東京都の男性最高齢の111歳とされていた人物が、木乃伊化した姿で発見された事件。約30年前に亡くなっていたという話も在るが、「本人が生きている事にして、家族が年金を不正受給していた。」“としたら”此れは許されざる犯罪で、当事者達は厳罰に処されるべきだろう。
此の事件が報道された後、「今度は都内で最高齢の113歳とされていた女性が、実は行方不明の状態に在る。」事が報じられた。同居していた筈の長女(79歳)は「40年前迄千葉県市川市で母と(次男の)弟の3人で住んでいたが、自分だけ引っ越した。母は弟と一緒に居ると思っていた。何故母と一緒に(自分が)住民登録されているのか判らない。母とは20年以上会っておらず、今、何処に居るのか判らない。」とコメント。それに対して次男(71歳)は「千葉で一緒に暮らしていたが、20~30年前に母親が出て行って居なくなった。」とコメントしたそうだが、以前警察に対して「母は既に亡くなっている。」と答えたという報道も在る。又、次女(74歳)からは「母や姉、弟とは40年程連絡を取っていない。母が何処に住んでいるか判らない。」とのコメントが。「次男は現在、刑務所に服役中。」との報道も在り、複雑な家族関係が背景に在るのだとは思うけれど、其れにしても「母や弟姉妹の行方を、こんなに長期間把握しないままに居た。」というのが個人的には不思議でならない。
此の2つの事件を受けて「100歳以上の高齢者の所在確認」が全国各地で開始されたが、昨日迄の段階で56人もの所在不明者が確認されたと言う。人数の多さも然る事乍ら、人間関係の希薄さが指摘される都心部のみならず、地方でも所在不明者が確認されたというのは驚き。“心の砂漠化”は、日本全体に拡散しているという事か。
余所の家族の内情を、部外者が把握するのは非常に困難。色々複雑な事情も在るだろうし、家族の所在を把握していないからと言って、其の事だけで他者がどうこう非難するのもどうかとは思う。ましてや義理の娘や息子の場合、「義父母の面倒を一生看ろ!」とされてしまうのは気の毒な部分も在るし。「所在不明を認識してい乍ら、年金を不正受給している。」様なケースは、断罪されて然る可きだけれど。
所在不明になっている高齢者達は、一体どうしているのだろうか?ホームレスとして彷徨っている可能性もゼロでは無いだろうけれど、これだけの高齢者ならば見た目で判るだろうし、見掛けられればそれなりに問題化すると思う。今回「所在不明として確認された100歳以上の高齢者」の中には可成り以前から所在が確認されていない者がチラホラ居り、100歳前後になって突如所在不明になったというのでは無く、例えば60~70歳位の間に判らなくなったというケースが多いのではないかという気がする。捜索願が出されていないケースを含めると、年間で十数万人以上の人間が行方不明になっているという話も在る此の国では、無縁仏の数が年間3万人を超えるとも言われている。所在不明になっている高齢者の中には、無縁仏として処理された人達が結構居るのではなかろうか。
あらゆる物で溢れ返っている我が国だが、物の豊かさは享受出来たとしても、心の豊かさの面ではどうなのだろう?必死で働いて来た末、殺伐とした老後が待っているとしたら・・・何とも哀しい話だ。
此の事件が報道された後、「今度は都内で最高齢の113歳とされていた女性が、実は行方不明の状態に在る。」事が報じられた。同居していた筈の長女(79歳)は「40年前迄千葉県市川市で母と(次男の)弟の3人で住んでいたが、自分だけ引っ越した。母は弟と一緒に居ると思っていた。何故母と一緒に(自分が)住民登録されているのか判らない。母とは20年以上会っておらず、今、何処に居るのか判らない。」とコメント。それに対して次男(71歳)は「千葉で一緒に暮らしていたが、20~30年前に母親が出て行って居なくなった。」とコメントしたそうだが、以前警察に対して「母は既に亡くなっている。」と答えたという報道も在る。又、次女(74歳)からは「母や姉、弟とは40年程連絡を取っていない。母が何処に住んでいるか判らない。」とのコメントが。「次男は現在、刑務所に服役中。」との報道も在り、複雑な家族関係が背景に在るのだとは思うけれど、其れにしても「母や弟姉妹の行方を、こんなに長期間把握しないままに居た。」というのが個人的には不思議でならない。
此の2つの事件を受けて「100歳以上の高齢者の所在確認」が全国各地で開始されたが、昨日迄の段階で56人もの所在不明者が確認されたと言う。人数の多さも然る事乍ら、人間関係の希薄さが指摘される都心部のみならず、地方でも所在不明者が確認されたというのは驚き。“心の砂漠化”は、日本全体に拡散しているという事か。
余所の家族の内情を、部外者が把握するのは非常に困難。色々複雑な事情も在るだろうし、家族の所在を把握していないからと言って、其の事だけで他者がどうこう非難するのもどうかとは思う。ましてや義理の娘や息子の場合、「義父母の面倒を一生看ろ!」とされてしまうのは気の毒な部分も在るし。「所在不明を認識してい乍ら、年金を不正受給している。」様なケースは、断罪されて然る可きだけれど。
所在不明になっている高齢者達は、一体どうしているのだろうか?ホームレスとして彷徨っている可能性もゼロでは無いだろうけれど、これだけの高齢者ならば見た目で判るだろうし、見掛けられればそれなりに問題化すると思う。今回「所在不明として確認された100歳以上の高齢者」の中には可成り以前から所在が確認されていない者がチラホラ居り、100歳前後になって突如所在不明になったというのでは無く、例えば60~70歳位の間に判らなくなったというケースが多いのではないかという気がする。捜索願が出されていないケースを含めると、年間で十数万人以上の人間が行方不明になっているという話も在る此の国では、無縁仏の数が年間3万人を超えるとも言われている。所在不明になっている高齢者の中には、無縁仏として処理された人達が結構居るのではなかろうか。
