あの御仁のジャイアンツ入りを一貫して声高に反対し続け、結果的に阻止してくれたという部分で”だけ”は大恩人と自分が捉えている広岡達朗氏と金田正一氏。その両氏がジャイアンツの宮崎キャンプに顔を揃えた13日の或る出来事がサンスポで報じられていた。朝のウオーミングアップの最中、両氏と原監督、近藤ヘッドコーチが談笑。其処に現れた内海哲也投手を原監督が両氏に紹介した上で、カネやんを指差して次の様な遣り取りをしたのだとか。
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原監督: 「この方を知っているか?」
内海投手: 「カネムラさんですか?」
原監督: (内海投手の頭を叩いた上で)「馬鹿野郎!何勝したと思ってるんだ?」
内海投手: 「300何勝でしたっけ?」
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天下の400勝投手にして、天上天下唯我独尊のカネやんのプライドを、木っ端微塵に打ち砕いた内海投手は最強だ。流石のカネやんも茫然自失の体で立ち尽くしていたという。余りの気まずさに、原監督は「歴史の教育をしなきゃいけないですね。」と口にしたのだとか。申し訳ないが、この光景を想像するだけで爆笑してしまった。
話はこれで終わらない。カネやん以上にカチンと来た(と思われる)広岡氏が、その直後に二軍の若手選手を集め、過去の栄光の名選手達の名前を列挙した上で、70余年の球団史を語って聞かせたそうだ。そして、「君達は素晴らしい球団に入った。彼等(OB)が在って今日がある。君達には聞く権利が在るし、先輩が後輩を指導するのは義務だ。」と締め括ったのだとか。いやあ、良い言葉で在る。しかし、直立不動の姿勢で、約12分間に亘って”講義”を聞かされた選手達も良い災難と言うべきか。
そこで今日は、広岡大先生に敬意を表して、ジャイアンツの歴史を一寸振り返ってみたい。
「ジャイアンツ歴代4番打者」を振り返ってみる。昨年迄で69人の選手がジャイアンツの4番に座っている。第11代が何と、あの伝説の大投手ヴィクトル・スタルヒン氏。アマチュアの世界では投手で4番という選手は珍しくないが、プロの世界、それもジャイアンツの4番に、投手が1試合とはいえ座っていたというのは意外な話だった。
又、V9の最中、1試合だけとはいえ、”壊れた信号機”こと柴田勲氏が4番打者を務めていたというのも、不勉強ながら初めて知った。Wikipediaの情報によると、ONが居ながら4番打者を務めたのは柴田氏だけなのだとか。(ONが共に在籍していた時代に、他にも代わりに4番打者を務めた選手は居る様なのだが、彼等はONのどちらか、又は両方が欠場している時に務めたという事なのだろうか?)これは今で喩えるならば、松井秀喜選手と清原和博選手が合い揃った中で、元木大介選手が4番を務める様な感じか?それと、柴田氏は2,000本安打を達成し、名球会に所属しているものの、1シーズンも打率3割を超えた事が無い選手だったというのも意外な話だった。
第51代の呂明賜選手から第59代の大久保博元選手辺り迄は、申し訳無いが絶対的な4番打者というのでは無く、4番を誰に任せるかで苦慮していた時代と言えるだろう。
次に、スポーツ報知が行なった「背番号で思い浮かべる選手」というアンケートの結果に付いて触れたい。このスポーツ紙の”性格”上、思い浮かぶ選手がジャイアンツ選手に集中しているのは已むを得ないのだが、なかなか面白い結果だと思う。
背番号1~10番に限って、自分が思い浮かべる”実在”選手を一人ずつ列記してみると、次の様になる。
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1番: 王貞治氏
2番: 松本匡史氏(”青い稲妻”)
3番: 長嶋茂雄氏
4番: 黒沢俊夫氏(勿論、あの妙ちくりんな帽子を被ったおじさんでは無い。)
