今日は、新聞等で目にした「印象に残った話」を紹介したい。
旧聞に属する話だが、先月8日行われた「東貴博氏と安めぐみさんの結婚披露宴」で、出席した伊東四朗氏の乾杯の挨拶が新聞に載っていたのだが、胸を打たれる名挨拶だった。
東貴博氏の父・東八郎氏は、“芸”も然る事乍ら、滲み出る人柄の良さも在って、好きな芸人の1人。彼が52歳の若さで急死した時は、本当に残念で哀しかった。
盟友が志半ばで亡くなった事を残念に思っていたろうし、遺児の貴博氏をずっと気に掛けていたで在ろう伊東氏。乾杯の挨拶は、そんな彼の思いを強く感じさせる物だった。
*********************************
【Techinsight Japan(7月14日)から抜粋】
式では小堺一機、堀内孝雄等が主賓のスピーチをした後に、乾杯で三宅裕司と伊東四朗のスピーチとなった。生前の東八郎と親交が深かった伊東は、「今日、未だ八ちゃんが会場に来てないんだよ。」と始めた。そして八郎との思い出を語り出した。或る日、八郎が仕事に遅刻をしたのだと言う。何時も余り遅刻しない上に、八郎は会場の直ぐ傍に住んでいた為、どうしたのか心配になった様だ。暫くして遅れて来た八郎に話を聞くと今朝、息子が産まれたと聞かされたのだと言う。東貴博が産まれた日の事で在る。息子の誕生が相当嬉しかった様で、八郎は会場を間違えた為、遅刻をしてしまったという話を披露した。八郎の素朴な人柄に触れるエピソードだ。
そして其の後、会場に目を遣り「八ちゃんが遅れて来た。」と言うのだ。「嬉しさの余り、又、会場を間違えたな。」と続けたのだと言う。伊東は、新郎新婦の間に座った“八郎”に向かって「グラス持てよ。じゃ、皆で乾杯しよう。」と話し掛け、乾杯となった。其の時、会場に居た皆が涙を流していたのだと言う。
*********************************
以前の記事で、「ダウンタウンの松本人志氏がテレビ番組で、『だから哀愁世代というのは、僕で終わりじゃないかと思うんですよ。』と語っていたという話。」を取り上げた。彼の言う「哀愁世代」とは「人情喜劇が判る世代」を指し、「笑いには、絶対『哀愁』が必要。」と主張していたそうだ。
ホロッと泣かせては、笑いを挟む。人情喜劇が熟せる伊東氏だからこそ、こういった名スピーチが可能なのだろう。記事を読んでいるだけで、目頭が熱くなってしまった。
「ニッポン放送ショウアップナイター」の実況放送等で御馴染みの松本秀夫アナウンサーが、夕刊フジで「松本秀夫のプロ野球実況中継」というコラムを連載している。8月3日付けの紙面では「『伝統』守る為には小言を言う人が必要」というタイトルで、「正しい伝統を守り伝える為には、仮令嫌われても小姑の様に小言を言える人が必要。」と主張。
*********************************
大先輩から、スポーツ実況に於ける正しい表現に付いて御指導を戴く機会が在りました。
先ずは元NHKのSアナウンサー。曰く「昨日の試合で実況アナが“ピッチャーが牽制悪送球の間に三塁ランナー、ホームイン。”って言ったんだけど、どう思う?」。
私は別段おかしいとは思わなかったんですが、こう仰いました。「ピッチャーゴロを捕って、一塁に投げるのは送球。でも牽制球は送球じゃないから、牽制悪送球って言い方はどうなのかな?我々は、“悪投”と言ってたね。」。
うーん・・・正直に言えば悪送球に慣れてしまっているので一寸 面食らいましたが、正確にはS先輩の仰る通りなんですよね。
もう1人も、元アナウンサーの大先輩Aさん。「最近は“ファール、ファール。”と言うアナウンサーが多いけど、正確には“ファウル”ですからね。」。
細かい事を・・・と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、辞書の発音記号を見ても、正しくは「ファウル」なのです。
*********************************
時代によって、「言葉」は変化する。「正しいとされた言葉」が、時代と共に「正しくない様に感じられる。」事は結構在る。でも、「正しい言葉を守ろうとする姿勢」は、大事だと思う。
*********************************
そんな事を考えていたら、ヤクルトの伊勢総合コーチが面白い話をしてくれました。
「オールスターで試合後に選手はシャワーを浴びるやろ。広島の前田健太、野村、堂林の3人は、最後迄待っていたそうや。マエケン位の実績が在れば、先に浴びてもおかしくない。広島は伝統的に、そういう教育が徹底しとるんだよ。」。
自軍の選手に付いてどう仰ったかは敢えて書きませんが、「球界全体の傾向として、若手に煩く小言を言う選手が少なくなっているね。」というコメントは、非常に印象的でした。
*********************************
「先輩風を吹かせて、理不尽な押し付けをする。」といった体育会系の乗りは好きじゃないけれど、先輩を立てて最後迄シャワーを浴びなかったというマエケン達には心打たれたし、「そういう伝統が引き継がれているカープというのも、又、凄いな。」と思った。こういうチームには、本当に頑張って欲しいもの。
自分は、ザ・ドリフターズを見て育った世代です。毎週、「8時だョ!全員集合」を楽しみにしていたし、彼等のコントで大笑いしていた。
しかし、此の年になって再放送で彼等のコントを見ると、昔程笑えなかったりする。食べ物に「旬」が在る様に、笑いにも「旬」が在るのですね。
過去の笑いを何でも彼んでも在り難がるというのは自分もどうかと思うし、其れじゃあ「笑いの進化」は生れ得ないとも思う。唯、何時の時代に在っても、“心底笑える笑い”にはベースに何か確固たる物が在る様に感じるのです。
以前、誰だったか忘れましたが、或る御笑いタレントが「笑いとは、意外性の中から生まれる。」といった事を口にしていました。此れは、確かに在ると思います。予想もしていなかった展開が在るからこそ、笑いが増幅される。「人情喜劇」という言葉からすると松本氏の笑いは全然遠い気がするけれど、ドライな中にも“起伏”が在るという意味では、人情喜劇に通じる所が在る様にも。
逆に言えばそういった伝統を知ってるから、それに抗して新たな流れを広げたともいえるし。
改変のない伝統はないというけれど、ある種の伝統を踏まえて(理解したうえで)何か新しいことをしていける人が必要で、そういった人材の枯渇が今のバラエティのつまらなさなのかなあと思いました。でも今いきなり昭和30年代と同じ笑いをされても理解できるのは中高年に限られてしまう。伝統とはアナクロ回帰ではない。この辺をちゃんと理解しないといけない。