プロ野球選手を題材にした書籍を、過去多く読んで来た。その中で、どうしても忘れられない2冊の書籍が有る。
1冊は、織田淳太郎氏著の「巨人軍に葬られた男たち」。球界の盟主足り得る為にと、過去に多くの不都合な事件や事象を抹殺して来たジャイアンツ。その過程で、”葬られた”選手達の人生を描いている作品なのだが、中でも1970年のドラフト1位として、ジャイアンツに入団した湯口敏彦投手の話が何とも痛ましい。個人の存在を軽んじ、ただひたすらに組織を守らんとする余り、一人の有意な選手を精神的に追い込み、結果的に自殺とも思える”怪死”に到らしめたジャイアンツ。詳細はこちらを参照して戴きたいが、ジャイアンツ・ファンの自分ですらも、この事件に激しい憤りを覚える。当時の監督だった川上哲治氏が、湯口投手の死に付いてコメントを求められた際に、「巨人こそ大被害を被った。大金を投じ、年月を掛けて愛情を注いだ選手。せめてもの救いは、女を乗せての交通事故で無かった事だ。」と言い放ったというのも、組織重視の考えが透けて見え、信じられない思いだった。
もう1冊は、「深夜特急」で有名な沢木耕太郎氏が1976年に著した「さらば 宝石」という作品。これ又、華やかなプロ野球界の陰の部分を描いている。
日本プロ野球名球会という組織が在る。説明するまでもないだろうが、「昭和生まれの選手で、生涯成績が、投手は200勝以上、又は250セーブ以上、野手は2000安打以上マークすると入会出来る任意団体」だが、この会に入会資格が有りながら、入会していない人物が3人居る。有名なのは落合博満現ドラゴンズ監督だろう。「入会資格の基準の不公平さ」が、入会を拒否している理由とされる。あくまでも、任意団体で有り、入会を強制されるべきものでもないのだが、”俺流”の面目躍如といった感じか。2人目は、「江夏の21球」で有名な江夏豊氏。以前は、名球会の会員として活動していたが、現在は会員一覧には名を見付ける事が出来ない。思うに、過去の不祥事から、会に迷惑を掛けたくないと自主退会したのではなかろうか。そして、残るもう1人が、「さらば 宝石」の主人公である榎本喜八氏である。
1955年に、毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団した榎本選手は、その類稀なる打撃センスで新人王に選ばれる。”打撃の神様”こと川上哲治氏をして、「セ・パ両リーグの選手を見渡して、今”打撃の神様”と言えるのは榎本しか居ない。彼の打撃のコツは名人芸だ。長嶋(茂雄)といえども榎本に追い付かない。」言わしめた選手で、当時を知る野球関係者の中には、今のイチローも及ばない打撃センスだったと言う人も居る程の天才性を有していた様だ。実際問題、同じ年(1936年)に生まれ、同じ背番号3を背負った長嶋選手との生涯記録を比較しても、さほど大きな差はない。日本プロ野球界で、史上3番目に2000本安打を達成している事からも、名選手であった事は否定出来ないだろう。
しかしながら、優れた打撃センスもさることながら、”エンターテイナー”としてファンに魅せる野球を心掛けた長嶋選手を陽と喩えるならば、一心不乱に打撃を極めるといった、”武士道”的な愚直さを漂わせる榎本選手は”陰”の存在だったのかもしれない。
練習という名前の”稽古”で自分を磨き、着実に成績を残していく榎本選手。しかし、チームを取り巻く環境の激変や煩雑な人間関係が、彼を次第に追い込んで行く。純粋に、打撃を極めようという立場に居られなくさせ、雑事に煩懊させる事となる。この頃より、彼の奇行が囁かれる様になった。彼が猟銃を手に、自宅の応接間に籠もり、発砲したという話もその一つである。
精神を病んだとされた彼は、奇行の度合いを酷くするのと反比例して、年々打撃成績を落として行き、1972年に西鉄ライオンズで現役生活を終える。これだけの大打者としては考えられない程の、ひっそりとした引退で、正に”消えて行った”と言っても良い程のものだったらしい。それから、彼はプロ野球の表舞台から消え去った。
