先日、或るアンケート・サイトを見ていたら、「『現況がネット上に載っていないか?』と、元カノの名前を検索した事が在りますか?」という質問が載っていた。どういう結果が出たのかは見ていないのだが、元カノの名前を検索した事は無いし、したいとも思わない。今を知った所でどうなる訳でも無いし、何よりも未練がましい感じがして、個人的には嫌。
でも、昔仲良かった友人や学校の恩師で、ずっと遣り取りの無い人物の名前を検索した事は何度か在る。小学校時代の同級生で、父親が元プロ野球選手だった人物が居たのだが、変わった名字だった事も在り、試しに検索してみた所、地方に住んでいる事が判った。写真が載っており、童顔だった彼も、今や良いおっさん顔になっていたのは意外だったが、地元の野球チームでプレーしているという記事には、「蛙の子は蛙なんだなあ。」と微笑ましく思ったもの。
半年程前だったか、学生時代の恩師の名前を検索した所、数年前の写真を見付けた。当時から浮世離れした雰囲気で、仙人の様なルックスの年齢不詳な先生だったが、“今”は“仙人を超えた仙人”といった風貌になっていて、卒業してから如何に時間が過ぎ去ったかを痛感させられた。
広岡達朗氏の様に、全く隙を見せないで、何時もピリピリした感じの先生が居た。当時は若手の部類に入っていたと思うけれど、スーツをバシッと乱れ無く、着こなしていたのが印象に残っている。そんな彼が、“仙人を超えた仙人”と一緒に写真に写っていた。既に定年を迎えた様だが、“砕けたおっちゃん”になっていたのが笑えた。酔っぱらってヘロヘロになっている姿なんか、当時は全く想像出来なかったが、“良い意味で”丸くなったのだろう。
こんな事を書いている自分も、彼等同様に年月を重ねて来た。人間誰しも、平等に年を取るのだ。