この記事は、もう少し後に書くつもりだった。と言うのも、ジャイアンツが連敗している状況下で書くと、単にここ数試合の結果”だけ”を見ての主張と思われるのも嫌だったから。出来ればジャイアンツの連敗がストップした時点で書きたかったのだが、どうやら連敗が暫く止まりそうも無いので
、不本意乍ら本日の記事として書かせて貰う。この記事を原辰徳監督への決別宣言と受け取って貰って構わない。
原監督が2度目の監督を引き受けて以降、当ブログでは何度も原監督の監督適性に付いて触れて来た。(「シコースキーを解雇とは・・・」→「今季初の伝統の一戦」→「采配ミス」→「泥沼状態」→「出でよ、第二の西本聖!!」→「ターニング・ポイント」→「頑迷固陋な将・原辰徳」→「プッシュ・ボタン監督」→「ああ仁志敏久よ君を泣く 君このまま終わる事勿れ」→「正念場を迎えた我がジャイアンツ」→「原采配で評価出来る部分」→「死に駒」)褒めた内容も無い訳では無いが、その殆どが監督適性に疑問を呈した内容で在り、かなり辛辣に批判した事も何度か。それもこれも「人間・原辰徳」が嫌いでは無いし、名将に為り得る潜在的な才能を有していると信じていたからこそ、「何とか監督として進歩して欲しい。彼の手でジャイアンツを、魅力溢れるチームに作り変えて欲しい。」という大きな期待を掛けていたからだ。
しかし「彼に期待するのは、もう止めた方が良い。」という気持ちに到った。上記の「プッシュ・ボタン監督」でも触れた様に、「それなりに整備されたチームで在れば、きっちり結果を出せる監督。」の彼は、第一次政権の初年度にジャイアンツを日本一にさせたものの、それ以降は「チームが窮地に陥った際、”蘇生”させる術を全く持っていない監督。」でも在る事が明らかとなってしまった。第一次政権の2年目及び第二次政権の初年度、そして今季と、彼が采配を揮った(揮っている)3年間は全く進歩が見られない。
監督適性に疑問を感じる点は幾つか在るが、「具体的な戦略を持たない上に、勝負勘が無い。」というのは結構大きな要因だろう。「しっかりとした戦略を持った上で、状況に応じて臨機応変に策を講じる。」というのが監督に求められる要素だが、原監督には残念乍ら自身の具体的な戦略という物が感じられない上、臨機応変に策を講じるというのも苦手な様だ。一つ一つの試合に勝負どころが在る様に、公式戦全体を通しても「此処が勝負どころだ!」というのが間違い無く幾つか在る。一つ一つの試合で言えば「此処で投手を代えないと、一気に流れが相手チームに行ってしまう。」、「この場面であの選手を代打に出さなければ、結局彼は”死に駒”になってしまう。」といった、公式戦全体から言えば「この試合を是が非でも取りに行かないと、チームが浮上する機会は最早無いだろう。」といったポイントが在るのだ。原監督の場合、「一つ一つの試合」でも「公式戦全体を通して」でも勝負勘が無いと言わざるを得ない。「無駄に投手を使いたくない。」という思いが在るのかもしれないが、明らかに駄目な投手を引っ張り続けた結果、大きな失点を食らい、それから慌てて次々に投手を継ぎ込んで更に傷口を広げてしまう。火の手が上がった段階で消火活動を行うのでは無く、火が燃え上がってどうしようも無い状態で消火活動をしている様なもの。結局、無駄に多くの投手を使い、尚且つ「大火の中に放り込まれて、消火出来なかった投手は監督のミスを背負って二軍に落とされる。」のでは投手達に同情してしまう。代打の起用法も不思議さ満点で、時宜に合った使われ方をしなかったり、死に駒になってしまった選手達の姿を何度見た事か。全ては原監督の勝負勘の無さに起因している様に思えてならない。
