近所に古くから在る総菜屋。元々は別の商品を専門に扱っていたのだが、何時の頃からか“サブ”で扱っていた総菜が“メイン”となった。昔から結構繁盛していたが、自分は足を運ぶ事が殆ど無い。総菜の味自体は悪く無いのだが、店主の爺が一癖も二癖も在る人間で、どうにも好きになれない事が、足を遠ざけてしまう最大の理由。
昨年、久し振りに其の店を訪れたのだが、美味しそうな肉巻きが数種類売られていた。豚肉の薄切りでアスパラガスや椎茸、紫蘇等を巻いた物を串に刺して、焼いた物。値段は決して安く無いが、美味しそうだったので購入する事に。で、種類と本数を店主に注文した所、爺は「味はどうする?」と聞いて来た。初めて頼むし、どういう味が在るのかも掲示されていなかったので、「どういう味が在るんですか?」と尋ねると、「こういうのって、味は塩と垂れしか無いでしょ。」と。「そんな事も判らないって、馬鹿じゃないの?」といった、露骨に小馬鹿にした感じの薄笑いを浮かべて言い放った一言にカチンと来たが、昔から客を客とも思わない態度の爺だったので、“大人の対応”で「じゃあ、全部垂れで。」と答えた自分。「もう2度と来るか!」と、心の中で思い乍らだが。
東京新聞には、「筆洗」という一面コラムが連載されている。朝日新聞で言えば、「天声人語」的な存在だ。2月20日付け(朝刊)の「筆洗」を読んで、総菜屋の爺が思い浮かんだ。件の爺とは対極的な、客の事を小馬鹿にしない店主(店員?)の話が記されていたので。
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「筆洗」(2月20日付け東京新聞[朝刊])より
荻窪駅近くの立ち食いそば屋さんで、こんな場面を目撃したと知人が教えてくれた。寒い夜だったらしい。若い女性が1人でお店に入って来た。
こういうお店を利用する方なら、よくご存じだろう。「かけ」の食券を差し出すと、お店の人から「そばですか?うどんですか?」と聞かれる。知人によるとこの女性、「どっちですかねえ。」、「どっちがいいですか?」と店のおじさんに尋ね返したそうだ。
そばならそば、うどんならうどんが食べたいからお店に入ってくるのが普通で、確かにこういう「質問」はあまり聞いたことがない。
「まったく、自分の食べたいものさえ、分からないんですかねえ。」。40代の知人はこの話に続けて、最近の若者の優柔不断ぶりを嘆くわけだが、話を聞いていて、この女性の気持ちがなんとなく分かる気がしてくる。
勝手な想像をすれば、この人が求めていたのはそばでもうどんでもなかったかもしれない。ひょっとしてほしかったのは、誰かとの「会話」ではなかったか。寒い夜に1人。ちょっと寂しくなってしまったのだろう。誰かと会話することで、心と体を少し温めたい。そういう「寒い夜」は誰にもある。
知人に、つい確認する。女性の「質問」に、お店の人はなんと言って答えたか。「店の人はそばがいいよって。」。突き放すような、「自分で決めて。」や「知りませんよ。」ではなかったと聞いてホッとする。
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