「広島市への原子爆弾投下」(1945年8月6日)や「長崎市への原子爆弾投下」(1945年8月9日)、そして「玉音放送の放送」(1945年8月15日)等、8月は「第二次世界大戦に関して色々考える月」だと思う。そして同時に「『日本』とか『日本人』という物を、深く意識する月」で在ると言っても良いだろう。深く意識する事自体は決して悪くは無いのだが、「過ぎたナショナリズム」を主張する人が此の時期にドッと増えるのは、個人的に「何だかなあ・・・。」という思いは在る。でも其の言動が明々白々に違法だったり、他者に迷惑を掛ける物ならば論外だが、そうで無ければどんな主張をしようが其れは個人の自由。問題なのは「『自身の主張こそが唯一無二的に正しい。」と他者に強いる人達や、そういった風潮。」だ。「~の方が良いですよ」といった主張なら良いけれど、全てに於て「MUST(~しなければならない)論」を振り翳す人達や風潮には辟易としてしまう。
高岡蒼甫氏の発言も在ってか、今夏は例年以上に「MUST論」を振り翳す人が目に付く。「日本人なら」とか「日本人として」という切り口で「1つの形」しか認めず、尚且つ其れを強いる人達というのは、一体何なのだろうか?多様性を一切認めず、意に沿わない物は力尽くで排除しようとするのは、とても真っ当なスタイルとは思えない。
キスには、様々な様式が在る。唇を触れ合うだけの軽いキス、即ち「ソフト・キス」も在れば、舌を絡める様な濃厚なキス、即ち「ディープ・キス」が在ったりと多種多様だ。もし貴方が恋人にキスをする際、ソフト・キスを好んでするタイプだとする。そして其れを知った他者が、「本当に相手を愛しているならば、ディープ・キスをしないのは絶対に在り得ない。ディープ・キスをしないというのは、相手を心から愛していない証拠で、付き合う事は絶対に許せない!!」等と執拗に主張し、力尽くで別れさせようとして来たら貴方はどう思うだろうか?「どんなキスをしようが、当事者の勝手だろ!貴方がディープ・キスを好むのは自由だけれど、其れを他者に強いる権利は無い!!」と思うのが普通ではないだろうか。
「彼は、日本人的な心を持っている。」といった比喩的なケースは別にして、「日本人とは何か?」となれば、「日本の国籍を有している人」というのが法的な決め事の筈。なのに「日本の文化“のみ”を受け入れ、他の文化を排除する者で無ければ日本人じゃない!」、「靖国神社に参拝しない者は日本人じゃない!(逆に「靖国神社に参拝する者は日本人じゃない!」というのも同様。)」、「皇室を愛さないのは日本人じゃない!(逆に「皇室を愛するのは日本人じゃない!」も同様。)等々、極めて狭量且つ独善的な考えを“他者に強いる”のはおかしい。
「朝から晩迄、相撲や落語、歌舞伎といった日本文化を感じさせる物だけにしか触れない。」のも自由なら、「日本を含め、様々な国のコンテンツに触れる。」のも自由。「皇室を愛する人」や「皇室を嫌う人」、「皇室に対して、特に何とも思わない人」等々、色んな考えが在って良い筈。
又、自分は靖国神社を参拝した事が在るけれど、だからと言って「日本人なら皆、靖国神社に参拝しなければいけない!」等とは思わない。参拝するのも自由なら、参拝しないのも自由だから。抑「靖国神社に参拝しない人は、戦争で亡くなった人達を軽んじている。」みたいな決め付けは、実に変だ。靖国神社に参拝しなくても、戦争で亡くなった人達に対して深く哀悼の思いを持ち続けている人だった居る筈だから。*1
極めて狭量で独善的な考えを他者に強いる人達は、「自分と寸分も違わない考えの人だけが住む国」が理想郷なのだろうか?皆が皆、自身と全く同じ考えの国なんて、自分なら気持ち悪くて住みたくない。決して居心地が良いとは思わないし、そういう国が理想郷と考える人が多いならば、何時かは「『自分自身の考えが誤り』として、他者から排除される可能性が在る。」という恐ろしさを認識して貰いたい。
*1 事前にマスメディアに対して「我々は○時○分に参拝します。」といった連絡を入れているのかどうなのかは知らないけれど、8月15日に“集団で”靖国神社参拝をしている政治家達というのが、(5年前の記事「特別な人の立場」でも書いたけれど)自分には理解出来ない。今夏で言えば安倍晋三元首相や小泉進次郎議員等は、“単独で”参拝した(らしい)という事で、其れは其れで評価出来る。しかし1人だと何も出来ないのか、又は「皆で動けば怖くない。」という考えなのかは判らないけれど、集団にてドヤ顔でカメラを見据えて“行進”している議員達を見ると、「結局は日本遺族会の票が欲しいだけなのでは?」と感じてしまう。「8月15日“だけ”靖国神社を参拝、其れも本当に戦没者を哀悼する気持ちが在るのか疑問に感じる人。」と、「靖国神社には参拝しないけれど、毎日家で戦没者を思って手を合わせている人。」が居ると“したら”、「果たして何方の人が、本当に戦没者を思っていると言えるのか?」は自明の理だろう。「参拝反対!」とか「参拝賛成!」とか、靖国神社の周辺で大騒ぎしている人達は、其のスタンスが右だろうが左だろうが、「戦没者の魂を静かに悼む気持ちが無い。」という点では同根。靖国神社に参拝するならするで、ゾロゾロと徒党を組んで騒々しくするのでは無く、静かに参拝して戦没者の鎮魂に努めて貰いたい。
どういう思想の持ち主で在れ、真に戦没者を悼む思いが強い人ならば、「せめて8月15日位は、静かに戦没者を悼んで欲しい。」と思うのが普通ではないかと。其れをやれ「売国奴!」だ、やれ「軍国主義!」だと大声で罵倒している人達を見ると、結局は「自己アピールや自己陶酔しているだけではないか。」と思ってしまう。
迷走し捲っている民主党政権だけれど、評価出来る数少ない「成果」の1つが、「シベリア抑留者への一時金支払い」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99#.E3.82.B7.E3.83.99.E3.83.AA.E3.82.A2.E7.89.B9.E6.8E.AA.E6.B3.95)と認識しています。不当な立場に置かれ続けていた人達を、ずっと見捨てて来た政権政党。一時金によって抑留者達の心の傷が癒える訳では無いだろうけれど、少なくとも「手を差し伸べた」というのは良かったのではないかと。
日本遺族会もこりゃやばいと思ってるのか、「遺族/軍人恩給もらう権利のある人」が亡くなった後、その遺産相続人が新たに恩給をもらえるようになっています。我が家の場合平成27年まで年数十万もらえる仕組みです。その後は「自民党政権ではない可能性がある」「国費の問題」もありますのでどうかは知りません。
>結局は日本遺族会の票が欲しいだけなのでは?
遺族恩給の遺族恩給もらってる一家の人間ですが、見抜いている人も多いとは思います。