2020年夏季オリンピックの開催地が東京に決定した。2016年夏季オリンピックの開催地がリオデジャネイロに決まった4年前、記事「奮起せよ!!」で開催地に名乗りを上げていた東京が落選した事を「良かった。」と自分は記したが、今回も「東京が選ばれない方が良い。」と考えていた。(「自民党政権下での出来事は、全て反対。」というスタンスでは無い事を判って戴く為、敢えて此の一文を記させて貰った。妙な勘繰りをされるのは、非常に不本意なので。)「東京で開催するのは反対。」とするのは「奮起せよ!!」でも書いた様に、「メリットよりもデメリットの方が多い。」という理由からだが、此の点に関しては後述する。
開催地が決定するという事で、一昨日から昨日に掛けてのメディアによる報道振りは、度を越していた様に感じる。どんな時でも“独自路線”を貫くテレビ東京を除けば、TV局は朝から延々と「開催地が何処になるのか?」という事を放送し続けていた。「日本では、他に取り上げるべき問題は皆無。」といった感じの一点集中報道には、何とも言えない違和感が。
又、3年前の記事「盛り上がるのは勝手ですが」で、「2010 FIFAワールドカップ開催中に、知人と御洒落系の飲み屋で静かに語らっていた所、屋内の離れていた場所でサッカー中継を見て騒いでいた1人のおっさんが近寄って来て、『日本代表チームが出場しているっていうのに何故見ない?あんたは非国民か?』等と、散々罵倒された。」話を書いた。「知人と静かに語り合いたかったので、御洒落系の飲み屋に来た。サッカーには別段興味が無く、見ないからって非国民扱いされるのは理解不能。其れも、サッカーには全く興味が無かった様な俄ファンのあんたに、どうこう言われたくない。」と言いたかったけれど、アホを相手に反論しても虚しいだけなので無言を貫いたが、非常に嫌な気分だった。
今回の度を越した報道の中には、「東京で開催される事を望まない奴なんか、真面な国民じゃ無い。」とでも言わん許りのスタンスで番組を仕切っている者も居り、アホなおっさんに絡まれた時と同じ気分に。
オリンピックを東京で開催する事でのメリットとして、「景気回復」や「国威発揚」を挙げる人が少なく無いだろう。「国威発揚」に関しては否定しないし、「景気回復」の効果も無いとは思わない。でも、「景気回復」は一時的な物で、オリンピック開催によって膨らむで在ろう“国の借金”を、自分は懸念する。其れこそが、最大のデメリットとも。
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「【オリンピック】日本政府の借金は、東京オリンピック開催が発端だった?」(9月4日、ハフィントンポスト)
2020年のオリンピック開催地を決定するIOC総会が間も無く、アルゼンチンで開催される。オリンピック招致を目指す東京都の猪瀬知事は9月3日に、既に現地入りしている。
東京でのオリンピック開催に付いては、其の経済効果と財政負担を巡って、賛否両論が在る。東京都では経済効果や費用に付いて控え目な試算を出しているが、もし実際にオリンピックが招致される事になった場合には、日本の財政の大きな転換点になる可能性が在る。
東京都が試算したオリンピックの経済効果は、需要増加が約1兆2,000億円、経済波及効果は約3兆円となっている。直接的な需要増加はGDPの僅か0.25%にしか過ぎず、日本経済全体から見れば、効果は殆ど零に近いと言って良い。
だが、此の試算に対しては、「オリンピックの効果に付いて、意図的に過小評価している。」という声も聞かれる。
オリンピック招致に付いては、財政負担に対する懸念から反対意見も多く出ており、東京都はこうした声に配慮して、御金の掛からないオリンピックを標榜して来た。此の為、経済効果に関する試算に於ても、極力範囲を絞った計算が行われている可能性が在る。実際、東京都はオリンピックの有無に関係無く、整備されるインフラに付いては、試算の対象から除外するという処理を行っている。
オリンピックの開催によって、最終的に何の程度の御金が動くのかに付いて、現段階で予測するのは難しい。と言うのも、開催地以外の場所で在っても、オリンピックを契機とした公共事業が活発化する可能性が在るからだ。開催地で在る東京とは全く関係の無い場所でも、オリンピック観戦に来た外国人観光客を取り込む為のインフラが必要だという話になれば、大型施設の整備を検討する自治体が出て来る事になるかもしれない。
