5月11日にNHKで放送された「NHKスペシャル “認知症800万人”時代 行方不明者1万人 ~知られざる徘徊の実態~」は、祖父が認知症を罹患していた自分にとって、とても他人事には思えない内容だった。
認知症の人及び認知症の疑いが在る人が徘徊等で行方不明になるケースは結構多く、NHKが各都道府県の警察本部に取材した結果、其の数は2012年の1年間で延べ9,607人にも上り、内351人が死亡、208人が2012年末時点でも行方不明の儘だったと言う。延べ人数とは言え、認知症を罹患した(乃至は罹患した疑いが在る)事で、1年間に1万人近くもの行方不明者が出ているというのは驚きだが、比較的若くに認知症を罹患した祖父も、「屡々徘徊するので、目が離せなかった。」という話を祖母等から聞いていたので、然も在りなんという思いも在る。
番組内では「7年前に群馬県内で保護されたものの、認知症の為に身元が判らず、介護施設に引き取られて暮らし続けている高齢女性。」が紹介されていた。保護された時、下着に片仮名で名前が記されていたものの、当該する捜索願いは出されておらず、身元不明の儘という事だった。其の後、番組が切っ掛けで「東京在住の67歳の女性で、元ニッポン放送のアナウンサー。」といった事が判明し、御主人と再会を果たしたという報道が。
失礼を承知で書くが、放送された時点では「名前迄判っているのに、当該する捜索願いが出されていないという事は、家族は彼女が行方不明になった時点で、此れ幸いと見捨てたのではないのかなあ?」と思った。そして身元が判明したというニュースに最初に触れた際は、「番組を見ていた人から『奥さんでは?』等と連絡が在り、仕方無く家族が名乗り出たのかな?」とも。
しかし実情は全く異なり、家族は必死で彼女の行方を捜していた。片仮名で記されていた名前を、警察が誤って登録していた為、出されていた捜索願いと一致しなかったというのだから、本当に酷い話だ。
捜し続けていた身内の行方が判り、家族は嘸や嬉しい事だろうが、同時に“厳しい現実”と直面させられそうだと言う。
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「認知症女性:7年不明 家族に生活費1,000万円超請求か」(5月15日、毎日新聞)
東京都台東区の認知症の女性(67歳)が、2007年に群馬県館林市内で保護され、今月12日迄身元不明の儘、民間介護施設に入所していた問題で、女性の7年間の生活費が、市から家族に請求される可能性の在る事が判った。7年間の生活費総額は1,000万円を超えると見られ、市は国や県と協議し、慎重に対処するとしている。
館林市や介護施設によると、2007年10月に女性が保護されてから数週間は、一時的な保護措置として、市が費用を全額負担した。其の後、施設を居住先として仮の名前で市が住民票を作成、生活保護費を支給した。収入や資産、年金給付、親族による援助は、何れも無いと見做した。
女性は保護当時は「要介護3」で、約4年前から寝た切りになり、現在は最も重い「要介護5」と認定されている。しかし介護保険は適用されず、介護費用の全額が生活保護の介護扶助として、施設側に支払われて来た。
関係者によると、女性の生活に掛かる費用は保護当初より増え、現在は月額30万円近くと見られる。7年間では、総額1,000万円以上に上る見通しと言う。
館林市の担当者は「本人や家族に資産が在る事が判明した場合、市が立て替えた費用の返還を御願いするのが原則。」と説明する。一方で「前例が無く、我々の対応が今後のモデルになり得る。県や国の指導を仰ぎ、何の様に対処すべきか、慎重に判断したい。」と話している。
田村憲久厚生労働相は13日の閣議後会見で、此の女性の生活費の負担に付いて「どういう解決方法が在るのか検討する。」と述べた。群馬県内の或る行政関係者は「今回のケースを知って、『認知症の家族を見捨てても、行政が金を出して、施設が世話をしてくれる。』と考える人が出て来ないか心配だ。」と話す。
◇家族が全額はおかしい、国がガイドラインを:社会的弱者の保護制度に詳しい結城康博・淑徳大教授(社会福祉学)の話
認知症の女性を必死に捜していた家族が、施設入所に要した費用を全額支払う事になるのはおかしい。認知症の行方不明者が1万人を超えている時代だから、保護した認知症の人の生活費を国や市町村が負担するのは公共サーヴィスの一環だ。家族に全額請求される様な事になれば、認知症の人を外出させない様にする流れが出来てしまうのではないか。国がガイドラインを作るべきだ。