やがて、1つの噂がプロ野球関係者やファンの間に立ち始める。「あの榎本選手が、引退して数年も経つのに、現役復帰を目指して長時間のハード・トレーニングをしている。」、「40に手が届こうとしている年齢にも拘わらず、何時か何処かの球団が自分を必要として迎えに来てくれると信じ、連日ハードなランニングをしている。」等々。実際に、沢木氏がこの作品の為の取材を進める中で、凄まじい形相で走る彼を見掛けているという事なので、単なる噂ではなく事実なのだろう。
これ等の噂には、「現役復帰を目指して、トレーニングに明け暮れる彼を賞賛する」というよりも、”奇行を憐れむ”意味合いが強いのは間違いないだろう。
湯口選手にしても、榎本選手にしても、結局は精神的に弱かっただけという声も有るだろう。その事は否定も肯定もしない。だが、プロ野球という華やかな舞台の裏で、組織や人間関係に翻弄され、消えていった選手が少なくはないという事実も知っておく必要が有るのではないか?激動の渦に巻き込まれた球界のニュースに触れるにつけ、その思いは強くなる。
1冊は、織田淳太郎氏著の「巨人軍に葬られた男たち」。球界の盟主足り得る為にと、過去に多くの不都合な事件や事象を抹殺して来たジャイアンツ。その過程で、”葬られた”選手達の人生を描いている作品なのだが、中でも1970年のドラフト1位として、ジャイアンツに入団した湯口敏彦投手の話が何とも痛ましい。個人の存在を軽んじ、ただひたすらに組織を守らんとする余り、一人の有意な選手を精神的に追い込み、結果的に自殺とも思える”怪死”に到らしめたジャイアンツ。詳細はこちらを参照して戴きたいが、ジャイアンツ・ファンの自分ですらも、この事件に激しい憤りを覚える。当時の監督だった川上哲治氏が、湯口投手の死に付いてコメントを求められた際に、「巨人こそ大被害を被った。大金を投じ、年月を掛けて愛情を注いだ選手。せめてもの救いは、女を乗せての交通事故で無かった事だ。」と言い放ったというのも、組織重視の考えが透けて見え、信じられない思いだった。
もう1冊は、「深夜特急」で有名な沢木耕太郎氏が1976年に著した「さらば 宝石」という作品。これ又、華やかなプロ野球界の陰の部分を描いている。
日本プロ野球名球会という組織が在る。説明するまでもないだろうが、「昭和生まれの選手で、生涯成績が、投手は200勝以上、又は250セーブ以上、野手は2000安打以上マークすると入会出来る任意団体」だが、この会に入会資格が有りながら、入会していない人物が3人居る。有名なのは落合博満現ドラゴンズ監督だろう。「入会資格の基準の不公平さ」が、入会を拒否している理由とされる。あくまでも、任意団体で有り、入会を強制されるべきものでもないのだが、”俺流”の面目躍如といった感じか。2人目は、「江夏の21球」で有名な江夏豊氏。以前は、名球会の会員として活動していたが、現在は会員一覧には名を見付ける事が出来ない。思うに、過去の不祥事から、会に迷惑を掛けたくないと自主退会したのではなかろうか。そして、残るもう1人が、「さらば 宝石」の主人公である榎本喜八氏である。
1955年に、毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団した榎本選手は、その類稀なる打撃センスで新人王に選ばれる。”打撃の神様”こと川上哲治氏をして、「セ・パ両リーグの選手を見渡して、今”打撃の神様”と言えるのは榎本しか居ない。彼の打撃のコツは名人芸だ。長嶋(茂雄)といえども榎本に追い付かない。」言わしめた選手で、当時を知る野球関係者の中には、今のイチローも及ばない打撃センスだったと言う人も居る程の天才性を有していた様だ。実際問題、同じ年(1936年)に生まれ、同じ背番号3を背負った長嶋選手との生涯記録を比較しても、さほど大きな差はない。日本プロ野球界で、史上3番目に2000本安打を達成している事からも、名選手であった事は否定出来ないだろう。
しかしながら、優れた打撃センスもさることながら、”エンターテイナー”としてファンに魅せる野球を心掛けた長嶋選手を陽と喩えるならば、一心不乱に打撃を極めるといった、”武士道”的な愚直さを漂わせる榎本選手は”陰”の存在だったのかもしれない。
