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マニフェスト: 政策要綱。イギリスの選挙で政党から公表される物で、具体性を欠く選挙スローガンや公約と異なり、政策の数値目標、実施期限、財源等を明示する。
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我が国では「政権公約」と訳される事の多いマニフェストも、今やすっかり定着した感が在る。来月30日に行われる衆議院議員選挙に向けて、各党が独自のマニフェストを出し始めているが、中には「本当に実現出来るのだろうか?」と首を捻ってしまう内容も。耳障りの良い公約を並べ立てるばかりでは無く、真に必要と在れば受けの悪い公約も盛り込む必要性が在ると思うし、より実現性の高い公約を絞り込んで提示して欲しいもの。
国政に秋波を送り続けていた某県知事もそうだが、最近の政治家はやたらと「マニフェストがどうこう。」と声高に叫ぶ傾向が在る。政権公約としてのマニフェストは重要と思っているが、彼等の発言を見聞していると「マニフェストに色々載せる事自体が最終目標。」と勘違いしている様な節が在る。
全国知事会が「各政党のマニフェストを採点し、衆院選公示前に公表する。」事を決めた様だが、「自身が後に国政に打って出る為の恩着せ」にならない範囲で在れば、それはそれで面白い試みだとは思う。けれど、“今後のマニフェスト”の採点も重要だが、“前の選挙でのマニフェストの採点”もより重要ではないのか?各党が前の選挙で打ち出したマニフェストが、実際問題どの程度実現出来ているのかを分析する必要が在ると思う。与党と野党とでは自ずと実現度に差異が生じるだろうから、その点は或る程度考慮するにしても、妙な柵の無い第三者機関が冷静に各項目を分析&数値評価し、それを国民個々で判断する機会が無ければ、結局は何でもかんでも盛り込んだ者勝ちになってしまう懸念が。不勉強な身故、実際にそういった事をしている第三者機関が在るのかもしれないけれど、在るなら在るでもっと大々的にその存在を知らしめて欲しい。
マニフェスト: 政策要綱。イギリスの選挙で政党から公表される物で、具体性を欠く選挙スローガンや公約と異なり、政策の数値目標、実施期限、財源等を明示する。
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我が国では「政権公約」と訳される事の多いマニフェストも、今やすっかり定着した感が在る。来月30日に行われる衆議院議員選挙に向けて、各党が独自のマニフェストを出し始めているが、中には「本当に実現出来るのだろうか?」と首を捻ってしまう内容も。耳障りの良い公約を並べ立てるばかりでは無く、真に必要と在れば受けの悪い公約も盛り込む必要性が在ると思うし、より実現性の高い公約を絞り込んで提示して欲しいもの。
国政に秋波を送り続けていた某県知事もそうだが、最近の政治家はやたらと「マニフェストがどうこう。」と声高に叫ぶ傾向が在る。政権公約としてのマニフェストは重要と思っているが、彼等の発言を見聞していると「マニフェストに色々載せる事自体が最終目標。」と勘違いしている様な節が在る。
全国知事会が「各政党のマニフェストを採点し、衆院選公示前に公表する。」事を決めた様だが、「自身が後に国政に打って出る為の恩着せ」にならない範囲で在れば、それはそれで面白い試みだとは思う。けれど、“今後のマニフェスト”の採点も重要だが、“前の選挙でのマニフェストの採点”もより重要ではないのか?各党が前の選挙で打ち出したマニフェストが、実際問題どの程度実現出来ているのかを分析する必要が在ると思う。与党と野党とでは自ずと実現度に差異が生じるだろうから、その点は或る程度考慮するにしても、妙な柵の無い第三者機関が冷静に各項目を分析&数値評価し、それを国民個々で判断する機会が無ければ、結局は何でもかんでも盛り込んだ者勝ちになってしまう懸念が。不勉強な身故、実際にそういった事をしている第三者機関が在るのかもしれないけれど、在るなら在るでもっと大々的にその存在を知らしめて欲しい。