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民法には、「失踪宣告」という規定が在る。「不在者の生死が7年間明らかで無い時は、家庭裁判所は、利害関係人の請求により、失踪の宣告をする事が出来る。」となっており、即ち家庭裁判所が認めた場合は、「7年間行方不明状態が続けば、其の人物は“法的に”死者扱いとなる。」訳だ。当該女性が行方不明だったのは「約7年」で、死者扱いされ兼ねない程の長期間。
原理原則で言えば、彼女の生活費は彼女の家族が負担すべき物だろう。でも、充分な資産が在れば別だが、そうじゃ無い場合、家族が全額負担するというのも気の毒な気がする。もし自分が「認知症を罹患した家族が、行方不明になった。→家族はずっと、行方を捜し続けていた。→一定年数が経過し、行方不明になっていた家族が、介護施設に入所しているのが判明。→高額の生活費用を請求される事になった。」という事態に、或る日突然直面させられたら、確実に困惑するだろうから。
世の中は善人許りでは無いので、「今回のケースを知って、『認知症の家族を見捨てても、行政が金を出して、施設が世話をしてくれる。』と考える人が出て来ないか心配だ。」という懸念も理解出来る。でも、其の一方で「家族に全額請求される様な事になれば、認知症の人を外出させない様にする流れが出来てしまうのではないか。」という懸念も又、凄く理解出来るのだ。
先達て「徘徊中に電車に撥ねられ、死亡した認知症患者の男性(当時91歳)の家族に、JR東海が損害賠償を求めた訴訟で、二審の名古屋高裁が男性の妻に対し、約360万円の支払いを命じた。」という報道が在ったけれど、個人的には「酷な判決だなあ。」と感じた。認知症患者の面倒を含め、全くの放置状態だったというのなら話は別だが、報道によれば家族はきちんと面倒を看ていた様だ。何れだけ気を付けていても、認知症患者の徘徊を100%防ぐのは難しい。今回の様な判決が通ってしまうと、「認知症患者は、“座敷牢”に閉じ込めておく。」という意識が、多くの家族の間に出来上がってしまいそうで怖い。
「臨時年金」なんていうのが在ったんですね。譬えは相応しく無いかもしれないけれど、「恩赦」みたいな感じで、「何でそんなのが存在する必要が在るの?」という思いが。
支払っている額が同じならば、官民問わずに同じ待遇で在るべき。大分改善されたとはいえ、「官高民低」の意識があらゆる面で、未だに根強く残っているのは、どうにも納得出来ない。
民間の工場なんかすごい給料出すとこあった。大手企業なんかも目でなかった。でも早い話が年金やら社会保険まともに払ってなくて、その額だったわけ。その挙句にあの「消えた年金騒ぎ」があったわけです。中卒の労働者は金の卵で労働者不足でヘッドハンティングすごかったから。
一方馬鹿にされてた公務員は給料から引かれてた額プラスアルファを退職後もらってるわけです。
自営業者だと社会保障制度を馬鹿にして払わないこと多かった。自分だけなら勝手だが、従業員のも払わなかった。
戦没者遺族年金は「戦没者」が増えないですから、減額もないし、臨時年金もたまにある(戦後60周年記念給付とか)おいしい年金でした。もちろん、戦中戦後の受給者の生活は大変だったろうから、もらってる人が丸儲けってことはないけど、空襲の被害者との扱いの差は問題になるのは当然かも。
父方の祖父は、教師をしていました。定年を迎えてから間も無く認知症を罹患し、若くして亡くなったのですが、当時は諸々の年金額が結構良く、受給していた祖母は同年代に比べると、比較的余裕の在る状況だった様です。ですので、「孫の大学入学資金の当てが戦没者遺族年金。」というのは、然も在りなんという感じですね。
厚生年金や国民年金だけじゃなくて戦没者遺族年金までもらってるひとが結構いて。変な話、家族の中で一番の高収入ってことが冗談抜きであった訳。だからとにかく延命延命ってことも多かったという話…。孫の大学入学資金のアテが戦没者遺族年金って珍しい話ではなかったですね。
この世代の人が中年期に医療も発達するようになって、本人も家族も長生きを望むようになって…、という流れもあって。
今90前後のこの人たちの後の世代はここまでのものは背負ってないといいけど。
何を以てして「人間らしく生きる」とするかは人其れ其れだと思うのですが、自分の場合は「治る見込みが無い許りか、どんどん悪化して行くのが現段階では確実な病に罹患し、自らの意思を示せず、そして動けなくなった時点で、人間らしく生きられているとは言えない。」と考えています。ですので、そうなった時点で、自分ならば「安楽死」を認めて欲しいと考えています。
唯、認知症の場合で言えば、此れは飽く迄も自分の考えですが、寝た切りにならない限りは、家族に対して安楽死を求めたくないというのが、今の気持ちです。でも、自分が重い認知症を罹患したら、「恥ずかしい姿を見せたくない。」と思うし、安楽死というのが頭を過るのも事実ですね。悩ましい問題です。
