脚本家の内館牧子さんは日本相撲協会の横綱審議委員を務める一方で、2005年からは東北大学の相撲部監督に就任する等、大の相撲好きでも知られている。日本人力士が同じ事をしているのにも拘わらず、一時期はやたらと外国人力士ばかりにクレームを付けている印象が在ったので、個人的には彼女に好印象を持ってはいないのだが、彼女が「週刊朝日」に連載しているコラム「暖簾にひじ鉄」は面白いので毎週拝読させて貰っている。3月23日号の同コラム「つける薬はあるか?」では3人の”大人達”を取り上げているのだが、社会性の未熟さを自覚していない困ったちゃんぶりには呆れ果てるばかりだった。
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① 某TV局の新人局員
脚本家の大石静さんが「婦人公論(2月22日号)」に書かれたエッセーが紹介されていた。大石さんが某TV局で深夜迄打ち合わせをした後に、プロデューサーやディレクターと共に制作部の部屋に戻った時の事。ドアを開けると、入局したての若い女子局員が机に足を乗せてハンバーガーを食べていた。そして大石さんやプロデューサー達が戻って来たのを見ると、椅子に背を預けたまま首だけを捻って「御疲れ様。」と言い、又ハンバーガーを頬張ったという。その礼儀知らずな姿勢に慣れっこなのか、プロデューサー達は何も言わなかったが、大石さんはぶち切れて思いっ切りドスの効いた声で「足を下ろしなさい!」と彼女に言った。すると彼女はキョトンとした顔で大石さんを振り返り、ゆっくりと足を下ろしたのだが、その表情には全く悪びれた所が無かった。「上司が夜中迄打ち合わせをして戻って来たのに、足を上げたまま出迎えるなんて信じられない。これからは立ち上がって、『御疲れ様。』と頭を下げなさい。」と大石さんは彼女に言ったそうだが、その後はその場にぶっ倒れそうな位疲れてしまい、「若い子を叱るというのは、これ程迄に心身を一気に消耗させるものなのか。」と愕然としてしまったと。
「目上の者の前で机に足を上げていて良いのかどうかなんて、勤め先で教育する以前に家庭で教育されていて然る可きもの。例え教育されなくても、夜中迄働いている者への労りの気持ちが在ったら、足を上げたままでいられる筈も無い。」と内館さんも嘆きの言葉を記されていた。
② 文化イベント組織のプロデューサー
或る日、内館さんの元に文化イベント組織の女性プロデューサーから電話が在り、彼女は丁重な言葉で「シンポジウムを開催するので、東北大学の学生さんにも出て戴きたいんです。」と依頼。シンポジウムの詳細を聞いた所、高名な学者達がパネリストとして参加する堅い内容なので、「(内館さん自身が修了された)宗教学の院生にでも何かして欲しいという御希望なのでしょうか?」と内館さんは疑問をぶつけた所、彼女は「いえ、相撲部の皆さんに出て欲しいんです。」と答えたそうだ。「高名な学者達と一緒に相撲部員が出て何をするのか?そもそもシンポジウムのテーマは相撲とも、学生スポーツとも全く無関係なのに。」と更なる訝しみの気持ちが生じた内館さんは、「宗教学の院生ならばまだ判るのですが、相撲部員ですか?」と尋ねた所、「はい、相撲部員です。堅いシンポですので聴衆は疲れると思うんですよね。ですから間に何かやって戴いて、聴衆が肩の力を抜いたり、楽しんだりする時間を取ろうと思いまして。是非相撲部員に何かステージでやって戴きたいんです。」
ぶち切れた内館さんは大石さん同様にドスの効いた声で「なるほど、何か芸をしろって仰るんですね?」と聞くと、相手は少し慌てた口調で「いえ、済みません。私は素人なもので。」と答え、更に「済みませんが、うちの部員は猿より芸が無いもので、無理です。」と突っ撥ねると、「あの、いえ、私は素人なもので済みません。いえ、留学生も居ると伺い、マワシ姿で舞台に立って出身地とかを言うだけでも聴衆は楽しいかと・・・。」と謝りながらも一向に譲らなかったという。「柳沢伯夫厚生労働大臣が『ごめんなさいね、産む機械なんて言って。』と謝りながら、その後も『産む機械』と言い続けた図式と同じではないか。『高尚なシンポに読んでやるから、芸位してよ。』という傲慢さが彼女の口調から見え隠れして、とても無礼に感じた。」と内館氏は述べている。
③ 某TV局のディレクター
某TV局の女性ディレクターから、内館さんに番組出演依頼が在った。聞けば関心の在るテーマだったので内館さんが受諾した所、彼女は喜んで「打ち合わせ日と収録日、それぞれ何日か御都合の良い日を出して下さい。」と言った。そこで内館さんは直ぐに秘書を通じて、何日かずつの候補日を伝えたという。