練習という名前の”稽古”で自分を磨き、着実に成績を残していく榎本選手。しかし、チームを取り巻く環境の激変や煩雑な人間関係が、彼を次第に追い込んで行く。純粋に、打撃を極めようという立場に居られなくさせ、雑事に煩懊させる事となる。この頃より、彼の奇行が囁かれる様になった。彼が猟銃を手に、自宅の応接間に籠もり、発砲したという話もその一つである。
精神を病んだとされた彼は、奇行の度合いを酷くするのと反比例して、年々打撃成績を落として行き、1972年に西鉄ライオンズで現役生活を終える。これだけの大打者としては考えられない程の、ひっそりとした引退で、正に”消えて行った”と言っても良い程のものだったらしい。それから、彼はプロ野球の表舞台から消え去った。
やがて、1つの噂がプロ野球関係者やファンの間に立ち始める。「あの榎本選手が、引退して数年も経つのに、現役復帰を目指して長時間のハード・トレーニングをしている。」、「40に手が届こうとしている年齢にも拘わらず、何時か何処かの球団が自分を必要として迎えに来てくれると信じ、連日ハードなランニングをしている。」等々。実際に、沢木氏がこの作品の為の取材を進める中で、凄まじい形相で走る彼を見掛けているという事なので、単なる噂ではなく事実なのだろう。
これ等の噂には、「現役復帰を目指して、トレーニングに明け暮れる彼を賞賛する」というよりも、”奇行を憐れむ”意味合いが強いのは間違いないだろう。
湯口選手にしても、榎本選手にしても、結局は精神的に弱かっただけという声も有るだろう。その事は否定も肯定もしない。だが、プロ野球という華やかな舞台の裏で、組織や人間関係に翻弄され、消えていった選手が少なくはないという事実も知っておく必要が有るのではないか?激動の渦に巻き込まれた球界のニュースに触れるにつけ、その思いは強くなる。
合気道から取り入れた精神修行と独自の打撃理論で自ずから「神の領域」を口にした唯一の人間ではないでしょうか?
現シダックス監督の野村克也が榎本に対しこうコメントを残しています。
「よくセ・パ両リーグの野球のレベルについて聞かれるんですがね、私が現役でやっていたときで言えば、トップレベルの打者に関しては、パ・リーグのほうが上だったように思いますね。日本シリーズなんかでも、王・長嶋だけでしたね、気をつけなきゃいけないと思ったのは。それも、長嶋だけかな、本当に分からんのは。王は、榎本と似てましたね。同じコーチに習ったせいでしょうけどね。まあ、こっちはいつも榎本と対戦しているんで、王を攻めるのは易しかったですよ。例えば、王の選球眼は凄いって言われるが、榎本のほうがもっと凄いですよ。王は際どい球にピクっとバットが動きそうになるんで、こちらとしても攻めやすいが、榎本は全然動かんのですよ…ホント、あんな恐ろしいバッターには、後にも先にもお目にかかったことはないね」
この言葉が榎本の「神の領域」を称しているのでしょう。
落合、江夏両選手の名球界辞退は知ってましたが、榎本選手の話は知りませんでした。というよりも、榎本選手は名前を存じ上げている程度でどのような選手だったのかということまでは知りませんでした。中西太選手の伝説のホームランや尾崎投手のストレートなど、自分が生まれる前の名選手の伝説を聞くと、見れないことが悔しくてしょうがないです。将来、年をとったら、子供に松井やイチローをリアルタイムで見ていたと自慢してやろうと思っています。そのためにも、プロ野球の未来への発展を願います。
私の記憶には「法元」と云う名が残ってます。生まれて初めて観戦したプロ野球の試合で、先頭打者ホームランを打った選手です。ライナーのすごいホームランでした。。。あくまでも子供の目です。大層な選手ではありません。すぐ引退しまし、スコアラーやスカウトをされました。でも、記憶には残っています。
湯口は、私と同じ岐阜県です。残念ですね。岐阜短大付属高校も、校名も変わっています。「記憶」は薄れていくんものなんでしょうね・・・やっぱり「記録」なんでしょうか?。
星野も、江川も届かずで関係ないし、ヨロヨロでも、203勝ならば「名球会会員」ですか・・・くだらん基準ですね。本筋ならば、選手会の延長線上での「プロ選手OB会」が筋ではないでしょうか。A級B級はあるでしょうけどね。選手会も未成熟ですから、まだまだですよね・・・プロ野球界は、経営はあんぽんたんだし、本当に問題山積みですよ。
