ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

“偽コウジ”と呼ばれた男

2016年04月23日 | スポーツ関連

近年は「取り敢えず、一番調子が良い奴を据えておこう。」という感じが在るけれど、嘗て其れなりの重みが在った“ジャイアンツの4番打者”。そんな重みが在った時代、43代目の4番打者を務めていた男が、今日、黄泉の国へと旅立った。

 

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「元巨人山本功児氏、肝臓癌64歳で死去」(4月23日、スポーツ報知

 

巨人、ロッテで活躍し、現役引退後はロッテ監督や巨人のヘッド・コーチ等を務めた山本功児氏が、23日午後1時41分、北九州市内の自宅で肝臓癌の為死去した。64歳だった。

 

山本氏は本田技研鈴鹿から1976年に巨人入りし、代打切り札として活躍。1984年に三宅宗源とのトレードでロッテに移籍し、1988年引退。引退後は、ロッテのコーチ2軍監督をて、1999~2003年にロッテ監督。2004年は巨人の2軍ヘッド打撃コーチ、2005年は1軍ヘッド兼打撃コーチを務めた。

 

長男の武白志内野手(18歳)は、DeNA育成選手としてプレーしている。

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1543年生まれの徳川家康に対し、武田信玄は1521年生まれ、上杉謙信は1530年生まれ。家康よりも信玄は22歳、そして謙信は13歳も年上。“たられば”を言っても意味無いけれど、上手の信玄と謙信が、若し家康と世代だったら、天下統一を果たしたのは家康では無く、信玄又は謙信になっていたかもしれない。

 

1976年、選手としては晩年に入っていたけれど、其れでも「49本」のホームランを放っていた王貞治選手。其の年にジャイアンツ入りした山本功児氏は“王選手の控え”、そして“代打の切り札”という役割を与えられたけれど、若し別のチームに入っていたら、恐らくはレギュラー選手として、もっと活躍出来ていただろう。

 

「ホームラン:64本、安打:699本、打率:.277」という生涯成績は、ハッキリ言って超一流とは言い難い。でも、堅実な守備やチャンスに強い打撃は、派手さは無いものの、玄人受けする選手だったと思う。

 

5歳年上には“ミスター赤ヘル”と呼ばれた、元カープ山本浩二氏が居る。大スターにして、一般的な知名度も高い彼の存在により、同じ「ヤマモト コウジ」という読みの山本功児氏は、コウジ揶揄されたりも。

 

去年だったか、闘病生活を送っている彼の姿を、TV番組目にした。自分と同じプロの世界を目指す長男を、厳しく且つ優しい眼差しで見詰めているシーンが印象的だった。其の長男・山本武白志氏は昨年、育成2位としてベイスターズに入団。

 

ベイスターズのGMを務めている高田繁氏は、山本功児氏にとってジャイアンツ時代の先輩でも在る。今回の訃報を受け、高田氏は次のコメントを出していた。

 

守備も上手いが、代打でも良い活躍をする選手だった。体調が悪いとは聞いていたが、64歳は早過ぎる。3年前には、臨時コーチを遣って貰った。2週間程前に電話を貰って、『(DeNA育成選手で長男の)武白志の事は厳しく遣って下さい。』と話していた。息子が1軍に上がる姿を見られなかったのは、無念だっただろう。

 

愛する長男がプロの世界で活躍する姿を見れなかったというのは、本当に無念だったと思う。球界の先輩に「武白志の事は厳しく遣って下さい。」と電話したのも、“親として最後の頼み”だったに違い無い。

 

合掌


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