5番: 河埜和正氏(派手さは無かったが、職人肌の良い選手だった。)
6番: 篠塚和典(利夫)氏(怪我や故障が多かったが、芸術的なバッティングが忘れられない選手。)
7番: 吉村禎章氏
8番: 原辰徳氏
9番: 村田真一氏
10番: 張本勲氏
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生まれながらのジャイアンツ・ファンを自負している自分なので、4番と言えば永久欠番の黒沢氏を挙げてしまうのだが、実在の選手という事でなければアンケート結果にも在る様に、番場蛮選手を思い浮かべてしまう。16番ならば、実在選手では川上哲治氏だが、そうでなければ星飛雄馬で在るのは言う迄もない。
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原監督: 「この方を知っているか?」
内海投手: 「カネムラさんですか?」
原監督: (内海投手の頭を叩いた上で)「馬鹿野郎!何勝したと思ってるんだ?」
内海投手: 「300何勝でしたっけ?」
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天下の400勝投手にして、天上天下唯我独尊のカネやんのプライドを、木っ端微塵に打ち砕いた内海投手は最強だ。流石のカネやんも茫然自失の体で立ち尽くしていたという。余りの気まずさに、原監督は「歴史の教育をしなきゃいけないですね。」と口にしたのだとか。申し訳ないが、この光景を想像するだけで爆笑してしまった。
話はこれで終わらない。カネやん以上にカチンと来た(と思われる)広岡氏が、その直後に二軍の若手選手を集め、過去の栄光の名選手達の名前を列挙した上で、70余年の球団史を語って聞かせたそうだ。そして、「君達は素晴らしい球団に入った。彼等(OB)が在って今日がある。君達には聞く権利が在るし、先輩が後輩を指導するのは義務だ。」と締め括ったのだとか。いやあ、良い言葉で在る。しかし、直立不動の姿勢で、約12分間に亘って”講義”を聞かされた選手達も良い災難と言うべきか。
そこで今日は、広岡大先生に敬意を表して、ジャイアンツの歴史を一寸振り返ってみたい。
「ジャイアンツ歴代4番打者」を振り返ってみる。昨年迄で69人の選手がジャイアンツの4番に座っている。第11代が何と、あの伝説の大投手ヴィクトル・スタルヒン氏。アマチュアの世界では投手で4番という選手は珍しくないが、プロの世界、それもジャイアンツの4番に、投手が1試合とはいえ座っていたというのは意外な話だった。
又、V9の最中、1試合だけとはいえ、”壊れた信号機”こと柴田勲氏が4番打者を務めていたというのも、不勉強ながら初めて知った。Wikipediaの情報によると、ONが居ながら4番打者を務めたのは柴田氏だけなのだとか。(ONが共に在籍していた時代に、他にも代わりに4番打者を務めた選手は居る様なのだが、彼等はONのどちらか、又は両方が欠場している時に務めたという事なのだろうか?)これは今で喩えるならば、松井秀喜選手と清原和博選手が合い揃った中で、元木大介選手が4番を務める様な感じか?それと、柴田氏は2,000本安打を達成し、名球会に所属しているものの、1シーズンも打率3割を超えた事が無い選手だったというのも意外な話だった。
第51代の呂明賜選手から第59代の大久保博元選手辺り迄は、申し訳無いが絶対的な4番打者というのでは無く、4番を誰に任せるかで苦慮していた時代と言えるだろう。
次に、スポーツ報知が行なった「背番号で思い浮かべる選手」というアンケートの結果に付いて触れたい。このスポーツ紙の”性格”上、思い浮かぶ選手がジャイアンツ選手に集中しているのは已むを得ないのだが、なかなか面白い結果だと思う。
背番号1~10番に限って、自分が思い浮かべる”実在”選手を一人ずつ列記してみると、次の様になる。