「自身の”色”に染まり切れない選手を、上手く使う事が出来ない。」というのも致命的な要因。上記の「ああ仁志敏久よ君を泣く 君このまま終わる事勿れ」で「大人しい馬を手懐けるのは誰でも出来るが、暴れ馬を状況状況に応じて上手く使いこなせるのが真の名伯楽。」と指摘したが、どうも原監督には懐の深さや柔軟性が無い様に感じる。谷佳知選手がバントを命じられ、失敗するというシーンを今季は何度も見せられて来た。ベンチに戻る際の谷選手は、明らかに不満を感じさせる顔。「どんな選手で在れ、バントが必要な場面ではバントを命じる。」という「チーム一丸の姿勢」、言葉を変えれば「滅私奉公の姿勢」を原監督は求めているのだろうし、その考え自体は必ずしも否定しない。唯、何度もバントを失敗する場合に監督が取る可き行動は、「しっかりバントが出来る様になる迄、執拗にバント練習を命じる。」事だが、それでも改善されなければ「その選手を起用しない。」か、又は「戦力的にどうしても必要な選手で在れば、”役割”を変えて起用する。」事ではないか。公式戦の残り試合数が40試合を切ったこの段階で、バントの成功率が低い谷選手に未だバントを命じ続ける事は、果たして意味在る事なのか?こういった面でも、公式戦全体を通しての勝負勘が無いと感じてしまう。谷選手の不満そうな表情を見ていると、近い将来「仁志選手と同じ運命」が待っている様な気がして不安だ。
原監督がこのままジャイアンツの監督を続けても、優勝”出来てしまう”年も在るだろう。だが残念乍ら、それは一過性の優勝で在り、真に強いチームを彼が作り上げるのは無理な気がする。監督がチームを育てて行く様に、ファンも我慢して監督を育てていかなければならないと思っていた。だからこそジャイアンツと共に原監督も応援していたのだが、これ程迄に采配に進歩が見られない以上、これからはジャイアンツ(の選手)を応援して行く事にしたい。監督”も”応援する様になるのは、ジャイアンツの次の監督が桑田真澄氏になった時か・・・と書きつつも、「原監督に頑張って貰いたい。」という思いが心の何処かに未だ残っているのだから困ったもの。

原監督が2度目の監督を引き受けて以降、当ブログでは何度も原監督の監督適性に付いて触れて来た。(「シコースキーを解雇とは・・・」→「今季初の伝統の一戦」→「采配ミス」→「泥沼状態」→「出でよ、第二の西本聖!!」→「ターニング・ポイント」→「頑迷固陋な将・原辰徳」→「プッシュ・ボタン監督」→「ああ仁志敏久よ君を泣く 君このまま終わる事勿れ」→「正念場を迎えた我がジャイアンツ」→「原采配で評価出来る部分」→「死に駒」)褒めた内容も無い訳では無いが、その殆どが監督適性に疑問を呈した内容で在り、かなり辛辣に批判した事も何度か。それもこれも「人間・原辰徳」が嫌いでは無いし、名将に為り得る潜在的な才能を有していると信じていたからこそ、「何とか監督として進歩して欲しい。彼の手でジャイアンツを、魅力溢れるチームに作り変えて欲しい。」という大きな期待を掛けていたからだ。
しかし「彼に期待するのは、もう止めた方が良い。」という気持ちに到った。上記の「プッシュ・ボタン監督」でも触れた様に、「それなりに整備されたチームで在れば、きっちり結果を出せる監督。」の彼は、第一次政権の初年度にジャイアンツを日本一にさせたものの、それ以降は「チームが窮地に陥った際、”蘇生”させる術を全く持っていない監督。」でも在る事が明らかとなってしまった。第一次政権の2年目及び第二次政権の初年度、そして今季と、彼が采配を揮った(揮っている)3年間は全く進歩が見られない。