此の様なインフラ整備が各地で行われる事になれば、オリンピック慎重派が主張する通り、公共事業に対する予算要求が大幅に増大して来る可能性も否定出来ない。
確かに日本の財政は、1964年に開催された東京オリンピックが大きな転機になっている。東京オリンピックに向けて活発に行われてい公共事業がパッタリと無くなり、翌年の1965年には「40年不況」と呼ばれる大型不況に突入した。景気対策として財政出動が必要となり、同年には到頭、戦後初の国債が発行された。現在の日本の累積債務の山は、東京オリンピックの後始末がスタート地点なのだ。
最近では、国家の体力を無視したオリンピック関連のインフラ整備が国家破綻の切っ掛けになったギリシャの例等、オリンピックと国家財政の関係は深い。
此の所、日本では良好なGDPの数値が得られているが、内実は、大型公共事業による効果(2012年度補正予算を用いた、総事業費20兆円の緊急経済対策。)と消費増税前の駆け込み需要で在る。来年以降は景気失速が懸念されており、オリンピック特需への過剰な期待が生まれ易い環境に在る。オリンピック特需の為の国債増発が国債価格の下落を招き、結果として利払い負担を増加させてしまうのでは本末転倒で在る。日本の財政規律は今、正念場に差し掛かっているのだ。
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先月、財務省は「今年の6月末時点での国の借金が、初めて1,000兆円を超え、約1,008兆円に達した。」事を明らかにした。先進国の中でも日本の債務残高は、経済規模の2倍と最悪レヴェルに在るのだとか。日本の人口は約1億2千万人なので、(赤ん坊から老人迄を含めた)国民1人当たりの借金額は約840万円という事になる。此の大きな借金の発端が、49年前の東京オリンピック開催にあったというのは、今回初めて知った。
「東京でオリンピックを開催すれば公共事業が増え、景気が大幅に回復する“だろう”。」、「観光で来日する外国人が増加し、沢山の御金を落としてくれる“だろう”。」、「景気が大幅に回復すれば、企業も国民も多くの納税をする“だろう”。」といった「だろう」を積み重ね、「だから、国の借金は一時的に増えても、多くの納税により借金は減らして行ける“だろう”。」という“机上の推測”だけで、「安心」を“安売り”する政治家達。過去、此の論理に基づいて、何れだけの無駄な箱物作りが行われて来た事か?其れ等に莫大な血税が投入され、次々に借金が生み出されて行った結果が、今の大借金になったのではないか?
「孫子の代に、多くの借金を残してはいけない。」と、多くの国民が主張していたのは、そんなに昔の話では無い。しかし、昨年に政権交代が起こり、「アベノミクス」という実態の無い(と自分は思っている)経済政策の下、嘗てと同じ「散撒き行政」&「箱物行政」が復活し、より以上の国の借金が積み上がっても、何の疑問も持たない不思議さ。「アベノミクス」という言葉に浮かされ、躍らされている人が少なく無いのではないだろうか。
今回のオリンピック招致に関しても、何か浮かされ過ぎている人が少なく無い様に感じてならない。東京でオリンピックを開催する事に、賛成の意見を持ったって、其れは全くの自由。唯、浮かされ過ぎ&踊らされてしまうと、「国民の気持ちが浮ついている今こそチャンス!」と、消費増税やら何やらと、政府は遣りたい放題をして来る事だろう。
「2020年夏季オリンピックの開催地選考」では、“ロビー活動”という名の金銭の散撒きが在ったと推測する。綺麗事だけでは済まない浮世故、そういう“工作”を完全否定する積りは無いが、今後、“御褒美”として何れだけのODAが乱発されるのか、注視する必要が在る。
ちなみに最後の「ご褒美」ですが、系図をご覧になれば彼らは該当しえないです。
父親の方は旧竹田宮恒徳王の3男だからです。2男以下は臣籍に行っています。竹田宮恒徳王の叔父は小松姓を名乗っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E8%BC%9D%E4%B9%85
(皇族特権が利かなかったので戦犯として随分長いこと拘留されてます)