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1番: 王貞治氏
2番: 松本匡史氏(”青い稲妻”)
3番: 長嶋茂雄氏
4番: 黒沢俊夫氏(勿論、あの妙ちくりんな帽子を被ったおじさんでは無い。)
5番: 河埜和正氏(派手さは無かったが、職人肌の良い選手だった。)
6番: 篠塚和典(利夫)氏(怪我や故障が多かったが、芸術的なバッティングが忘れられない選手。)
7番: 吉村禎章氏
8番: 原辰徳氏
9番: 村田真一氏
10番: 張本勲氏
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生まれながらのジャイアンツ・ファンを自負している自分なので、4番と言えば永久欠番の黒沢氏を挙げてしまうのだが、実在の選手という事でなければアンケート結果にも在る様に、番場蛮選手を思い浮かべてしまう。16番ならば、実在選手では川上哲治氏だが、そうでなければ星飛雄馬で在るのは言う迄もない。
内海あたりの選手にとっては400勝も300勝も同じかも知れません。
到底届かない雲の上の記録ですから。
柴田勲が四番に座った件ですが、この試合は私、リアルタイムでテレビ観戦しておりました。甲子園での阪神タイガース戦でしたが、先発は当時全盛期の江夏豊投手。なにしろ68年に来日したカージナルスの打線がキリキリ舞いして、監督が連れてきた若い左投手に「あいつのピッチングを見習え」と言ったほど。その左投手が後の大投手スティーブ・カールトンだったのですが。ただ柴田だけはなぜか江夏に強く、川上監督がそれを買って奇策に出たわけです。結果は大成功で柴田の一発を含め見事江夏を攻略。翌日、柴田が川上さんに「今日も四番ですか?」と聞いたところ、「バカヤロウ!」と一喝されたそうですがね(笑)。
また「あの男の巨人監督をぐっと、阻止!」してくれた金田正一、広岡の両氏には、敬意を表したい。
***川上は、賛成したんですよ、記憶しましょう。
また、現代っ子に「王・長島」が、どのくらい理解されているか、まったく、疑問だと思う。
知らない選手、いそうだね。
それから、金田。老けましたね。孫も大きくなって、いいおじいちゃんだ。顔をみても、誰だったけと、思う。
本人の前で名前を間違えるのは失礼だとしても、選手全員に歴史を完全に知っておけ、というのは難しいようにも思います。
カネやんも偉大ですが過去の人ですからね。
それより、引退間際に400勝達成のためだけに移籍したような人も「OB」なんですか?
ともかく今後こんなことがないように、日々玄米食と健康棒で体をケアし、走りに走って、寝るときはカイロプラクターピローで就寝ですよ(笑)
5番:岡崎郁氏
10番:駒田徳広氏
の
「恐怖の6,7番コンビ」
の印象が強くなってしまいますが、興味深い結果ですね。
追伸
そちらのブログにコメントする前にTBしてしまうと、コピペのTB&コメントが飛んでくるのですね。
勉強になりました。以後気をつけることにします(笑)
これだけだと笑い話なんだけど、長嶋茂雄サンが立派なのは、即座に「セコムしてますか?」と笑顔で答えたコト。
まぁ、相手が子供だったから、内海投手みたいなコトにならなかったのかもしれないけど、でもねぇ、知らないモノを知ってると言う事の方が無礼だと思うのよ。
知るは一時の恥、知らぬは一生の恥なんだからサ。
それを「二軍の若手選手を集め、過去の栄光の名選手達の名前を列挙して、70余年の球団史を語って聞かせた」講義した広岡サン、ちょっと傲慢な気がするネ。
広岡さんには何回か近くで野球を観させてもらったことがありますが、意外にソフトでユーモアがあるという印象です。
70歳を超えているとは思えないほどかくしゃくとしてらっしゃって、さすがという感じです。
まあ、今回の件、巨人の選手たちはいい勉強をさせてもらったということですね。