監督適性に疑問を感じる点は幾つか在るが、「具体的な戦略を持たない上に、勝負勘が無い。」というのは結構大きな要因だろう。「しっかりとした戦略を持った上で、状況に応じて臨機応変に策を講じる。」というのが監督に求められる要素だが、原監督には残念乍ら自身の具体的な戦略という物が感じられない上、臨機応変に策を講じるというのも苦手な様だ。一つ一つの試合に勝負どころが在る様に、公式戦全体を通しても「此処が勝負どころだ!」というのが間違い無く幾つか在る。一つ一つの試合で言えば「此処で投手を代えないと、一気に流れが相手チームに行ってしまう。」、「この場面であの選手を代打に出さなければ、結局彼は”死に駒”になってしまう。」といった、公式戦全体から言えば「この試合を是が非でも取りに行かないと、チームが浮上する機会は最早無いだろう。」といったポイントが在るのだ。原監督の場合、「一つ一つの試合」でも「公式戦全体を通して」でも勝負勘が無いと言わざるを得ない。「無駄に投手を使いたくない。」という思いが在るのかもしれないが、明らかに駄目な投手を引っ張り続けた結果、大きな失点を食らい、それから慌てて次々に投手を継ぎ込んで更に傷口を広げてしまう。火の手が上がった段階で消火活動を行うのでは無く、火が燃え上がってどうしようも無い状態で消火活動をしている様なもの。結局、無駄に多くの投手を使い、尚且つ「大火の中に放り込まれて、消火出来なかった投手は監督のミスを背負って二軍に落とされる。」のでは投手達に同情してしまう。代打の起用法も不思議さ満点で、時宜に合った使われ方をしなかったり、死に駒になってしまった選手達の姿を何度見た事か。全ては原監督の勝負勘の無さに起因している様に思えてならない。
「自身の”色”に染まり切れない選手を、上手く使う事が出来ない。」というのも致命的な要因。上記の「ああ仁志敏久よ君を泣く 君このまま終わる事勿れ」で「大人しい馬を手懐けるのは誰でも出来るが、暴れ馬を状況状況に応じて上手く使いこなせるのが真の名伯楽。」と指摘したが、どうも原監督には懐の深さや柔軟性が無い様に感じる。谷佳知選手がバントを命じられ、失敗するというシーンを今季は何度も見せられて来た。ベンチに戻る際の谷選手は、明らかに不満を感じさせる顔。「どんな選手で在れ、バントが必要な場面ではバントを命じる。」という「チーム一丸の姿勢」、言葉を変えれば「滅私奉公の姿勢」を原監督は求めているのだろうし、その考え自体は必ずしも否定しない。唯、何度もバントを失敗する場合に監督が取る可き行動は、「しっかりバントが出来る様になる迄、執拗にバント練習を命じる。」事だが、それでも改善されなければ「その選手を起用しない。」か、又は「戦力的にどうしても必要な選手で在れば、”役割”を変えて起用する。」事ではないか。公式戦の残り試合数が40試合を切ったこの段階で、バントの成功率が低い谷選手に未だバントを命じ続ける事は、果たして意味在る事なのか?こういった面でも、公式戦全体を通しての勝負勘が無いと感じてしまう。谷選手の不満そうな表情を見ていると、近い将来「仁志選手と同じ運命」が待っている様な気がして不安だ。
原監督がこのままジャイアンツの監督を続けても、優勝”出来てしまう”年も在るだろう。だが残念乍ら、それは一過性の優勝で在り、真に強いチームを彼が作り上げるのは無理な気がする。監督がチームを育てて行く様に、ファンも我慢して監督を育てていかなければならないと思っていた。だからこそジャイアンツと共に原監督も応援していたのだが、これ程迄に采配に進歩が見られない以上、これからはジャイアンツ(の選手)を応援して行く事にしたい。監督”も”応援する様になるのは、ジャイアンツの次の監督が桑田真澄氏になった時か・・・と書きつつも、「原監督に頑張って貰いたい。」という思いが心の何処かに未だ残っているのだから困ったもの。

ジャイアンツの監督って大変ですねえ。
個人的に原監督に対しては、かつてスワローズの監督を務めた若松氏の様に、例えノムさんや森氏の様に監督として優れた采配能力を持っていなかったり至らない所があっても、自分の出来ない事を恥じずにコーチ陣に頼りながら(悪く言えば「丸投げ」しながら)戦っていく「21世紀型の名将」を目指して欲しかったのです。