もっとも戻らないほうが得策でしょうね。JOCや政治に関わる場合は。高円宮妃の不自由そうなスピーチに思いました。気の毒でした。
日本国民こぞって喜んでいる、と、いってもらいたくありません。私は、日本国民ですが、喜んでいません。
giants-55さんのいう通り、東京でオリンピックをやる意義がわまりません。潤うのは、ゼネコンなど一部の業界だけでしょう。
開催地が東京に決定した後に行われたアンケート結果が公表されていましたが、其れでは7割以上の人が賛成という事でした。そんな中、反対を口にするのが野暮な事は十二分に判ってはいるのですが、個人的にはどうしても納得出来なくて。
何方が正しいという問題では全く在りませんので、賛成で在ろうと反対で在ろうと構わないのですが、(AK様は別として)上っ面の部分だけを見て賛成(乃至は反対)している様な人が見受けられるのは、どうなのかなあという感じが在ります。
“彼の親子”と態々暈して書いたのに、正解(?)を書いちゃ駄目ですよ。でも、彼等はそういう系統でしたか。少なくとも息子の方は野心満々(?)な表情で「戻る覚悟は出来ています。」なんぞと口にしていたので、ウルトラC級の抜け道が在るのかも。
候補地の中には王室の人間がバックアップしているケースも在り、其れを考えるとスポーツ関係の話に皇室が関与するのは必ずしも悪いとは思えない面も在る。唯、野党時代に与党の自民党に対して色々非難していた民主党が、いざ与党になったら非難していた事を自分達も遣っていたのと同様、一寸した事でも「皇室の政治利用だ!」と非難していた野党時代の自民党が、どういう形で在れ今回は皇室を政治利用したのは確かなのですから、「立場によって、随分都合の良い解釈をするんだなあ。」と感じました。
他の国でもそういう傾向が無い訳では在りませんが、日本は特に「主流派に同調しない人間を、力尽くで排除しようとする傾向が強い。」気がします。
揚げ足取りをしたい訳では全く無いけれど、今の日本には最優先課題がもっと在ると思う。近年、「地道に“抜本的な対策”を講じて行き、少しずつ良い方向に変えて行く。」というのが軽んじられ、「一発逆転で、ドカンと当てる。」のを良しとする様な、謂わば“鉄火場的思考”が世の中に強くなっている様な気がします。
そんなものを作ったら、他の家から総スカンでしょう。より順位が高いのはこっちだ、いやいや血縁ならこっちだとなるでしょう。
「戻る覚悟」云々言ってる時点で「ああこの方は不勉強な『出たがり』」と思いました。
アル中の殿下に相当取り入ったようですが(但し現行法では婿取りを含めた「養子」は禁止。2005年に法が改正されたら「婿入りの道がアリ」だったのに。もっとも相手のある話ですが)。あの亡くなった方もお父様は立派なのに残念でした。中途半端な位置の人だからああなったという例かもしれません。実は昭和40年代にはあの一族については彼と弟の代で打ち止め(次代は皇族から離脱してもらう)にしたらどうかと議論されたことがありました。旧法時代も竹田宮のような明治天皇娘用新設系&遠縁系はちょっとそんな感じの扱いだったようです(昭和天皇との心理的距離は血縁が何重も重なって近縁の近衛文麿とのほうが近く、彼らとはあまり親密な付き合いも無かったとか)
現JOC会長のお父様は他の「没落皇族・華族」とは異なり相当まともな人だったようですから、残念です。JOC会長がどういう人かは知らないですが、孫さんについては残念です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E5%AE%AE%E6%81%92%E5%BE%B3%E7%8E%8B
ウィキペディアを一応出しますが、今回の招致にも関わったらしい西武・堤氏との縁、よく考えると現知事はそれに関する書籍がありますからなんとも歴史マニアには感慨深いです。
>賛成
何を書いても喜ばれないでしょうが、挙げられた記事はアクセス稼ぎのために随分強引と言う印象を受けます(これはロンドン五輪前の英国メディアにもすごく多く見受けられました)。
招致活動開始の1929年から1940年の間の国内・海外情勢を考えると「五輪の為だけにここまで負債が」というのは非常に強引です。トンデモとしか言いようが無い。昭和恐慌や破滅的な農村の状況はご存知、と思うのですが。そしてこの当時の感覚や開催期間の長さ・規模を考えますと同時期開催予定の東京万博の存在のほうが非常に大きかったと思います。そして忘れてはいけないのは1940の紀元2600年のイベント。また農村改革の為の「新生活運動」というのが私の子供の頃盛んで、今も群馬などに行くと「新生活」という言葉が生きているのですが、これの大元はこの時代の「新体制運動」です。これにかかわっていたのが「革新官僚」岸信介でした。
