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「<横浜市民意識調査>若い世代程『ネットの差別仕方無い。』」(12月13日、毎日新聞)
横浜市が5年に1度の「市人権施策基本指針」の改定に向け、市民の人権に対する意識に関するアンケートを行った所、インターネットでの差別や女性の人権に対する関心が、5年前より高くなった事が判った。基本的人権に対する考えは、男女で大きな差が出た。若い世代程「差別は仕方が無い。」と考える傾向が強い事も判った。
アンケートは、7月に実施。住民基本台帳から無作為抽出した市内在住の20歳以上の5,000人の男女(外国人の住民は100人)に、人権への意識や差別の経験等、41項目に付いて郵送で尋ね、2,021人(40.4%)から回答を得た。外国人は9人が答えた。
関心の在る人権を尋ねた所(複数回答可)、最多は「インターネット上での人権」で45.6%。前回(33.9%)に比べ大幅に上昇した。次いで「子供の人権」(44.3%)、「女性の人権」(44.2%)の順。前回は「障害者の人権」(46.5%)、「子供の人権」(41.7%)、「高齢者の人権」(39.1%)だった。
「インターネット上での人権」で問題視する事は「他人の誹謗中傷」が66.6%で最多。「一度掲載されると拡散して、完全に消去出来ない。」(48.1%)、「法的な整備が不充分。」(37.7%)と続いた。「出会い系サイト等の犯罪を誘発する」は前回の55.3%から35.6%、「児童ポルノの温床。」は前回の40.6%から19.5%にと、何れも大きく減少した。
「今の日本は、基本的人権が尊重されている社会か?」という質問への回答は「そう思う。」は32.0%で、前回の18.7%から増加した。唯、回答は男女で大きな差が出た。「そう思う。」は男性41.3%に対し、女性は24.7%。「何方とも言えない。」は男性41.6%に対し、女性が56.2%だった。
差別に対する認識を尋ねた所、22.7%が「差別の在る事は仕方が無い。」と回答した。回答者を年代別で見ると、20代で43.5%、30代で29.1%、40代で27.6%。80代以上は15.1%で、年代が低い程、「仕方が無い。」と考える傾向が強かった。
市人権課は今後、アンケートの結果を分析した上で、市人権施策基本指針の改定に反映させる。
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「『差別の在る事は仕方が無い。』と考える人は、年代が低い程多い。」という事だが、自分の周りで言えば年代を問わず、「不利益を被る人が出るのは仕方無い。」といった、“仕方無い症候群”の罹患者が増えている様に感じる。彼等は概して「自分さえ良ければ、人の事なんかどうでも良い。」という意識を有し、“全く無根拠に”「自分は、不利益を被る立場に陥る事は絶対に無い。」と盲信していたりする。社会のセーフティー・ネットが破綻しつつ在り、誰もが不利益を被る可能性が出て来ているというのに・・・余りに想像力に欠けている。
こんな人達は、「国家権力に対する縛り緩め、逆に国民を縛るスタンス。」が露骨な自民党の「日本国憲法改正草案」に疑問すら持たない事だろう。「自分達が“縛られる”事なんか絶対に無い。」と無根拠に盲信し、気付いた時にはガチガチに縛られてしまっている。そうなってからワアワア騒いでも遅いのに。
若い人ほど「仕方ない症候群」の罹患者の割合が大きいのは、子供のころから続く長年の不況の中で「良い悪いではなく現実」という姿勢に徹せざるを得なかったからでしょうね。問題に対して「予防」「早期発見・早期対処」「こじらせてからの対処」の三段構えで臨むべきなのに、事例をさんざん紹介して予防を呼びかけても、問題に陥ってしまってからの対処法にはあまり言及しない報道や公的機関・民間企業の広報の影響か、「なってしまった人」に対する侮蔑的な言い方をする人が少なからずいるように感じられます。そのため、早くに打ち明ければ軽く済んだものを、蔑視を恐れて言い出せない人々も多いのではないかと推察します。
