ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「虚ろな十字架」

2014年08月31日 | 書籍関連

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娘を殺されたら、貴方は犯人に何を望みますか?

 

別れた妻・浜岡小夜子(はまおか さよこ)が殺された。もし、彼の時、彼女と離婚していなければ、私は又、遺族になる所だった。

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東野圭吾氏の小説虚ろな十字架」は、死刑制度テーマにした作品。

 

主人公の中原道正(なかはら みちまさ)は11年前、小学2年生の娘・愛美(まなみ)を殺害された。妻・小夜子が買い物で外出した僅かな時間、物取り侵入した男が、留守番していた愛美を手に掛けたのだ。端金を盗む為、愛する娘を殺害した男は逮捕され、そして裁判掛けられた。憤怒の思いしか無い道正夫婦は、男が死刑に処される事を望み続けるも、諸々の状況から死刑判決下されるのは難しいと思われた。

 

しかし、結果として男には死刑判決が下され、受け入れた彼は死刑に処される。思いが叶って喜ぶ道正夫婦だったが、以降は虚しさ等の感情から夫婦の関係がぎこちなくなり、離婚する事に。

 

そして、時が流れて5年後、別れた妻・小夜子が殺害された。もし彼女と離婚していなかったら、道正は再び遺族という立場になった訳だ。彼と別れて以降、ライターとして働いていた小夜子は、死刑制度に関する“未完成の”原稿認めていた。愛美を殺害した男に付いていた弁護士にも話を聞いており、其処には道正と同様、事件の呪縛から逃れられていない小夜子の複雑な思いが。

 

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仮に死刑判決が出たとしても、それは遺族にとって勝ちでも何でもない。何も得ていない。ただ必要な手順、当然の手続きが終わったに過ぎない。死刑執行成されても同じことだ。愛する者を奪われた事実は変わらず、心の傷が癒やされることはない。だったら死刑でなくても構わないではないかという人もいるだろうが、それは違う。もし犯人が生きていれば、『なぜ生きているのか、生きる権利が与えられているのか。』という疑問が、遺族たちの心をさらに蝕むのだ。死刑を廃止にして終身刑を導入せよとの意見もあるが、遺族たちの感情を全く理解していない。終身刑では犯人は生きている。この世界のどこかにいて、毎日御飯を食べ、誰かと話し、もしかすると趣味の一つぐらいは持っているかもしれない。そのように想像することが、遺族にとっては死ぬほど苦しいのだ。だがしつこいようだが、死刑判決によって遺族が何らかの救いを得られるわけでは決してない。遺族にとって犯人が死ぬのは当たり前のことなのだ。よく、『死んで償う。』という言葉が使われるが、遺族にしてみれば犯人の死など『償い』でも何でもない。それは悲しみを乗り越えていくための単なる通過点だ。しかも、そこを通り過ぎたからといって、その先の道筋が見えてくるわけではない。自分たちが何を乗り越え、どこへ向かえば幸せになれるのか、全くわからないままだ。ところがその数少ない通過点さえ奪われたら、遺族は一体どうすればいいのか。死刑廃止とは、そういうことなのである。

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小夜子は、何故殺されたのか?道正は其の真相を追う中で、愛美を殺害した男が死刑判決を受け入れた際、彼が口にした「もう面倒になったから。」という言葉の“の意味”を知り、愕然とする。「男にとって死刑とは、そんな意味でしか無かったのか・・・。」と。

 

自分は過去に何度も書いて来た様に、死刑制度には賛成の立場だ。しかし、死刑制度に反対する人達の意見の中には、理解出来る物も在ったりする。東野氏の場合、死刑制度に疑問を持っている立場の様だ。とは言え、其れ此の作品の中で強要している訳では無く、「愛する人間を殺された場合、貴方は犯人に何を望むのか?」、「罪を犯した人間は、其の罪や被害者の家族達に、どう向き合うべきなのか?」といった問題提起をしている様に感じた。

 