もっとも何を書いても「マイノリティーを組み伏せるマジョリティー」扱いされるのがオチでしょうから、こんなに長く書くのも意味も無く馬鹿馬鹿しいですが。
「憲法解釈を変える事を企図しているのではないか?」等、歴代の首相と比べても“抜け道”を使うのを好んでいる様な現首相なので、何でも在りの様な気もしています。
「新生活運動」(http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-shakyou/seikatu/seikatu.htm)というのは初めて知りました。江戸時代の倹約令の様な感じもしたりしますが、自分が育った名古屋は華美な事が好きな土地柄でしたので、こういう所こそ、こういった運動が必要なのかも。
じゃぶじゃぶ税金を使ってヘタしたらリニアも7年後に間に合わせるかも
安倍首相には日本に限って言えば被災地の人達が日常生活を取り戻して東京オリンピックを迎えなければ誰が何と言おうとも東京オリンピックは成功では無い事を肝に命じて復興に取り組んで欲しいです
しかし森元首相はアルゼンチンに行く必要は無かったのではないでしょうか
オリンピック開催地に東京が決まった直後、TVでインタヴューに答えていた安倍首相に対し、質問者が「開催地が東京に決まった事で、安倍政権も盤石になり、長期政権の目も出て来ましたね。」といった趣旨の質問をした際の、安倍首相のリアクションが印象的でした。当ブログでも何度か指摘しましたが、安倍首相には幼稚な部分が結構見受けられ、“意に沿わない質問”をされると、必ずと言って良い程「直後にキョドったり、ムッとしたりし、慌てて不自然な笑顔(皮肉な笑顔)を浮かべる。」というのが特徴。今回も一瞬そんな表情を浮かべた後、「私は政権の事なんかでは無く、国民の喜びを考えています。」というコメントを返していました。本音は違う癖に。
首相という職は、「国民全体」を考えて言動しないといけない。「被災者」だけを見ていてもいけないし、「被災者」を無視してもいけない。バランス感覚が重要な訳ですが、民主党政権時より、何か被災者が置き去りにされている感じは在りますね。
森元首相、アルゼンチンからの中継で、確りカメラに映り込んでいましたね。彼は昔から芸能界やスポーツ界とは密接な関係に在り、其れが故に芸能人やスポーツ関係者が次々に自民党から立候補して来た訳ですが、スポーツ界の幾つかの組織で重職を務めている様ですし、其の関係でアルゼンチン迄行ったんでしょうね。御金の無駄って感じがしますけれど・・・。
「JOCの竹田会長とKOC(韓国オリンピック委員会)の金会長がブエノスアイレスで会談し、韓国で開催される2018年平昌冬季五輪と2020年東京夏季五輪の成功に向け、全面的に協力する事で合意した。」との報道が在りました。「合意した訳では無く、飛ばし記事だ。」という話も在りますが、其れは別にして、此の記事を受けて所謂ネット右翼が大騒ぎしているとか。「東京に開催地が決まる前は、色々いちゃもんを付けて来た韓国。東京に決まった途端、協力というのは余りに身勝手。」というのが彼等の考え。其の気持ちは判らないでも無いけれど、だからと言って「JOCに抗議という名前の“嫌がらせ電話”を皆で掛けよう!」というのは、余りにも幼稚で下品。訳の判らない事を言っている連中が韓国で多数派とも思えないし、何処の国でも変なのは居る。嫌がらせ電話なんていうのは、そういう連中と全く変わり無いし、徒党を組まなければ何も出来ないというのでは、下衆としか思えない。不毛なヘイト・スピーチといい、そういう事をするのは「日本の品位」を貶めるだけ。
オリンピック開催が綺麗事だけでは済まないのは、大人なら誰しも判る事では在りますが、東京での開催が決まった途端、メディアから流れて来るのは「儲け話」許り。此の前も書いた事ですが、近年の日本って「一発が逆転を狙った鉄火場的発想」が余りに主流を占め、「品が無いなあ・・・。」と感じてしまいます。誰しも御金は欲しいけれど、こうも露骨なのは・・・。