************************************************
ルビ:振り仮名用の活字。又、振り仮名。イギリスでルビーと呼ばれた5.5ポイントの欧文活字の大きさが、で5号活字の振り仮名として用いた7号活字と略等しかった所から言う。
************************************************
1979年、山口百恵さんが歌って大ヒットした曲「愛の嵐」【動画】。其の歌詞の中に「ルビを振ったらジェラシー♪」というのが在る。具体的に言うと、「『炎』及び『狂う』という言葉にルビを振ったら『ジェラシー(嫉妬)。』としており、「愛する人への嫉妬心を『炎』や『狂う』と捉えた、作詞家・阿木燿子さんのセンスの良さが光っている。」と思う。
今日は、そんな“ルビ”に関するニュースを取り上げる。
************************************************
「振る?振らない? 5月に発足『ルビ財団』 書けない漢字も変換出来ちゃう今だからこそ『振り仮名』を」(10月6日、東京新聞)
社会にもっとルビを。振り仮名の使用を出版社や自治体に働き掛ける「ルビ財団」を、オンライン証券大手マネックスグループの松本大代表執行役会長等が立ち上げた。「出版物やウェブサイト、街の案内板の漢字のルビを増やし、子供や外国人にも読み易くしたい。」と言う。今、「ルビフルな社会」を目指す理由とは。
ルビ財団は松本さんの提唱で、5月に発足。非営利の財団で、社会還元を図る海外の寄付文化をモデルにしたと言い、2年間を目途に1億円の私財を投じて活動する。「公式サイトでボタンを押すと、文脈に応じて自動で漢字にルビを付けたり消したり出来るソフト。」を開発し、年内にも自治体等へ提供する計画だ。
代表理事の伊藤豊さん(45歳)は「漢字がネックになって、小6の娘が読みたい本を諦めてしまう。『勿体無いなあ。』と思って来た。」と話す。中学受験を控える長女は、過去問や模試に引用される新書や小説に興味を持ったが、1冊丸ごと読もうとして断念する事が相次いだ。
伊藤さん自身、シリーズ本を指す「叢書」という漢字が読めなかった。努力を惜しまない意味の「吝かで無い」等、普段書かない漢字もデジタル変換出来る今、ルビが在れば、受け取る側に優しいと感じている。
財団発足に、歓迎の声も在れば、「ルビを振る必要が無い。」と笑われる事も。「長く見過ごされて来たルビに光を当てる事で、漢字が苦手な人の理解を助け、出版界の発展にも繋がるのでは。」と話す。
抑、ルビとは何か。清泉女子大の今野真二教授(日本語学)によると、活版印刷が主流となった明治時代、活字の大きさを宝石で言い表した英米の活字の愛称「ruby」から来ている。江戸時代には既に、全ての漢字に振り仮名を付ける文化が在り、不特定多数の読者を獲得する狙いが在ったと言う。
明治、大正と続いた「総ルビ」文化は戦後、終わりを迎えた。日常的に使う漢字を絞る意図を以て、1946年に当用漢字表の内閣告示が為され、1つの字に対する音訓が定められた為だ。本紙も原則として、当用漢字表を基に定められた現在の常用漢字表に沿って、ルビを振るかどうか判断している。
唯、今も「総ルビ」に努めるケースは在る。中部9県の小・中学生向けに発行している新聞「中日こどもウイークリー」は、漢字に原則全てルビを振っている。福沢英里編集長は「漢字を多く読んで言葉を知って欲しいが、多用すれば堅苦しく、読み辛い。バランスを工夫している。」と話す。
在住外国人が増えている長野県安曇野市が、7月から取り組む「やさしいにほんご」も其の1つ。公式サイトのボタンを押す事で、ルビを振ったり、難しい言葉を平易な表現に直したり出来る機能を設けた。
10月1日現在、外国籍市民は40ヶ国・地域の1,494人。コロナ禍を経て、技能実習生が増えている。財津達弥・市人権共生課長は、「外国の方が塵出しのルールや災害情報を知りたくても、何処に相談したら良いのか判らない。最初に情報を得る入り口として、役立っている。」と話す。
此れからのルビは、どう在るべきか。今野さんは、「子供や外国人を支援する為のルビは当然必要だが、中学卒業時に読める想定の常用漢字に迄全部ルビを振るとなると、却って合理的では無い。『読み辛い。』とも言われるだろう。」と指摘する。
唯、「常用漢字表は、芸術分野には及ばない。」として、「文学作品等で其れ以外の漢字を使い、ルビを振るのは全く問題無い。場面に応じて、ルビは使い分けると良い。」と話している。
************************************************
今は亡き或る首相経験者が、国会答弁中に手元の原稿を読んでいた際、望遠レンズで其の原稿の中身が撮られた事が在った。全ての漢字にルビが振られており、自身の役職で在る「内閣総理大臣」どころか、自身の名前迄もルビを振られていたのには唖然とさせられた。書かれている漢字の読み間違いを指摘され、揶揄されたりするのが嫌で、そういう形になったのだろうが、「何でも彼んでも、ルビを振りさえすれば良いという物では無い。」のだ。
抑、政治家たる者、「自分の言葉で、判り易く説明する。」のが大事。間違ってはいけない“肝”となる部分はメモ書きとして持って、時折目を遣る程度は構わないが、「原稿に書かれている内容を良く理解しないで、終始棒読みしているだけ。」という政治“屋”が少なく無いのは嘆かわしい限りで、そういう輩に限って“総ルビ振り”を甘受している様な気がする。
で、今回のニュース、漢字を読めない(又は苦手な)子供や外国人にとっては、“ルビフルな社会”というのは悪く無いと思う。でも、「何でも彼んでもルビを振る。」というのは「良い年をした大人の向上心を阻む気がするし、文学作品の持つ“香り”を減じさせる。」という気もする。なので、元記事で最後に今野教授が指摘している事には、個人的に同意。