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長崎県南児童相談所の元所長等が語る、或る少女を巡る忌まわしい事件。10年前に一体何が起きたのか。元所長、医師、教師、祖母・・・様々な証言が当時の状況を明らかにして行く。
児童相談所の元所長: 「汗塗れになって私の元へ走って来て、にっこりと微笑み掛けました。」
小児科医: 「彼の子に足りんのは、親の愛情だけ、って事だ。」
小学校教師: 「何かを訴えている様で、全てを諦めている様にも見える眼。」
母親: 「だって父親に懐かないけん・・・。」
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第9回(2010年)の「『このミステリーがすごい!』大賞」で優秀賞に輝いた作品「ある少女にまつわる殺人の告白」(著者:佐藤青南氏)は、「児童虐待」をテーマにしたミステリー。「長崎県を舞台にした或る少女への虐待事件を、多くの関係者が証言する。」というモノローグ形式でストーリーが展開して行くのだが、余りにも「悲惨」な内容に対して、長崎弁(著者は長崎県出身。)が多用されている事による「柔らかさ」が融合した不思議な作風。残念なのはモノローグ形式と言えば、2008年のミステリー界を席巻した作品「告白」(著者:湊かなえさん)のイメージが強烈過ぎて、同じスタイルの今回の作品がどうしても“二番煎じ”な感を否めない事。目新しさという点では、正直不満足だった。
「幼少期に虐待を受け続けて来た子が親になった際、2つのパターンに分かれ勝ち。」という話は良く見聞する。「あんなにも怖い思いをしたのだから、自分の子供には優しく接したい。」という「親を反面教師にしたパターン」と、「自分があんなにも虐待されたのだから、自分も子供に虐待するのは当然。」といった所謂「虐待連鎖のパターン」だ。「祖父母から親」、「親から自分」、そして「自分から子」と3代に亘る「虐待連鎖」の例を以前読んだ事が在るが、ぞっとすると共に、何とも遣り切れない思いになったもの。
昨日、或る声優が引き取った里子(3歳)を虐待死させた容疑で逮捕されたが、近所では「サザエさん一家の様な幸せな家庭。」とか「社会貢献に熱心な人だった。」という評判だったとか。「生真面目過ぎた為、理想通りに行かない子育てで、心身共に“破綻”を来してしまったのではなかろうか?」という気もするのだが、精神疾患の「代理ミュンヒハウゼン症候群」の可能性を指摘する声も在る。理由が何にせよ、幼くして生を終えなくてはならなかった子供が不憫でならない。
事程左様に、人の心は「闇」が巣くっていたりする物。表面的には滅茶苦茶「陽性」に見える人が、実は心の中に「悍ましい陰なる部分」を抱えていたなんて話は、そんなに珍しい事では無い。此の小説では、そんな「人の心の闇」を嫌と言う程に感じさせられる。
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いや、児相(=児童相談所)の職員というのはとにかく異動の多くて、専門職としてのエキスパートが育ちにくい環境があるとですよ。
どうしてそうなるのかといいますと、ほとんどが一般行政職として採用された地方公務員だからなんです。昨日まで納税課の窓口にいたり、水道局で検針していとったりした人間が、今日は児相で子ども悩み相談の電話を受けとるということもざらにあります。信じられんかもしれませんが児相の正体というのは、実は児童福祉の素人の集まりなんです。
児童福祉司というのは児童福祉法第13条の定めるところによると、専門の学校で福祉を学んだ者か、医師免許を持つ者、社会福祉主事として2年以上の実務経験を積んだ者などの条件がある、いわば資格専門職なんですが、これには抜け道がありましてね、条文の最後には「これに準ずる者」といった但し書きがあるとですよ。だからまったくの素人が、いきなり児童福祉の現場に放りこまれることが可能になるとです。