極端な事を言えば、投手交代を尾花コーチに、代打起用を内田コーチに「丸投げ」し、自らは「良きに計らえ」とベンチで寝そべっている、みたいな。例え、「それじゃあ監督がいる意味ないじゃん」と酷評されたしても。ただ、原監督の自惚れの強さがそれを許さなかったって事でしょう。(しかし、原監督がこれほど自惚れが強いとは思いませんでした。現役時代、「史上最低の4番打者」との謗りを受けながらも戦い続ける事が出来たのも、その自惚れの強さのおかげと考えれば辻褄が合うなぁ。)
勝負事に「もしも」は禁物なのですが、もし2004年も原監督が采配を振るっていたら、管理人様を含めたジャイアンツファンはこのような監督としての欠点を「2004年」という早い段階でキッチリと認識する事が出来、原監督に見切りをつける事が出来たと思えるのですが・・・。
これは2003年秋の「人事異動」の弊害と言う他ありません。アレのおかげで原監督は「1年目に結果残した自分をぞんざいに扱いやがって」と被害者面して自分の欠点を認識・反省する事をせず終いで再就任し、ジャイアンツファン(の大半)は「自軍(の監督、選手)を軽々しく切り捨てる」事が中々出来なくなってしまったワケですから。
一方、原監督の後釜を考えてみますと、ジャイアンツOB内では堀内前監督は(管理人様には悪いですが)論外として、野球中継での理論的な解説から有力視されている江川氏については、どうも氏の言葉を聞いていると「後出しジャンケン」および「机上の空論」という言葉が思い浮かぶし、アテネ五輪で事実上日本代表監督代行を務めた中畑氏については、あくまで氏は(随分な言い方をすれば)「ミスターのイヌ」であり、それ故に世界3位になれたし世界3位止まりだったわけで、そんな両氏が144試合を勝ち抜けるほどセ・リーグは甘くないと思うのです。
あと、ジャイアンツに在籍していた落合監督(ドラゴンズ)にジャイアンツの監督を任せてみたいと思ったりしていますが、今年の鈍さを見ているとどうも不安を感じてしまっています。
加えて、桑田投手(元・パイレーツ)や吉村2軍監督(ジャイアンツ)、川相コーチ(ドラゴンズ)といった若い候補者に関しても、桑田投手については変に屁理屈こねたり宗教ががったりする言動に不安を感じますし、吉村監督については監督業としてはまだ日が浅いので評価しかねます。また、川相コーチについては落合監督(ドラゴンズ)が監督在任中のうちは(下手すると立浪監督(?)就任後も)手放さないと思われる上に、2004~2006年の間に栄光に近い所にいた川相コーチと屈辱を味わい続けたジャイアンツ(の選手達)との心のギャップが気になります。まさか川相コーチに限ってないとは思うのですが、「自分が現役だった頃のジャイアンツだったら」「ドラゴンズだったら」とか言い出したら嫌たなぁと・・・。
最後に、ジャイアンツ以外の球界OBに目を向けると、自分が疎いためなのか、目ぼしい人材は見当たりません。
そう考えると、他球団に関しては詳しく知りませんが、ジャイアンツに関して言えば、今は「お寒い時代」なのかもしれません。
(また意味不明な長文になってしまたよ・・・)
肩入れしてしまう学校は在るにせよ、概して勝敗云々よりも、そのドラマ性に浸れる高校野球は良いですね。ジャイアンツの試合を見て心身を疲労させている自分にとっては、一服の清涼剤の様な感が在ります。
残して来た数字自体は十分合格点を与えられる物なのに、何か物足りなさ&勝負弱さを感じていた原辰徳”選手”。チャンスで打席に入り、止めたバットにボールが当たってポップ・フライやゲッツーでチャンスを潰すというシーンばかりが思い浮かびます。
以前にも書いたのですが、原選手は理論よりも感性で一流選手になったタイプではないかという気がしているんです。天才肌の選手と言えましょうが、彼にしっかりとして理論が在ったならば、もっと凄い選手、そう”超”一流選手に為り得ていたのではないかと残念でなりません。
