未曾有の天災「東日本大震災」発生から、1年7ヶ月が過ぎた。多くの被災者が未だ苦しみの最中に在るというのに、政界では与野党共に利己的な政争に明け暮れているのは、本当に情け無い限り。
又、国民の間にも東日本大震災の記憶が少しづつ薄れて行っている様な感じがし、此れも気になる所。阪神・淡路大震災もそうだが、多くの死傷者を出した天災から得た貴重な教訓は、生き残った人間が確りと後世に伝えて行かなければいけないと思っている。
哀しい記憶許りの中、東日本大震災発生以降に見聞した報道に「心温まる出来事」や「勇気付けられる出来事」も少なからず在った。震災発生から3日目、岩手県内の被災家屋から3人の高齢者が救出されたが、「大丈夫ですか?」という取材陣の問い掛けに、1人の御爺さんが柔和な笑顔を浮かべ乍ら、力強く発した次の言葉には、非常に心を打たれたし、被災していない自分ですら勇気付けられる思いがした物だった。【当該記事&動画】
「大丈夫です!もう、チリ津波も体験してるから、大丈夫です。又、再建しましょう!!」
震災で多くを失い、明日の暮らしにも大きな不安を抱えているで在ろうに、あんなにも前向きな発言が出来る“人生の大先輩”に対して自分は、深い敬意を覚えた。そして、ネット上で彼の事を「再建御爺さん」と称して取り上げる人が多かったのは、同様に感じた人が少なくなかったからだろう。
時折、「彼の御爺さんは、どうしているんだろう?」と気になっていたのだが、昨日の東京新聞(夕刊)に“再建御爺さん”こと只野昭雄(ただの・あきお)氏が取り上げられていた。
昭雄氏は1977年、岩手県大船渡市に旅館を開業。奥様の八百子(やおこ)さん(80歳)と共に旅館を少しづつ大きくして行ったが、昨年3月11日、「シャシャシャシャッ。」という砂利を巻き込んで進む波の音を耳にし、津波に気付いたと言う。海から約800mに在る只野旅館最上階の3階に皆で逃げるも、3階への階段迄海水は迫って来た。
震災発生から3日目の朝、取り残されていた3人は無事救助。再建に強い意志を見せる昭雄氏に対し、奥様の八百子さんは「此の儘瓦礫にして、高台に小さな家を建てた方が良いのかも。」と、3ヶ月間は何もする気になれらなかったそうだ。旅館は鉄骨と基礎だけしか残っていなかったというのだから、脱力感に苛まれてしまうのも止むを得ないだろう。
そんな母親に対して、被災直後から瓦礫の片付け等を手伝っていた長女の英理子(えりこ)さん(51歳)は、「御父さんが『再建、再建。』と言うのは、御母さんを元気付ける為。」と告げた。自分に対する、夫の思い遣り。夫共に大きくして行った、旅館への深い愛着。そして、借入金を完済していたという事も後押しして、旅館は今年6月に再開する事に。昭雄氏は、食器洗い等を嬉しそうに続けていたと言う。
しかし、再開から僅か3ヵ月後の9月中旬、昭雄氏は間質性肺炎にて83歳で永眠。「漸と再建を果たしたのに・・・。」という残念な思いも在るが、あんなにも前向きな“再建御爺さん”ならばこそ、「再建を見届け、ホッとした思いで旅立った。」と思いたい。合掌。
再開以降は工事関係者の長期滞在が続き、20室程の旅館は11月の予約も埋まり始めているとか。玄関には近くの高台への避難経路が貼り出されている等、万が一にも備えている。
旅館の再建が上手く行った一方で、震災の影響で地盤は80cm沈んだ儘。1階の寝室で夜、横になった八百子さんは、不安な気持ちになると言う。「私が生きている時に、次の津波が来る事は無くても、子や孫の時代は判らない。」
同じ場所での再建が、果たして正しかったのか?答えを見付けられない儘、食事の支度や会計に日々追われている。