形だけのマニフェストならいらないっす。
いかに実行できるかが重要ですよね。^±^
というよりむしろ、「国民にとって魅力ある政党・政治家」ってのを強く望みたいです。
形だけのマニフェスト同様、形だけの政治家もいりませんね。我等の血税に見合った人物を。
しまった。一言だったつもりが・・・。x±x
仰る様に「形式だけのマニフェスト」なんか全く無意味。直ぐに実現出来る公約以外に、国家にとって真に必要な事柄で在れば、長期的に成し遂げて行く公約が在っても良いとは思いますが、兎に角“夢物語”で在っては駄目でしょうね。
国民にとって魅力の在る政党や政治家っていうのは、実は非常に難しいかもしれません。と言うのも、4年前の時点では多くの国民にとって小泉首相って非常に魅力的な政治家だったと思うんです。斯く言う自分も初期段階では、彼がこの国を良い方向に変えてくれると期待しましたし。でも、結局は「国民では無く、身内しか見ていない。」という従来の政治家と大差無かった。
一国の指導者って「この国の将来の為には、絶対にこれを断行しなければいけない。」と思う事柄に付いて、時には国民の猛反発を食らっても押し通さなければいけない事も在る。常に国民に良い顔だけ見せる必要は無いと思っています。しかし、その大前提として自身(及び身内)に対しては、常に他者以上に厳しく在り続ける必要が在るのは言う迄も在りませんが。
さて、マニフェスト。実現可能で現実的な裏付けのある内容は、もちろん大事だけれど、その行き着く先、目指すその先にあるものは何か、そのビジョンはもっと大事だと思います。現実路線が足元を見つめることだとすれば、理想を掲げることは、目的地を見定めることだと思います。足元ばかり見つめて、自分がいったいどこに行こうとしているのか分からないマニフェストでは、場当たり的で不安です。
目標とする理想を掲げ、そこに向かって具体的にどういう政策を採り、どう進めていくのか、そのためには時にどういう痛みを伴うのか、時系列を組み立てたマニフェストを立てて、政権を争ってほしいものです。
前にも書いた事なのですが、小泉首相が登場する迄は、曖昧模糊とした言い方しかしないそれ迄の首相達(中曽根首相は一寸毛色が変わっていましたが。)にウンザリしていたし、「毅然と主張出来る首相が登場してくれないものか。」という思いが強く在りました。それだけに彼の登場には期待する物が大きかった。郵政民営化自体も個人的には賛成だった(基本的にはその思いは変わっていません。唯、地方への対策は必要でしょうね。)けれど、あの当時に当ブログでも小泉手法に疑問を呈される方々が居られたのは、己が不見識を恥じるばかりです。その時点では奥深い部分迄見えていなかった自分ですので。
上でてくっぺ様へのレスとして書かせて貰ったのですが、直近の課題に対するマニフェストも重要だけれど、国家の基盤に関わる長期的な課題に対してのマニフェストも重要に思っています。「この国を将来的に、どういう方向に持って行きたいのか?」をきちんと明示しない“船長”の下では、乗客も不安を感じるばかりでしょうし。
兎に角、与党も野党も他者攻撃に明け暮れるだけなのはもう勘弁して欲しい。そして、それは我々国民にも同じ事が言えるかと。やれ左だ右だ、売国奴だ何だと、不毛な「言葉遊び」をしているのはおろかしい限りだと思うし。
「やたらと横文字を並べ立て、その実態を見え難くする。」というのは御役所が間々使う手法では在りますが、政治家の口にする言葉もそういった感が在りますね。シンプルにして判り易い言葉を用い、一つの方向に世論誘導を図った小泉元首相のケースも在りますから、「判り易い言葉=全て良し」とは必ずしも言えないけれど、兎にも角にも「目先を誤魔化すだけの言葉遊び」は止めて欲しい。
政治不信が極限迄来てしまった感の在る我が国。今度の選挙の投票率が気になりますが、やはり2人に1人程度は棄権するのでしょうね。投票は権利で在ると同時に、義務でも在る事を知って欲しいのですが・・・。