① 東京都議選
7月3日に投開票された東京都議選は、民主党が大幅に議席を増やし都議会第2党となった。自民党は議席数を3つ減らしたものの、国政の場で共に与党を構成している公明党が全23議席の当選を決めた為、結果的には民主党以外の野党の惨敗という事になろうか。
それにしても公明党、もっとハッキリ言えば創価学会の集票マシーンぶりは凄まじいものが在る。どんな宗教を信じようがそれは個々人の勝手だが、与野党を問わず多くの議員達が創価学会の顔色を窺いながら言動している現状は、どう考えてもまともな状況だとは思えない。政治家たるものは国民の為に是々非々を明確に主張する存在で在って、特定団体の代弁者で在ってはならない。
以前書いたかもしれないが、選挙報道では御馴染みの福岡政行教授(白鴎大学)が嘗て面白い発言をしていた。
「『自分が一票を投じたからといって、世の中何も変わらない。』と棄権する人が少なからず居ます。でも、考えて欲しいのです。仮に投票率が50%だった場合1票の価値は2票分に、33.3%の場合は3票分の価値に相応します。こうなると、どんな状況でも投票に向かう特定団体の1票の価値は、非常に重みを持つ事になってしまいます。『入れるに相応しい人が居ないから棄権する。』というのではなく、それで在れば『より相応しい人は誰か?』という観点から、棄権しないで投票して欲しい。」
先ず行動しなければ何も変わらないのだ。
② 高年齢で不合格
群馬大学医学部の今年度の試験で、55歳の主婦が高年齢を理由に不合格となったという。大学側に個人情報の開示を請求した所、彼女のセンター試験&2次試験の総得点は合格者の平均点を上回っていたのだとか。大学側の判断は実に理不尽極まりないと思う。高齢社会となった今、高齢者が社会に関わる機会は制限すべきではないし、何よりも学問の機会を不平等な形で奪うべきではない。
だが、そういった思いが在る一方で、実際問題彼女が医師になった時の事を考えてしまうと、どうなのだろうかという思いも僅かながら在る。医学部に入った人間が全て医師になるという訳ではないのだろうが、時には人の命を預かる事になる医師という職業。心身共に半端でない負荷が加わるこの職業に高齢な彼女が就くというのは、患者の立場からすると正直不安を覚える部分も在る。
問題医師が少なからず居る現状では、高い志と技術を持っていさえすれば、高齢で在ろうと余程医師になるには相応しいとは思っているが・・・。
③ メキシコの切手が黒人差別と批判
メキシコで先日発売された切手が波紋を呼んでいる。メキシコで1940年代から連載されている人気漫画の登場人物が図柄となった切手なのだが、その黒人少年の容姿(誇張された分厚い唇や大きく見開いた目。)等が黒人差別に繋がるものだと、黒人活動家等が猛反発しているのだ。メキシコ郵政当局の担当者は、切手は黒人を差別するものではなく、その意図も無いと説明した上で、「男の子はメキシコ文化の一部を表す、伝統的なキャラクターだ。」と主張したそうだ。この切手を販売中止にしたり、回収するつもりは全く無いとしている。
今年5月にメキシコのフォックス大統領が、「メキシコの労働者は米国で、黒人さえやりたがらない様な仕事をして、米国社会に貢献している。」と発言した事で米国の黒人社会が猛反発し、大統領が誤解を招く発言だったと謝罪した経緯が在る。だからこそ、今回の切手にも反発の声が上がったのだろうが、今回の切手の図柄に限って言えば販売中止や回収をする必要は全く無いと自分も思っている。
過剰な言葉狩りや、妙な思惑から「ちびくろサンボ」が絶版に追い込まれたりという事態(近年、復刊された事は喜ばしい限りだが。)には怒りすら覚えていたので、筋違いとも思えるクレームには断固として異を唱えるべき。クレームを付けられると事勿れ主義から、直ぐに言葉を使用禁止にしたり、絶版や修正の方向に走ってしまう日本の風土。正しい事は正しいと主張する勇気を持って欲しい。
