咲いて以降は、『政権交代し得る強い野党を作らなければ駄目!』と東奔西走して来た政治家。」だからだ。「野党第一党で在れば、政権交代なんか出来なくても良い。」といった感じの微温湯に浸かった連中の意識を徹底的に変えさせる意味でも、合併後の党で彼を要職に抜擢して貰いたい。
自民党と真剣に闘う気が在るので在れば、自民党と同じ様な事をしていては駄目。差別化を図らないと、国民の興味すら集められないだろう。具体的に言えば、今の自民党が“一方向の考え方の政治家集団”となっているのだから、合併後は「右派や左派、中道派が混在する多様性を持つ党。」に向かうべき。
「そんな状態になったら、又、喧嘩別れをするだけ。」という意見も在ろうけれど、「色んな考えが在って自然。我々は多様性を重視するからこそ、再び合併したのだ。少しでも考えが異なるからといって喧嘩別れする様では、もう2度と政権交代なんて出来ない。徹底的に話し合った結果、決まった事はきちんと従う。嘗ての自民党の様な“党内で政権交代”出来る政党を目指そう!」と、上層部が党内の政治家達に強く“教育”して貰いたい。
又、毎度毎度の顔触れが前面に出て来る自民党との差別化を図る意味でも、若手や中堅を要職にどんどん起用すべきで在る。“言うだけ番長”の様な見た目だけで中身の無い人物では無く、「確りとしたヴィジョンと裏付けの在る政策を持ち、脇が甘く無い若手や中堅。」の起用で無いと意味が無いのは、言う迄も無いが。
安倍首相の後継選びで、相変わらずの“密室政治”を見せ付けている自民党。ならば、合併後の党では「何事も可能な限り、公開して進める。」事も大事。そんな風に「自民党とは具体的に、こういう点が違うのだ!」というのをアピールしていかないと、政権交代なんて夢の又夢だ。
目先の利害にばかり心を奪われる狭量な政治家が与野党ともに多いという事でしょう。
それは我々国民が結果をすぐに求めたがり、そういう政治家を選んできたツケでもあると。
かの言うだけ番長は地元京都の政治家なので、ある程度のことは耳に入ってきますが、反共産非自民と言いながら、近年の自民党と共産党がそれぞれ何を言い、どう行動してきたかは関係なく、ただ共産党という看板だけを毛嫌いしており、その結果自民党を利しているという事が分かっていない御仁。
本気で政権を取りに行く気なら、目指すべき所が同じ方向の政治家には「寛容」を身に付けてもらいたいものです。
もちろん、今の自民党政治家のように権力のおこぼれにあずかるためにまとまるのではなく、国民のために何が最善なのか、を求める方向であってもらわなければなりませんが。
京都の御仁の方が、言うだけ番長としては元祖でしたね。昔は彼に期待しただけに、迷走振りにはがっかりです。
“箱乗り”が十八番の北海道の某政治家の様に、コロコロと立場を変える無節操なのも問題ですが、京都の御仁の如く極度な頑迷さというのも、どうかと思います。悠々遊様が書かれている様に、彼のしている事は自民党を利しているだけ。「結局は、彼も自民党に入りたいのではないか?」と思ってしまう。
「共産党と組む事を是としない。」という大義名分を掲げつつ、実際には権力に擦り寄りたいが為だけに、自民党に入党する旧民主党の政治家達。あんなにも批判していた相手に、するっと擦り寄るというのは飽きれる許りですが、「国民なんかどうでも良い。自分さえ良ければ、其れで良い。」という風潮を、率先して牽引しているのが政治家なのでしょうね。
しかし今回の国民民主党との合流のプロセス、それに続く代表選のやり方を見ていると、「こりゃダメだ」とため息をつきたくなります。
古賀茂明さんが書き込んでいますが、↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8618cd10a63f0b37b4775cf8efdc6fc99b83451
合流するなら、立憲の枝野代表は国民の玉木代表とじっくり話し合って、とことん詰めたうえで、両方の議員全員が合流に参加する形を取るべきでした。
ところが枝野代表は、党首会談も拒否し、玉木代表が求めた「(代表選規定には)地方の声、党員の声も反映できるように求めていくのは当然だ」との主張も撥ねつけて、結局代表選も、国会議員の投票のみで行われる事になりました。そんな事もあってか、玉木代表以下数人の国民議員が合流に不参加となりました。