ところが数日経っても全く彼女から返事が無い為、秘書が「他のスケジュールを入れる都合も在りますので、早く決めて下さい。」と彼女に催促の電話を入れたのだが、それから9日間経っても相手からは梨の礫。流石に頭に来た内館さんは「もう断って。私、出ないわ。他人のスケジュールを此処迄引っ張って平気っていうのは、『出してやる。』って態度なのよ。」と秘書に言った所、秘書は「実は・・・そういう上から物を言う感じの人です。」と答えたとか。そして秘書は断りの電話を入れたのだが、それに対して件の女性ディレクターは次の様に言い放ったそうだ。
「あら、連絡が遅いからってだけで出ないんですか。」
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記事の中ではたまたま3人の困った女性達が紹介されていたが、こういった困ったちゃんは勿論男性にも居る。厄介なのは当人達が、自身の困ったちゃん度を自覚していない事だろう。これ迄に家庭や学校で社会性を学んで来なかったのだろうか?否、こんなのは学校でというよりも、家庭で先ずは学ぶ可き事だろう。
大石さんは、上記したエッセーを次の文章で締め括っているそうだ。
「確かに愛在る説教では無かったかもしれない。でも、愛在る説教をする程、彼女を愛してもいなかった。」
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① 某TV局の新人局員
脚本家の大石静さんが「婦人公論(2月22日号)」に書かれたエッセーが紹介されていた。大石さんが某TV局で深夜迄打ち合わせをした後に、プロデューサーやディレクターと共に制作部の部屋に戻った時の事。ドアを開けると、入局したての若い女子局員が机に足を乗せてハンバーガーを食べていた。そして大石さんやプロデューサー達が戻って来たのを見ると、椅子に背を預けたまま首だけを捻って「御疲れ様。」と言い、又ハンバーガーを頬張ったという。その礼儀知らずな姿勢に慣れっこなのか、プロデューサー達は何も言わなかったが、大石さんはぶち切れて思いっ切りドスの効いた声で「足を下ろしなさい!」と彼女に言った。すると彼女はキョトンとした顔で大石さんを振り返り、ゆっくりと足を下ろしたのだが、その表情には全く悪びれた所が無かった。「上司が夜中迄打ち合わせをして戻って来たのに、足を上げたまま出迎えるなんて信じられない。これからは立ち上がって、『御疲れ様。』と頭を下げなさい。」と大石さんは彼女に言ったそうだが、その後はその場にぶっ倒れそうな位疲れてしまい、「若い子を叱るというのは、これ程迄に心身を一気に消耗させるものなのか。」と愕然としてしまったと。
「目上の者の前で机に足を上げていて良いのかどうかなんて、勤め先で教育する以前に家庭で教育されていて然る可きもの。例え教育されなくても、夜中迄働いている者への労りの気持ちが在ったら、足を上げたままでいられる筈も無い。」と内館さんも嘆きの言葉を記されていた。
② 文化イベント組織のプロデューサー
或る日、内館さんの元に文化イベント組織の女性プロデューサーから電話が在り、彼女は丁重な言葉で「シンポジウムを開催するので、東北大学の学生さんにも出て戴きたいんです。」と依頼。シンポジウムの詳細を聞いた所、高名な学者達がパネリストとして参加する堅い内容なので、「(内館さん自身が修了された)宗教学の院生にでも何かして欲しいという御希望なのでしょうか?」と内館さんは疑問をぶつけた所、彼女は「いえ、相撲部の皆さんに出て欲しいんです。」と答えたそうだ。「高名な学者達と一緒に相撲部員が出て何をするのか?そもそもシンポジウムのテーマは相撲とも、学生スポーツとも全く無関係なのに。」と更なる訝しみの気持ちが生じた内館さんは、「宗教学の院生ならばまだ判るのですが、相撲部員ですか?」と尋ねた所、「はい、相撲部員です。堅いシンポですので聴衆は疲れると思うんですよね。ですから間に何かやって戴いて、聴衆が肩の力を抜いたり、楽しんだりする時間を取ろうと思いまして。是非相撲部員に何かステージでやって戴きたいんです。」
ぶち切れた内館さんは大石さん同様にドスの効いた声で「なるほど、何か芸をしろって仰るんですね?」と聞くと、相手は少し慌てた口調で「いえ、済みません。私は素人なもので。」と答え、更に「済みませんが、うちの部員は猿より芸が無いもので、無理です。」と突っ撥ねると、「あの、いえ、私は素人なもので済みません。いえ、留学生も居ると伺い、マワシ姿で舞台に立って出身地とかを言うだけでも聴衆は楽しいかと・・・。」と謝りながらも一向に譲らなかったという。「柳沢伯夫厚生労働大臣が『ごめんなさいね、産む機械なんて言って。』と謝りながら、その後も『産む機械』と言い続けた図式と同じではないか。『高尚なシンポに読んでやるから、芸位してよ。』という傲慢さが彼女の口調から見え隠れして、とても無礼に感じた。」と内館氏は述べている。
③ 某TV局のディレクター