http://www.zakzak.co.jp/health/doctor/news/20140405/dct1404050830001-n1.htm
安い感傷で長生きさせられて恥をかかされてはたまらないから。
「秘密保護法」を成立させ、次は「集団的自衛権行使の合法化」を押し通そうとしている安倍首相。報道によれば「通信傍受(盗聴)法の改正」やら「共謀罪の新設」、「資産凍結法」等も前のめりで検討しているとか。こうなると、国民の反対が多い課題を“意図的に”次々と押し通す事で、「反対する声の分散化」を図ろうとしているのではないか?という気がしています。
「幾ら歯止めをしていても、いざ状況が悪化したら、歯止めなんか全く意味をなさずに、戦争に突入してしまう。」というのは、戦争体験の在る先人達の声。前のめりで「戦争を出来る国作りをしている人間達」は、実際に戦争が起こったら、常に安全地帯で指示をするだけ。最前線に立たされ、命を失うのは一般国民。特に若い世代に現実感が薄く、「遣られたら遣り返せだ!」なんぞと空虚な勇ましさを見せている事に、強く危うさを感じてしまいます。
今回の記事に対して最初に頂戴した書き込み(悠々遊様)、そして次に頂戴した書き込み(マヌケ様)、其の両方に今回の記事とは直接関係無い用語、即ち「集団的自衛権」が含まれているのが、強く心に残りました。自分も此の記事を記して行く中で、矢張り「異常な迄に前のめりになって、集団的自衛権を押し通そうとする安倍首相の姿と、もっと早く成さねばならない事柄が置き去りになっている現実に違和感を感じていた。」からです。
此方(http://toracyan53.blog60.fc2.com/blog-entry-6325.html)に詳細が記されていますが、オランダの政治学者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏が安倍首相に付いて先日、週刊誌上で的を射た指摘をしていました。曰く「安倍首相は『国民の幸福』より先に、『首相としての幸福』を追い求めている。」と。「日本人を幸福にしない新システム」が築かれ様としており、其れは以下の 「4つの不幸」を伴っているとも。
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①祖父を越えようとする程、其の功績から遠ざかる総理自身の不幸。
②愚かな坊ちゃんリーダー、ブッシュJr.と相似形の不幸。
③改憲論者すら違和感を持つ「軽薄過ぎる解釈改憲」という不幸。
④「日本人を不幸にするシステム」を更に強化し様という最大の不幸。
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①は以前から何度も当ブログで指摘していますが、「偉大な祖父・岸信介元首相が成し遂げられなかった事を自分が成し遂げ、皆に自分の能力を認めさせたい。」という安倍首相の極めて個人的な思いが最優先されているのだと思います。(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/f601e65a576a87a399785393d2707d57)
最優先すべき事柄は一杯在るのに、憲法改正やら集団的自衛権やらと、岸元首相の悲願だった事許りを、前のめりで押し通そうとしている。国民の反対が多かった「秘密保護法案」を数の論理で成立させた一方で、3党合意した「国民との約束」、即ち「議員定数削減」は1年半以上も店晒し状態。本当に遣る気が在るのならば、数の論理で押し通せる筈なのに。
「『国民の幸福』より先に、『首相としての幸福』を追い求めている。」、そんな首相の支持率が未だに在り得ない程の高さをキープしている。世論調査の仕方に疑問が続出している様ですが、真っ当な遣り方をしていて此の高さというのならば、日本人の感覚が何かおかしくなっている様な気がしてなりません。
普段野党からの質問には「仮定の話には答えられない」と突っぱねる与党でありながら、仮定の例を引きながら強弁するする姿に不快感を持ったのですが、その一方で認知症に関してこういう厳しい現実は放置されているんですよね。
ひとつの事象に対し表裏の捉え方があると、どう対処すべきか迷い、判断を下すのは非常に難しいですね。
ただ、こういうことが明確な解決策を示せないまま表立って取り上げられると、認知症を患った人がその初期症状の段階で、家族に迷惑がかかるからと自殺する例が増えてくるのではないかと、そんな危惧をもってしまいました。