古賀氏によると、「今年初めから、おそらく枝野氏は国民の玉木氏ら一部幹部を排除する形での合流を目指していると見ていた。結局その通りになった」という事です。合流のプロセスも「重大な議論が全て密室で行われ、党員はこの間、経過について知らされず、党としての重大決定に全く関与できていない」とあります。
「密室での談合」、「排除の論理」、「党員投票によらず国会議員だけの投票で代表を決める」…どれも、どこかで聞いたような話ばかりですね(笑)。
「開かれた野党」と言いながら、やってる事は古い自民党の体質そのものです。自民党の総裁選挙で党員投票が行われない事を批判しながら、自分とこも同じ事をやってます。「排除」に至っては、希望の党合流時に自分たちが排除されたので、今度はそれをやり返したようにすら見えます。「半沢直樹」じゃないですが、「やられたらやり返す、倍返しだ」ですね(笑)。
安倍政権に批判的な古賀さんに、ここまで言われるようでは情けない限りです。
こんな事では、いくら人数を寄せ集めたところで、国民に見透かされ、次の選挙でも自民党に勝つどころか逆に票を減らすかも知れません。困った事です。
giants-55さんは「若手や中堅を要職にどんどん起用すべきで在る」と書かれていますが、私も同感です。政権交代できる野党になる為には、旧民主党の中心だった人はみんな降りて、若い方に世代交代するくらいの荒療治を行うしか道はないと思います。
それで思い出しましたが、今年公開された映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」は、旧民主党から立候補し、現在は立憲民主党の代表特別補佐を務める衆議院議員、小川淳也氏の17年間の歩みを描いたドキュメンタリー作品ですが、これを見ると、政治家の中にもこんな純粋で真っ直ぐで、正義感に満ちた方がいたのかと感銘を受けます。拙ブログにも感想を書きました。↓ 映画も結構ヒットしているようです。
http://otanocinema.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-2f1d38.html
こういう方こそ、党の要職につけて、それこそ政権交代の起爆剤となって、映画タイトルとは逆に総理大臣になってくれたら、日本の政治も大きく変わるのではないかと思います。
実際、先ほどの古賀氏も週刊誌で「立憲民主党は小川氏を党代表にすべきだ」と書いておられます。現状では実現は難しいでしょうが、是非将来、そうなって欲しいと、心から願っています。
枝野代表のスタンス、自分も疑問を感じる点は在ります。「結局、野党という小さな“村”の中で、“村長”を務めていられれば良いと思っているのではないか?」という気がしたりもしますし。
政治家が最優先すべきは「私」で無く、「国家&国民」で在るべきなのに、そういう大きな器を持った人材が見当たらないのは、本当に残念。何度も言いますが、そういう政治家を選ばない国民が一番悪いんですけどね。
唯、今回の合流話に関して言えば、枝野代表は珍しく譲歩した方だと思っています。其の一方、枝野代表が譲歩すれば、新たな要求を次々に出して来た玉木代表に関しては、「合流する気が全く無いのだな。」と思わざるを得ませんでした。遠からずに彼は、自民党に入党するのではないでしょうか。
古賀茂明氏の記事、自分も以前読みました。小川淳也氏の事も存じ上げていますが、真っ直ぐな思いを持っていても、其の思いが遂げられない政界というのは、何とも面映ゆいですね。
そういう高い志を持った人達がどんどん政治家となり、そしてタッグを組んで政治を変えてくれれば良いのですが、其の前に立ち塞がる“大きな壁”が世襲議員の様に思っています。
11年前の記事(https://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/6e63ddd5166e469de0e97e748d35416e)で詳しく書いたのですが、「どんなに高い志を持った有能な人材でも、同じ選挙区に世襲候補を立てられると、勝つのは非常に難しい。逆にどんな盆暗でも、世襲候補で在れば、勝つのは容易い。」という現実が在る。こういう部分をバサッと変えて行かないと、日本の政治の未来は暗いですね。