貴方は踏切を渡り、向こう側の道路に行こうとしている。すると、線路の途中で踏切警報機が鳴り出し、目の前で遮断機が下りてしまった。そういう状況で、貴方はどういう行動を取るだろうか?普通に考えれば、直ちに遮断機の下を潜り、道路に出るだろう。でも・・・。
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「“乍らスマホ”で踏切へ?撥ねられ死亡」(7月14日、日テレNEWS24)
先週、東京・板橋区の踏切で、31歳の女性が電車に撥ねられ、死亡する事故が在りました。女性は“乍らスマホ”の儘、踏切内に入ったと見られています。
警視庁によりますと、8日、板橋区徳丸の東武東上線・東武練馬駅 傍の踏切で、帰宅途中の31歳の女性が電車に撥ねられ、死亡しました。
当初、警視庁は自殺と事故の両面で調べていましたが、其の後の捜査で、電車に撥ねられる直前、女性はスマホを操作し乍ら、其の儘、踏切内に入り、線路を渡った先に在る遮断機が下りた為、其処で立ち止まっていたと見られる事が判りました。其の後、女性は踏切内に立った儘、電車に撥ねられました。
現場の状況等から警視庁は、「女性が“乍らスマホ”により、自分が踏切の外に居ると思い込んでいた可能性が在る。」と見て、調べています。
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警察の見立てが正しいならば、件の女性は「“乍らスマホ”をしている状態で、踏切内に入り込んだ。→ふっと気付くと、目の前で遮断機が下りて来た。→「踏切に入る“前”で遮断機が下りたのだ。」と思い込み、其の儘、“線路内”に留まり、列車に跳ねられてしまった。」という事になる。そうなると、彼女は踏切内に入り込んだ事自体、全く気付いていなかったという訳だ。
「先日、母が参加していた“歩く会”で、参加者の1人が“乍らスマホ”をして歩いていた所、躓いてしまい、怪我を負った。」という話を聞いた許り。「“乍らスマホ”により、ぶつかった相手に怪我を負わせてしまった。」というのは良く見聞するが、「自分自身も、怪我を負ってしまう事が在るんだよな。」と、改めて“乍らスマホ”の危険さを感じたけれど、今回の様な事故を誘発してしてしまう事も・・・。
自分も電車内では、本を読む事が多いです。又、寝る前に本を読まないと、1日が終わらない。そういう意味ではスマホ依存症ならぬ、本依存症なのかも知れません。
とは言え、スマホを所持し忘れてしまった際、雫石様の様に心許無く感じた事も在り、妙な物ですね。無ければ無いで、大きな支障は無かったのに・・・。
スマホは必要な時しか触りません。もちろん歩きスマホはしません。
先日、スマホを海に落としました。海の上で仕事をすることがあり、仕事を終えて陸に戻るとき海に落としました。
NTTドコモの補償センターから代替え品を送ってもらったのですが、スマホのない生活が二日ほどありました。なんかスース―して心もとなく感じました。私もスマホに依存している部分があると判ってスマホの恐ろしさを実感しました。
実は自分も、全く同じシステムを考えていました。加えて、「立ち止まった状態だけでは無く、何等かの機能を使って、道の端に寄っていないと使えない様にした方が良いのではないか。」とも。どういう事かと言うと、此れは実際に経験した事からなのですが、通路のど真ん中に立ち止まって、スマホで話している人が結構居り、「邪魔だなあ。」と何度か思ったからです。
ながらスマホの事故というと、2017年12月に、片手でスマホを操作し、もう片方の手には飲み物を持ったまま自転車を走行させ、歩行中の女性にぶつかって死亡させた事件がありましたね。今回は他人に被害が出なくて幸いでしたが、それでも電車が止まって乗客には迷惑がかかるし電鉄会社は後始末の手間がかかるし大迷惑ですね。
いつも思うのですが、スマホは確かに便利ですが、嵌まり込んでしまうと周りが見えなくなってほとんど夢遊病みたいな状況になってしまう、やっかいな道具ですね。一種の“麻薬”と言ってもいいかも知れません。
だから私はスマホなんて持ちたいと思いません。今もガラケー愛用してます。それで何の不自由もありません。
それで前から思っている事ですが、こういう事故をなくす為にも、“歩いている時には、スマホ画面をフリーズさせるか真っ暗にするとかの機能を追加”してはどうでしょうか。歩数計アプリのように、現在でも移動している事はセンサーで掴めるはずですから難しくはないと思います。操作したければ立ち止まってやればいいだけです。ただし通話は前を見ながらでも出来るし、緊急事態での連絡もあるでしょうからそれだけは歩行中でも可でいいとは思いますが。
しばらくは不満が出るでしょうが、案外そうすれば、スマホ依存症になる人も減るのではないでしょうか。
総務省あたりが音頭を取って、メーカーに指導していただければと思います。本人や周囲の命を守る為にも、是非考えていただきたいものです。
二宮金次郎は「滅私奉公の象徴」として、国家が“悪用”した面“も”在り、そういう理由から“も”撤去されたのでしょうね。
銅像からは小柄なイメージが在りますけれど、実際には可成り大柄だった事を長じてから知り、驚きました。
スマホへの依存度がそんなに高くない自分からすると、四六時中スマホを弄っている人達の姿は、申し訳無いけれど“不気味”以外の何物でも無い。乍らスマホをしている人がぶつかって来た事も在り、「何等かの形で取り締まって欲しい。」という思いも在り、今回の悲しい事故が、そういう人達への警鐘になって欲しいです。
小学生の頃、学校には二宮金次郎の銅像が設置されていました。芝を背負い本を読みながら歩く子供時代の金次郎の姿です。
その後、交通事故の増加と共に危険な行為の奨励に見えるということか、次々と銅像は撤去されていったと聞きます。
ながら歩きの対象が本からスマホに変わったものの、無くなりませんね。
危険と言われ続けていても、人間の習性となのかなと思ってしまいます。
今回亡くなられた方は、おそらく自分の身に何が起きたかも分からないまま亡くなられたのでしょう。
死の苦しみや恐怖に直面すること無く亡くなられたとしたら、それだけが救いです。