あらゆる物で溢れ返っている我が国だが、物の豊かさは享受出来たとしても、心の豊かさの面ではどうなのだろう?必死で働いて来た末、殺伐とした老後が待っているとしたら・・・何とも哀しい話だ。
私が異母兄2人の所在をここ10年以上把握していないからです。
おそらく一番上の異母姉は所在を把握しているものと思われますが、彼女とも年賀状だけの付き合いになって久しいので・・・。
家族が行き来がないのを正常な状態ではないと思われるのは
ご自身の家族・親戚関係が健全に回っている証拠で
ちょっとうらやましいです。
姉が死んだら(彼女の子どもたちもしっかりしてない記憶があるので)いったいどうなることやら。
記事でも書きました様に、余所様の家庭には他者から窺い知れない様々な事情が在ると思いますし、それだからこそ他者が軽々にああだこうだコメントするのは僭越な面が在ると思っています。
以前「兄弟仲」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/54da86bf1bcc5f6f63f5458e154f71a4)という記事の中で、兄弟仲が抜き差しならぬ関係になってしまった知人の話を書きました。彼から話を聞いた時には正直驚きが在ったけれど、同時に「世の中には色々な家庭が在るのだなあ。」という当たり前の事を再認識も。
「あくまでも今回の事件とは無関係の話」という大前提で書くのですが、「高齢の親の所在が長年に亘って不明」という場合に「子供は何をしていたのか?何て冷酷な子供なのだ。」という批判が起こるのが一般的でしょうけれど、もし「育児放棄をし続けて来た様な親」だったり「家族に散々大迷惑を掛け続けて来た様な親」だったり“したら”、世間の反応も違うのではないかと考えています。事程然様に、他者の家庭の事情は他者から窺い知れない物。
数年後、気になっていたのでその兄の住所をこっそり尋ねてみると、他人の表札に変わっていました。その近くにある異母姉の家はそのままありましたが、変に連絡されても困ると思い、声をかけずに立ち去り、母親の死亡も知らせることなく、その後はまったく音信不通・消息不明です。
冷たい兄弟と思う向きもあるかもしれませんが、自ら招いた不始末の尻拭いを、親兄弟に持ってこられて、はいはいとお人よしに応じていれば、自分の家庭まで崩壊の憂き目に会う事だってあるので、そこは割り切る必要もあります。
それぞれの家庭、それぞれの人生には、giants-55さんもおっしゃるように、他人には窺い知れない事情があるものですね。しかしそれで詐欺まがいに収入を得て知らん顔では、これはもう犯罪ですよ。
身内の人間とは言え、散々大迷惑を掛けられたと在っては、縁を切ってしまう事になるのは致し方無いと思います。たまたま我が家の場合にはそういった身内が居なかっただけで、もし迷惑極まり無い人間が身内に居たとしたら、自分も悠々遊様と同じ対応をしたでしょうし。
自分自身の価値観“のみ”を100%正しいと考え、その家庭の内情を良く知らないのに「冷たい。」だ何だと断罪するのは、其れこそ正しい事では無い。人それぞれに考え方が在りますから、「冷たい。」と考える事自体は個人の自由だろうけれど、其れを「唯一無二的に正しいのだ!」と押し付ける権利は誰にも無いと思うし。
唯、個人の生き死にに関しては金銭面のみならず、様々な問題が関わって来る事ですから、“公の立ち入り検査”を「個人情報の侵害だ。」何だと拒否するのはどうかと考えています。以前から何度も書いている事ですが、どうも「個人情報保護法」というのは余りに悪い面で用いられ過ぎている様に感じています。
で、トラブルを防ぐために法律を作るわけで、ほとんどの人はそれを遵守するのだけれど、もともと順法精神の無い一部の人は、法の目をくぐる努力(?)に励んだり、逆に悪用したり。
「個人情報保護法」もそうですが、法を適用するべき対象が法を悪用し、法で守られるべき対象が、逆に法によって縛られるとは、人間とは真に因果な生き物ですね。
「身内を思う気持ち」って、他者から「こう在らねば駄目!」と強いられるべき物では無いと思っています。そういう意味では、「愛国心」と同じ感じかと。「国歌」や「国旗」に対して「皆が等しく、自分と同じ考えで無ければ許さない!」的な人が世の中には時折見受けられ、その手の人は自身と少しでも考え方が異なると、「売国奴決め付けスイッチ」が入る様ですが(苦笑)、そもそも個々人の考えは他者から全て“見える”物では無いし、強制されるべき物でも無い筈。勿論、明々白々に違法行為だったりの場合は別だけれど、そうで無い場合は他者に対して無理矢理「こう在らねば駄目!」と強いる物では無いと自分は考えます。
どれだけ高邁な思想を持って作った法律で在っても、必ずその法律の網を掻い潜って悪用しようとする輩は出て来る物。或る程度は法律で厳しく縛らなければこういった不埒な人間は取り締まれないだろうけれど、その厳しさが余りに行き過ぎてしまうと、一般社会から“潤い”が減じられて行ってしまうという面も在り、非常に難しくは在ります。多くはきちんと遵法している人間だと信じたいのですが、問題は少数派の人間が、余りに遣りたい放題に法を悪用している事に在るのかも。