事情がある人が受ける考慮を「甘え」と批判して、考慮を削減していったら、いざ自分が考慮を受ける必要ができた時に考慮を受けられなくなる。古代中国に「通行証を持たない旅人を泊めてはいけない」という法律を作って、後に政変で失脚して逃亡中に、自分の作ったその法律に引っ掛かるからということで夜通し歩かなければならずに逮捕され、自分の定めた処刑法で処刑された商鞅という政治家がいます。自分の溜飲を下げることを優先することは、自分の首を絞める遠因になる。
個人や集団ごとの得手不得手や気質、長所短所の傾向はある。だからといって差別を正当化する口実を見いだすことは恥ずべきことです。合理的区別という名の難癖なんて、つけようと思えばいくらだってつけられるのだから。しかし、差別的・侮蔑的・露悪的な言い草をしている人に対して、直接か否かにかかわらず、きちんと反対を表明する人が少なからずいることは、まだまだ捨てたものではないと心強くなります。
権利問題(差別問題だけでなく労働問題等も含む)についての話題が出ると、必ず「Aもこういう状況にあるのだから、Bの状況はひどいものではない」という意見が出てきます。
「Aもこういう状況にあるのだから、Bの状況はひどいものではない」という考えではなく、「AもBもそれぞれ不利な状況にあり、それぞれに応じた配慮が必要だ」という考え方に変わっていけば、各種少数派も、一応多数派ではあるけど不利な状況にある人も生きやすくなるのではないかと。
中国の逸話、初めて知りましたが、何とも皮肉な話ですね。結局は“他人事”として考え、“自分の事”として考えられないからこそ、起こってしまった事。
「若い人程『仕方無い症候群』の罹患者の割合が大きいのは、子供の頃から続く長年の不況の中で、『良い悪いでは無く現実』という姿勢に徹せざるを得なかったからでしょうね。」、そういう面は在ると思います。唯、飽く迄も個人的な思いなのですが、此の“仕方無い症候群”の罹患者は、若い人だけでは無く、中高年の間にも急増している様な気がするんです。そういう人達が「自分が1票投じた所、世の中は何も変わらない。」と“評論家の如き言葉”を吐き、棄権したりしているのですから、本当に哀しくなります。
当ブログで何度か書いているけれど、「自分の主張こそが唯一無二的に正しく、其れ以外は全て誤り。そういう誤りは、力尽くで排除して構わない。」という思考が“概して”強いので、自分は「極右」や「極左」と呼ばれる人達の主張に共感を覚えない。でも、仮令自分の意見と相容れない部分が在ったとしても、多様性を認める所が少しでも在れば、「右翼」や「左翼」と称する人達の考えに耳を傾けるし、時には共感を覚える事も在る。
然し昨今、「右翼」だ「左翼」だと“無根拠”且つ“十把一絡げ”にした上で、異常な迄にバッシングする人が目立つ。其れこそ、「呪詛したいのか?」と思う程、執拗に叩いている人を見ると「怖っ・・・。」と思ってしまったりする。
以前、教職に就いている知り合いで、「近年、日本のマスコミに大量の在日朝鮮人が採用され、捏造報道を後押ししてるって知ってる?」等、ネット右翼化してしまった人(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/089c85a60bc17f66439ce7d40ae96b0f)の事を紹介しましたが、此の人物を見ていると、非常に興味深い。元々は優秀な人物で、プライドも半端無く高い。だから、自分が“ネット右翼”扱いされるのが嫌な様で、周りには「自分は色んな新聞を読んでいる。」と言い捲っているのですが、確かに色んな新聞は読んでいる様だけれど、其の“読み方”が普通じゃ無い。どういう事かと言えば、朝日新聞や毎日新聞、東京新聞等、何方かと言えば「左」的扱いを受けている新聞を読む際には、「現政権に対し、少しでもおかしな事は書いていないか。」という視点で、そして読売新聞や産経新聞等、「右」的扱いを受けている新聞の場合は、「現政権に対し、良い事を書いている部分。」だけを捜すという視点で読んでいる様なのです。
自分も色んなメディアに触れる様にしていますが、「右」も「左」も無関係に、是々非々で捉える様に務めている。其れが普通だと思うのだけれど、「極右」や「極左」と称される人達は概して、そういう思考が無い。程度の差は在れ、そういう人が一般的に増えているのは、自身で情報を精査するというステップを踏まないからなのかもしれませんね。