女子高生・A子は、愛知県豊川市に本店を置く信用金庫「豊川信用金庫」に就職する事が決まった。そんなA子が登校中の電車内で、友人のB子及びC子から或る話をされたのは、1973年12月8日の事。彼女等が口にした「信用金庫は危ないよ。」は、「信用金庫は強盗が入る事が在るので、そんな所で働くのは危険。」の意味で、其れすらも冗談で言った事だったが、A子は「信用金庫は、経営状態が危ない。」という意味に取ってしまう。
其の夜、就職先に不安を感じたA子は、親戚のDに「信用金庫は危ないのか?」と尋ねる。「A子の言『信用金庫』は、彼女が就職する事になっている『豊川信用金庫』を指している。」と思い込んだDは、豊川信用金庫本店付近に住む親戚Eに電話し、「豊川信用金庫の経営状態は危ないのか?」と問い合わせた。
以降の経緯は此方に記されているが、口コミで「豊川信用金庫の経営状態は危ないらしい。」という“デマ”が拡散されて行き、42年前の今日、即ち「1973年12月14日」、大規模な取り付け騒ぎとなってしまう。女子高生達の何気無い雑談に端を発したデマが拡散し、極めて短期間の間に約20億円もの預貯金が引き出される事となった「豊川信用金庫事件」。
伝言ゲーム形式にデマが拡散して行き、そして大パニックを引き起こす。愉快犯としてデマを拡散させる場合も在るが、「豊川信用金庫事件」の場合は、不安が不安を呼んだという面が強いのかもしれない。
インターネットの普及により、情報の拡散スピードは昔の比では無い。スピードだけでは無く、広がる範囲も尋常では無いし、一旦拡散した情報は、“ネット空間”を永遠に彷徨い続ける。其の情報が事実で在れば未だしも、デマの場合は多くの被害者を生み出し、そして長期に亘って苛ます事に。
だからこそ情報を流す側も、又、受け取る側も、其の情報をきちんと精査した上で行う必要が在る訳だが、残念乍ら今でも定期的にデマは拡散され、そして程度の差こそ在りすれ、パニックは起こってしまう。
人間誰しも、ミスはする。愉快犯では無く、心から事実と思って流した情報が、結果的にはデマだったという事も在るだろう。そういう場合は、直ちにミスを認め、謝罪する姿勢が大事。でも、首相や国会議員が意図的にとしか思えない形でデマを流し、デマで在る事が明らかになっても、黙りを決め込んだり、空々しい言い訳に終始したりするのだから、「デマを流して何が悪いの?」と開き直る輩が出て来るのも、当然と言えば当然なのかも。
そんな時代だからこそ、42年前の「豊川信用金庫事件」から、我々は色々学ばないといけないのではないか?