沢木の本は面白いですよね。榎本・・・そうですよね。悲しくなりました。ボクシングのカシアス内藤や輪島の話も・・・いいですね。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、URLを失念してしまった為、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
自分にも、記録としてよりも記憶に強く残っている選手は何人も居ます。来日早々、とてつもないホームランを連発したボブ・ホーナー選手(スワローズ)や呂明賜選手(ジャイアンツ)、バッティングフォームが妙に印象に残る杉浦享選手(スワローズ)等。決して、記録だけがプロ野球の醍醐味ではないと思いますが、何年も経っていくと、結局は記録で語られる事が多くなるのも事実なんでしょうね。
沢木氏の本は自分も大好きで、殆ど読破してます。彼の作品は、光の当たらない人物や事象、敗れ去った立場の人間にスポットを当てているのが特徴で、読み終わった後に、何とも言えない切なさが残ります。特に、ボクシング選手を扱った作品に秀作が多いですね。
これからも宜しく御願い致します。
自分は年齢が若いもので昔にそんなことがあったとは知りませんでした(^^;)
やはり昔から閉鎖的でドロドロした社会なのですね・・・けど現在、この大ピンチの時にうまーく改革できれば未来が明るくなるような気がするのですが・・・・
有難うございます。
ちなみに、わたくし最初はタイトルに引かれてアクセスしました。
「ば○こう○ちの納得いかないコーナー」って懐かしい!!
私が子供の頃、現TV朝日の「アフタヌーンショー」の1コーナーの名前ですよね!
見てました。
giants-55さんって、そんな事をご存知のお年なんですか?
湯口選手がドラフト指名された1970年は不作と言われ、「高校三羽ガラス」と呼ばれた3人の高校生投手(あとの2人は島本選手と佐伯選手)が注目された年だったと記憶しています。どの球団も3人を1位指名するのは確実だったので、もし予備抽選の結果が違っていればこの悲劇は起きなかったかも知れません。少なくとも命を奪われる事は無かったでしょう。
それにしても、当時の監督のコメントには呆れ返って物も言えません。確かに大金は投じたであろう事は認めますが、年月と愛情の2つは殆どかけていないのでは?湯口選手の選手生活はたったの2年ですよ。
これからプロ入りする選手には、出来れば何処の球団に入るかだけではなく、そこの首脳陣(特に監督)がどんな人物なのか等についても考慮して欲しいと思います。あまり表に出ないから意識しないでしょうけど、監督やコーチに嫌われて選手生活を閉ざされた人はきっと少なくないと思われます。天才イチローが1軍で活躍するようになったのも、仰木監督に変わってからですしね。
恥ずかしながら、僕は湯口選手も榎本選手も
知りませんでした。
今「打撃の神様」と言えば、間違いなく
イチロー選手でしょうが、そのイチロー選手すら
及ばないとする関係者もいるという榎本選手。
そんな選手の引退がひっそりとしていた、
というのは、とても悲しいですね。
そして湯口選手に対する川上元監督のコメント。
確かに球団としても、ドラフト1位の選手に対する
期待があったのは事実でしょうが、
「人の命」より組織が重視、とも受け取れるような
発言には、激しい怒りを感じました。
複雑な気持ちにさせられました
そうですかそのような過去もあったのですよねぇ
精神的に追い込まれるというと今でいう鬱のような状態でしょうか
でも榎本選手は素晴らしい人間だったのですね
自分をいつでも準備できている状態に…ですか
名球会って確かになんなんだ?とか思ってしまいまいそうです
いや名誉を称号するという意味合いではいいのでしょうが…
実はPCが故障してましてw
まだ直ってないけど、応急処置として職場からカキコしてます。
本題なんですが、ついつい光の部分だけに目がいきがちで裏っていうか影の部分って見落としがちになるんですよね。
そこにこそ真実があるはずなのに。
プレッシャーなんてないって言ってる人もほんとはあるんだよ。
ミスターだって例外じゃない。
一つの記事でも見る角度を変えて読んでいきたいと思いました。