抜け道なんていう言い方しましたけど、別に児相で働く職員たちが悪いことをしとるわけじゃなかですけんね。制度と構造上の問題です。もともと福祉関係の仕事を志望していなかった人間にとっては、児相への異動というのは災難以外のなにものでもないかもしれません。昨日までは9時5時でのほほんと働いとったやつがいきなり現場に放り出されて、子どもを虐待しとる親から恫喝されたり、酷いときには刃物突きつけられたりするとですけんね。たまったもんじゃなかでしょう。
どうせ2年か3年我慢すれば、また別の部署に異動になる、それまでの辛抱だ。そういうふうに考えて、仕事を手抜きしてしまうのも無理はないですよ。しかしそうなると、ただでさえ職員の数が足りないもんですから、家庭への監視も行き届かず、虐待の兆候を見落としてしまうことに繋がります。
逆にもともと児童福祉を志していた人間などは、理想と現実のギャップに悩み、日々の激務で燃え尽きて辞めていくとが多いとです。こっちは腰掛け気分の一般行政職よりも、さらに短い期間で辞める傾向がありますね。前に私が児相の一時保護所長を務めておったときに、吉見君というひじょうに仕事熱心な職員がおったとですけど、彼は2年ともたずに、心を病んで職場を去りました。
相談件数に対して、対応する職員の絶対数が足りない。その中でも児童福祉への情熱を抱いた者はごくわずか。そのごくわずかな彼らは高い志のもとに身を粉にして働くものの、あまりの精神的肉体的負担に耐えられずに職場を去っていく。悪循環ですよ。
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さっき、日本の児童福祉司の割合は5万人から8万人に1人って言ったろう?これが子どもの人口に対しては、およそ1万人に1人ってことになるんだけど、その割合がイギリスだと5千人に1人、アメリカだと2千数百人に1人、ドイツに至っては9百人に1人なんだからな。国や社会の問題意識に雲泥の差があるんだよ。これだけ歴然としと差があるっていうのに、ほかの国と同じようなケアができるわけないだろう。日本の児相じゃあ、志を抱いた前途有望ま若者が燃え尽き症候群で次々と児童福祉の現場を去っていく現実があるけどよ、海外じゃ、そんなことはあまり問題にはならねえんだ。
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自分は児童福祉の問題に関して全くの門外漢なので、(小説内で記された)上記の事柄が何処迄事実なのかは判らないけれど、「幼稚園や保育園等と同様に『選挙の時には票に結び付かないから。』という理由から、『将来の日本を背負って立つ子供達に関わる大事な問題』にも拘らず、一切目を向けようとしない政治家。」、そして「そういった政治家を生み続けて来た我々国民の無関心さ。」が問題と言えるのだろう。
読後に爽快感は全く無い。寧ろ、「残尿感」の様な不快さを残す小説と言っても良い。次の展開が気になって頁を捲ってしまう作品だけれど、真犯人及び犯行動機に関しては割合容易に察しが付くと思う。或る人物の正体は、やや意外だったけれど。
ネット上の書評を見ると、概して高い評価が下されている様だが、自分としては其処迄高い評価を与えられる内容では無かった。総合評価は星3.5個。
何とも遣り切れない話ですね。幼児虐待だけでも許し難いのに、加えて性的暴行が在ったとしたら、どれだけ子供の心に傷が残ったかと思うと堪らないです。「自分がされて嫌だった事は、自分の子供には絶対にしない。」という強い思いを持って、今は幸せな家庭を築いていると良いのですが・・・。
以前にも書きましたが、遠縁に「社会的には超名士」とされる人物が居りました。政府の諮問委員等を務める等、表面的には「優れた人物」とされている彼でしたが、障害を持って生まれた我が子を、幼少時には“座敷牢”が如き部屋に閉じ込めて外に一切出さなかったという話を親類から聞き、憤りを覚えたもの。其の子も存命ならば、60を軽く超えた年頃の筈。今はどうしているのだろうか・・・。