世界自然保護基金(WWF)の発表によると、「地球の生物の生息数・多様性を示す指数が、1970年~2000年の30年間で40%低下。」したとの事。つまり、30年間の間に、地球上の生物の内40%が死に絶えたと置き換えられる。
内訳でいうと、淡水生物(323種)の指数は50%、地上生物(555種)や海洋生物(267種)は30%減少したとの事。
又、現在、人類は地球の回復力を20%上回るペースで天然資源を消費しているという事で、北米での大量消費が際立っているのだとか。
20年程前に、「生物が一日一種消えてゆく-滅びの動物学」という本を読んで、自然環境の危うさや生態系の崩壊を思い知らされたが、あれからも確実に自然環境は破壊され、生態系も崩れている事を痛感した。
最近、熊が集落に迷い込んだというニュースを多く耳にする。異常気象の影響で、山には食べる餌が無い為に山から下りて来るのだろうが、人間が自然破壊を繰り返した結果、彼等のテリトリーをも侵食してしまったというのも一因だろう。否、そもそも異常気象ににも連関する地球温暖化も人為的なものである事を考えると、熊を追い込んでいるのは人間自身と言えなくもない。
生態系が過度に崩れたツケは、遠くない将来、人間自身に降りかかって来るのではないだろうか・・・。
拝見すると
>「ネイティブアメリカンの世界観では、動物達のための場所と、彼らの代弁者としての部族の人間という概念が在る。」という事ですが、そのアメリカ人が京都議定書を無視しているのは何とも皮肉ですね。
と書かれていたのですが、ネイティブアメリカンは我々がインディアンと呼ぶ人々のことですから、京都議定書を反故にしたWASPのようなキリスト教徒とは別に考えるべきかと思います。
良いインディアンとは死んだインディアンだけだ。という台詞を残した白人将軍もいましたし、インディアンをアメリカ社会の一員として語るときには、難しい概念が出てくるように思います。
熊にしても、彼らのテリトリーに人間が進出してきたので、境界があいまいになってしまっているんでしょうね。
ネイティブアメリカンの世界観では、動物達のための場所と、彼らのだ代弁者としての部族の人間という概念もあるように読んだことがありますが、すでに日本人はこの国土は全て日本人のためのものであって、動物達との調和ということは考えなくなったようにも思います。
そうはいっても、そこに住む人々にとって熊は脅威でしょうし、困ったものです。