某TV局の女性ディレクターから、内館さんに番組出演依頼が在った。聞けば関心の在るテーマだったので内館さんが受諾した所、彼女は喜んで「打ち合わせ日と収録日、それぞれ何日か御都合の良い日を出して下さい。」と言った。そこで内館さんは直ぐに秘書を通じて、何日かずつの候補日を伝えたという。
ところが数日経っても全く彼女から返事が無い為、秘書が「他のスケジュールを入れる都合も在りますので、早く決めて下さい。」と彼女に催促の電話を入れたのだが、それから9日間経っても相手からは梨の礫。流石に頭に来た内館さんは「もう断って。私、出ないわ。他人のスケジュールを此処迄引っ張って平気っていうのは、『出してやる。』って態度なのよ。」と秘書に言った所、秘書は「実は・・・そういう上から物を言う感じの人です。」と答えたとか。そして秘書は断りの電話を入れたのだが、それに対して件の女性ディレクターは次の様に言い放ったそうだ。
「あら、連絡が遅いからってだけで出ないんですか。」
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記事の中ではたまたま3人の困った女性達が紹介されていたが、こういった困ったちゃんは勿論男性にも居る。厄介なのは当人達が、自身の困ったちゃん度を自覚していない事だろう。これ迄に家庭や学校で社会性を学んで来なかったのだろうか?否、こんなのは学校でというよりも、家庭で先ずは学ぶ可き事だろう。
大石さんは、上記したエッセーを次の文章で締め括っているそうだ。
「確かに愛在る説教では無かったかもしれない。でも、愛在る説教をする程、彼女を愛してもいなかった。」
今回の記事には大いにうなずかされるところがあります。周囲への気配り、配慮というものができない社会的に未熟な大人が多くなったと思います。もっとも自分自身、立派な大人かといえば、自信を持って「そうです」ともいえないのですが(苦笑)。
社会性というものは、まず子供の頃友達関係を通じて身につけていくと思うのですが、我々の世代以降テレビやゲームの普及、あるいは塾などの習い事に通う子供の増加とともにこの部分の経験がとみに不足しているのではないかと思います。
また、一昔前だと職場には教育係のコワモテの人がいて新人は厳しくしつけられていたものですが、最近では妙に物分りが良かったり、忙しくて構ってられないというものあり、社会性を学ぶ機会がなくなっているように思えます。
デジタル化された社会の「社会性」というものは日本社会につきつけられた課題ではないかと思います。
当ブログでも紹介させて貰いましたが、「ウルトラマンメビウス」の第44話「エースの誓い」で、人間不信に陥りそうになった主人公のミライにウルトラマンエースが「優しさを失わないでくれ。弱い者を労わり、互いに助け合い、何処の国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。例えその気持ちが何百回裏切られ様と。それが私の・・・変わらぬ願いだ。」と語り掛けるシーンが忘れられません。厚顔無恥で自分さえ良ければ良い、他者がどうなろうが知った事では無いという輩が跋扈する世の中に在って、一々腹を立てていても仕方無いと思ってしまうのは致し方無い事では在りますが、この国が益々酷い方向に進まない為にも我々大人が毅然とした態度で接する事を忘れてはいけないと思うんです。それこそ「怒る事を忘れないで欲しい。例えその気持ちが何百回裏切られ様と。」という感じで・・・。
昨今は高邁な思想等全く感じられずに、単なる無法者の集団と化した政治団体が少なからず在る中で、人として大事な礼儀や所作を厳しく教えられた御祖父様は立派だと思うし、そういった教えを受けられたマヌケ様は幸せだと思いますよ。
言いえて妙だと思います。ボランティアやっているやつも犯罪を犯すやつも行動の大本は「それをしないと気持ちが悪いから。」
自分も割りとカチンと気やすい気質なので日常怒ることはしょっちゅうあります。そしてそれを表に出すことも厭いません。なぜかというとそうしないと気持ちが悪いんですよ。これには正論も正義も有るようでないんです。やっている事を後から理由付けはいくらでもできますし。「○○だから怒らなきゃいけない。説教しなければいけない。」という状況はこんなおっさんになってくるともちろんあるんですが、基本自分が言おうが言うまいが世の態勢になにも変化はなく、言わないと個人的に気持ちが悪いからいうまでなんですよ。説教に愛あるものなんてあるのかな?有るとすると親が子にする説教と躾だと思います
とりあえず、
子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也、
子の曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。(論語 里仁編)
とだけ申しておきましょう。