落合博満選手には自身で作り上げた理論が在り、それが自信となって批判され難いムードを醸し出しているのかも。監督に就任してからの過去3年間は全てAクラス入り、それも1位と2位しかないというのは伊達や酔狂で成し遂げられる物では無い筈。確固たる野球理論(戦略)が在るからだと思うし、哀しいかなそれが原監督には無いという事ではないでしょうか。
上で破壊王子様が書かれておられる様に、就任1年目にしてチームを日本一にさせたというのは評価しなければならないのですが、如何せん戦略云々というのでは無く、チームの勢いだけで乗り切れてしまったというのが現実だった様に思うんです。翌年、即ち第一次政権の2年目にその辺のボロが一気に出たものの、ハニスポ様が御指摘の様に例の「人事異動」によって、そのボロが覆い隠され「悲劇の将」という面が強調されてしまった。結果的にはこの事が、自身の采配能力を振り返り&ブラッシュ・アップさせる機会を原監督から奪ってしまったと言えるかもしれません。そう考えると彼自身も、ナベツネの被害者なのかも(苦笑)。
社長って色んなタイプが居ますよね。「実務能力よりもカリスマ性に長け、実務は有能な腹心に任せるタイプ。」も居れば、「社長が非常に有能で、全社員の先頭に立ってグイグイ引っ張って行くタイプ。」も居る。尾花投手コーチや内田打撃コーチといった有能な部下が居るのですから、御指摘の様にその分野の権限を彼等に移管し、彼等が判断に迷った時にドン!と前に出るというスタンスの方が、原監督には向いているのかもしれません。
後任監督を考えた時、どの候補者も帯に短し襷に長しという感じは自分も在ります。江川氏や中畑氏等は、自分の中で真っ先に消している方々ですし(笑)、他で言えば抹香臭い所は確かに在りますが桑田氏がベストではないにせよベターかなという気が。ジャイアンツのOBに固執する必要は全く無いし、外国人監督だってOK。でも、あの御仁だけは絶対に反対なのは言う迄も在りません。
ところで一寸前に原監督とナベツネが緊急会談を持ったという報道が為されましたよね。その中でナベツネが例の「二岡選手に代打事件」に付いて真意を聞いたそうで、その結果「俺が心配しているより彼(原監督)の方が色んな事を考えている。人間関係、その他をね。今迄の監督の中では一番、繊細に人間関係を考え、決断出来る男だと思う。俺が見込んだだけの事は在るよ。」と原監督をナベツネは大絶賛していました。「二岡選手に代打事件」に関しては、原監督がその真意をスポーツ紙で語っていましたが、正直良く意味が判りませんでした。それを理解出来たナベツネって凄いなあと感心した次第(苦笑)。
個人的には、結果を残したかそうでないかが一番の差異だと思います。
例えば、長嶋監督。
彼を名監督とするには、反対意見もあるかもしれませんが賛成意見が充分あると予想されるという意味では、名監督の用件にあてはまるでしょう。
でも彼には『功』以上に『罪』があるように思えてならないの
です。
例えば、先発三本柱。
結局、彼等は誰一人200勝を達成出来ませんでした。
これは、彼等が油が乗り切った時期が長島政権だったことと無関係では無い様な気がします。
同時期に長島政権ではなく、藤田監督だったら?森監督だったら?皆、出来ていたかもしれないとも思います。
話が原監督と違ってしまいましたが、たった一回の日本一(失礼)では、名監督というには足りないと思います。
また、カリスマ性という点において長嶋監督に劣る故、長嶋監督の息のかかった選手がまだまだ多く在籍する巨人において、原監督に対する不満分子が増長しないか心配でもあります。
いずれにしても、第一政権より困難な采配が必要とされる原第ニ政権で結果を残せば、名監督に仲間入り出来るかもしれませんね。