意外な人間関係や事実が明らかになって行く等、ストーリー的には読ませる内容なのだが、「犯罪捜査に関してプロ警察が、真相に全く辿り着けなかったというのに、ど素人の道正が比較的容易に辿り着けてしまうものかなあ?」という不自然さ少々がっかり。

 

総合評価は、星3.5個といった所か。


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2 コメント

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Unknown (悠々遊)
2014-08-31 12:28:17
犯罪捜査のプロである警察がたどり着けなかった真相に、ど素人の主人公が比較的容易にたどりつける不自然さ・・・一般的に考えれば確かにそうでしょうね。世界一優秀とも言われる日本の警察ですから。
しかしプロであるが故の固定観念で真実が見えてこないというのもあるかも知れませんよ。現実に初動での思い込み捜査が原因で迷宮入りしたり冤罪を生んでいる例は結構ありますよね。

死刑制度ではgiants-55さんとは考えが異なりますが、遺族の無念さに無関心や鈍感というわけではありません。
犯人を憎めば憎むほどにその呪縛は自分にはね返って苦しむことになるのではと想像します。
犯人が生きていればまだ憎しみの対象があるわけですが、死刑が執行されても遺族にとっては単なる手続きであり通過点でしかない。苦しみが癒されるわけではない、むしろ憎しみの対象がいなくなったぶん空しさだけが残るのではないでしょうか。
死刑制度があって、犯人が死刑を宣告され、刑が執行されても、遺族にとって失ったものを取り戻せるわけではない、憎しみ苦しみから解放されるわけではない。
なぜなら遺族の心の中にこそ原因があるから。

犯人だと思い込んでいた(思い込まされていた)相手が冤罪だと分かってからも、真犯人が見つからなければ、では誰を憎めばいいのかと冤罪を信じずいつまでもその相手を疑い憎む遺族がたまにいますが、遺族も冤罪被害者も共に哀れというほかありません。

giants-55さんも常々書いておられるように、いろんな考えがあってよいし、唯一こうでなければならないというのはおかしい、と考えれば「赦し」や「諦観」という方法で憎しみ、苦しみから自分を解放するというのも有りだと思います。実際にそうして吹っ切ろうとしている遺族もおられるようですし。

一見無責任のように見えるかもしれませんが、犯人が人間で無く自然災害だった場合、人は自然にそうして受け入れているのではないでしょうか。台風や地震を憎んでも死刑に出来るわけではない。結局は相手が自然だからどうしようもないと諦めて無理にでも前を向くしかないわけでしょう?

偉そうなことを書いていても、いざ自分のもっとも大切な者が理不尽に奪われたとき、冷静でいられる自信はありません。しかしいつまでも心に鬼を住まわせて自分を苦しめ続けることはしたくないとも思うのです。
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>悠々遊様 (giants-55)
2014-08-31 23:59:53
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

「捜査のプロ集団で在る警察組織を出し抜き、素人探偵が難事件を解決する。」というのがミステリーの一般的な御約束で在りますから、素人探偵が真相に辿り着く事自体は良いのですが、其の辿り着き方が此の作品に関しては、少々無理が在る気がしました。書き手が東野氏で在るからこそ、「もっと工夫が欲しかったなあ。」という思いが。

「死刑制度」に関しては、賛否両論在って良いと思うし、煎じ詰めれば「人が人の命を奪う。」という行為なのは確かで、其れだけ厳粛な問題で在る以上、賛否両論無い方が不自然とも言えます。

自分は「死刑制度肯定派」ですけれど、悠々遊様を始めとした「死刑制度に疑問を感じられている人達」の御考えには、「そういう面は確かに在るなあ。」と頷ける事も少なく無く、非常に悩ましい問題では在ります。(だからこそ、死刑制度に関する記事を、此れ迄幾つも書いて来た訳ですが。)

犯人と信じて疑って来なかった人間が、実は冤罪で無実だった。そんな状況が起こった時、被害者の遺族は更に苦しむ事になるでしょうね。振り上げた拳の下ろし先が無くなってしまい、今迄憎んで来た人物に対しても、すっきりとした思いが持てないだろうし・・・。
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