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「『挨拶無視した。』中学生の写真掲載 愛知・半田市議『迂闊だった。』」(2月7日付け東京新聞【夕刊】)
校外の学校行事で、中学生達が挨拶を返さなかったとして、愛知県半田市の市議が「挨拶出来ない中学生集団」とのコメント付きで、会員制交流サイト「フェイスブック」に生徒の顔の判る写真を投稿していた事が判った。市議に気付かなかった生徒も多く、保護者等から「行き過ぎでは。」と批判の声が出ている。
此の市議は新美保博氏(61歳)=無所属、5期。保護者等によると、1月30日、市立中2年生が約30kmを歩く行事が在った。午前8時頃、交通安全啓発の為、市内の交差点に立っていた新美氏は、前を通り過ぎる生徒が挨拶しない事に腹を立て、同行する校長に注意。校長は、其の場で謝罪した。
其の後、新美氏はフェイスブックの自身の頁に、中学生が歩く写真2枚を掲載。「挨拶出来ない、しない中学生集団。」とコメントした。頁は誰でも見られる状態で、顔が判る生徒も居た。
保護者等は「直接注意すれば良く、誰もが目にするサイトに写真を載せる必要は無い。」と憤る。新美氏は取材に「深く考えず、写真を載せてしまった。迂闊だった。子供達に迷惑を掛け、反省している。」と述べ、6日に投稿を削除した。唯、既に画像は、保護者や生徒の間で広まっている。
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校内の図書室が利用出来るという事で、休みの日に中学校を訪れたりする。其処は自分の母校でも在るのだが、保護者でも無いおっさんが校内に入るのは気が引けたりするものだから、出来るだけ目立たない様に動いているのだけれど、部活等をしている在学生達の横を通ると、皆が皆大きな声で「今日は!」と挨拶して来るので、此方も笑顔で挨拶し返す事になる。
「山中で見ず知らずの人と会った際、『今日は!』と挨拶し合うのは、相手におかしな気持ちを起こさせない“防犯効果”が在る。」なんて話が在る。校内での挨拶にも、そういった効果を期待している部分は在るのかもしれない。そういう面は在ったとしても、「来校した人には誰でも、大きな声で挨拶をする。」という躾をしている学校も立派だし、きちんと実践している生徒達も立派。
で、今回のニュースに付いてだが、「件の市議は、目の前を通り過ぎる生徒達に挨拶していたのだろうか?」というのが、先ずは気になる。自分が挨拶していないのに、相手には挨拶を求めるという事“ならば”、全く御話にならない。
「市議が挨拶したのに、挨拶し返さない生徒が居た。」という事で在れば、市議が立腹するのも判らないでは無い。けれど、元記事でも記されている様に、「彼が其の生徒に対して、直に注意をすれば良いだけ。」の話で在り、ネット上で批判、其れも生徒の顔を晒してなんていうのは、“真面な大人”がする事では無い。「迂闊だった。」という言い訳で済まされる話で無いだろう。
「去年、女子中学生等のLINEのグループから外された事に腹を立て、威嚇的なメッセージを送り続けていた大阪府議が問題となった。」り、「2年前、出席した式典で「自分の挨拶の順番が遅かったのはおかしい。」と打ち切れた国会議員に対し、「器が小さい。」という声が上がった。」りと、どうも「自分は、偉い“議員様”なんだ。そんな自分をもて囃さない連中は、一切許さない!」という思い上がりが根底に在る様な議員が、少なからず居る様に感じてならない。
今回の市議も、「市議たる自分に挨拶し返さないとは、とんでもない連中だ!」という思い上がりが、心の何処かに在ったのではないだろうか?そうで無かったら、其の場で校長が謝罪迄しているのに、ネット上で更に“攻撃”する様な事はしないと思うのだが・・・。
選挙の前は土下座したり、ペコペコしたりしていても、当選したらふんぞり返って、横柄な態度で接して来る。そんな議員、本当に多いですよね。
そういう下衆な連中を選んでしまったのは、我々国民でも在るのですから、そういう部分は反省しないといけないでしょうね。
ただ、尊大系の後援会長に限って、やたらと葬祭に熱心であちこち香典持っていく義理堅さがあったりするのも確かです。
AK様の御指摘、凄く判ります。確かにそういう輩、特に地方では少なからず居そうですよね。「政治家とは、一体誰の為に存在しているのか?」という問い掛けに対し、「国民の為。」と答え乍らも、実際には「自分の為。」と思っている様な輩。