タイのチエンラーイ県で発生した「タムルアン洞窟の遭難事故」は、少年達13人が洞窟に閉じ込められてから12日目迄に、全員が無事救出された。彼等が閉じ込められていた場所迄、物資を届けに行った元タイ海軍特殊部隊のダイヴァー1人が、潜水中に亡くなったのは非常に残念だし、気の毒では在ったけれど、兎にも角にも少年達全員が無事救出され、思っていた以上に元気そうなのは、本当に良かったと思う。
今回の救出劇を通して強く感じた事は、「不毛な争い事が少なく無い昨今、幾つもの国の関係者達が、『少年達を無事救い出す!』という思いの下に一致団結していた素晴らしさ。」だ。そして、もう1つは「同じ事が日本で起こったら、『少年達を、何としても無事救い出して欲しい。』という声も多く上がるだろうけれど、同時に『危険なのが判っていて洞窟に入ったのだから、彼等は人を頼らずに、自己責任で何とかすべきだ!』という自己責任論を振り翳し、少年達を執拗に叩く連中が多く現れるだろうな。」という思いも。そういう連中は、少年達が救出された後でも、執拗に叩き続ける事だろう。
今回、タイ国内でも自己責任論を振り翳す声が無かった訳では無い様だが、そういう声は非常に少数派だったと言う。此の事に付いて毎日新聞が分析しており、とても興味深かった。
先ず、「タイの一般国民は日本と異なり、『救出費用に、国民の税金が使われている。』という意識が概して希薄で、又、支援する人にとっては『善行を積む良い機会。』と捉えているのではないか。」と。何と無く判る気がする。
そして、「タイでは『子供は、大人に守って貰う存在。』という意識が強い事に加え、国民の9割以上が信仰する仏教に根差した“互助の概念”が背景に在るのでは。」という考え方も。
「自分達の救出に際し、1人の命が失われた。」という事実は間違い無く在る訳で、「13人の少年達は、其の事実を忘れないで生きて行って欲しい。」とは思うけれど、だからと言って「自己責任という言葉を錦の御旗とする事で、実際には自身のストレスを発散したいが為だけに、他人を叩いている人が多い様な日本。」というのは、実に不健康だ。
タイは共産党が非合法化されて来た、と言いますが、仏教徒の多さといい、選択の余地が少ない事が、安定の理由かも知れません。日本は自由ですが、人生において何も見つけられない、という失敗は、教育や家庭の質の問題で、そういった経験の希薄さが、孤独といった都市問題の原因ではないでしょうか。法の機械的処断は冷酷に過ぎると思いますが、子供を大人が導き、その過程においては、温情だけでなく、叱責や懲罰をも肯定出来ねば、このタイの出来事は称賛出来ないと思います。
最近は滅入るような話題ばかりが目につきますが、全員救出というこのニュースは久しぶりの明るいニュースでしたね。
タイは微笑みの国と言われる一方で、軍事政権というアンバランスな印象を受けます。
仰るように日本でこの事件が起きていたら、喜々としてバッシングに走る輩が増えていたことでしょう。
思えば、かつてイラク人質事件で辛坊次郎氏が「自己責任」を振りかざしてバッシングしてから、この国の匿名・名無しさんたちはこの言葉が大好きになったような気がします。
「其の国にとってベストな体制は、必ずしも西洋を範とする必要は無いと思います。」というのは同感です。世界標準というのが必ずしもベストとは限らず、時には日本独自のスタイルがベター(ベストとは言えない迄も。)な事も在るし。唯、「日本独自のスタイルこそベスト。」と妄信してしまうと、極右や極左の思考と同一になってしまい兼ねないので、其の辺は留意が必要でしょうね。
“昔”は“昔”の良さも悪さも在り、又、“今”は“今”の良さも悪さも在る。此れは何処の国も言える事で、我が国も例外では無い。良い所も在れば、悪い所も存在する。
唯、不寛容さという点に関しては、今の日本は戦時中の雰囲気と似て来ている様な危うさを感じます。
救出された少年達の屈託の無い笑顔、見ていて和みました。でも、若し日本で同じ光景が映し出されたら、「勝手に洞窟に入り込み、多くの人に迷惑を掛けただけでは無く、1人の命が失われたというのに、笑顔とは何事だ!!」という批判が出そうな気がします。
タイって、不思議な国だと思います。以前の記事でも触れた様に、“微笑みの国”と称され、優しくて親切な人が多いのに、一方で“死体博物館”や“死体写真を専門に扱った雑誌”が普通に売られていたりする。軍事政権という事実も、仰る様にアンバランスさを感じるし。
イラク人質事件では「自己責任」を振り翳し、嬉々として批判していた辛坊次郎氏。でも、自身が「ヨットでの遭難事件」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%9D%8A%E6%B2%BB%E9%83%8E#%E3%83%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E3%81%AE%E6%A8%AA%E6%96%AD)を起こした際には、其れこそ「自己責任」で在る筈なのに、“見苦しい言い訳”に終始し、誤魔化していた。極右や極左と称される人達の良く在るパターンが此れで、「『他者には異常に厳しいけれど、自分には大甘。』というダブル・スタンダード的な言動。」には、本当に辟易とさせられます。身勝手以外の何物でも無いから。