④ 馴れ合い解説
先般放送されたジャイアンツv.s.タイガースの試合の解説は酷かった。解説そのものが酷かったという訳ではなく、解説者の星野仙一氏と田淵幸一氏の馴れ合い解説がどうかと思ったのだ。同じ様に感じていた人が他にも居た様で、新聞の番組意見欄にもこの件が載っていた。
***************************************
田淵氏: 「ジャイアンツの攻撃は本当に淡白だねえ。監督はどう思います?」
星野氏: 「確かに淡白だねえ。それに次の塁を取ろうという意識が無さ過ぎる。チーフもそれを感じない?」
田淵氏: 「監督は無気力プレイには厳しかったからねえ。でも、その監督の厳しさが今のタイガースを作ったんだけどね。」
星野氏: 「チーフも良く頑張ってくれたからねえ。」
田淵氏: 「昨夜も監督と飲んだんだけど、その頃の話になったんだよ。」等々
***************************************
星野氏がタイガースの監督だった際、田淵氏がチーフ打撃コーチだったという事でこの呼称で呼び合っているのだろうが、解説の場では純粋に解説者としてコメントし合うべきではなかろうか?身内ネタでしか盛り上げられない御粗末な御笑いタレントの遣り取りじゃ在るまいし、公共の電波を使って馴れ合い解説はどうかと思う。
後輩の前では威張り散らしていると言われる中途半端なタレントが、志村けん等の大御所の前では米搗飛蝗の如く平身低頭し、「師匠、師匠」と連呼している姿。彼にとっては師匠なのかもしれないが、見ている側にとっては身内意識をアピールしている様でどうにも鼻に付いてしまう。それと同じ匂いを感じてしまう酷い馴れ合い解説だった。
7月3日に投開票された東京都議選は、民主党が大幅に議席を増やし都議会第2党となった。自民党は議席数を3つ減らしたものの、国政の場で共に与党を構成している公明党が全23議席の当選を決めた為、結果的には民主党以外の野党の惨敗という事になろうか。
それにしても公明党、もっとハッキリ言えば創価学会の集票マシーンぶりは凄まじいものが在る。どんな宗教を信じようがそれは個々人の勝手だが、与野党を問わず多くの議員達が創価学会の顔色を窺いながら言動している現状は、どう考えてもまともな状況だとは思えない。政治家たるものは国民の為に是々非々を明確に主張する存在で在って、特定団体の代弁者で在ってはならない。
以前書いたかもしれないが、選挙報道では御馴染みの福岡政行教授(白鴎大学)が嘗て面白い発言をしていた。
「『自分が一票を投じたからといって、世の中何も変わらない。』と棄権する人が少なからず居ます。でも、考えて欲しいのです。仮に投票率が50%だった場合1票の価値は2票分に、33.3%の場合は3票分の価値に相応します。こうなると、どんな状況でも投票に向かう特定団体の1票の価値は、非常に重みを持つ事になってしまいます。『入れるに相応しい人が居ないから棄権する。』というのではなく、それで在れば『より相応しい人は誰か?』という観点から、棄権しないで投票して欲しい。」
先ず行動しなければ何も変わらないのだ。
② 高年齢で不合格
群馬大学医学部の今年度の試験で、55歳の主婦が高年齢を理由に不合格となったという。大学側に個人情報の開示を請求した所、彼女のセンター試験&2次試験の総得点は合格者の平均点を上回っていたのだとか。大学側の判断は実に理不尽極まりないと思う。高齢社会となった今、高齢者が社会に関わる機会は制限すべきではないし、何よりも学問の機会を不平等な形で奪うべきではない。
だが、そういった思いが在る一方で、実際問題彼女が医師になった時の事を考えてしまうと、どうなのだろうかという思いも僅かながら在る。医学部に入った人間が全て医師になるという訳ではないのだろうが、時には人の命を預かる事になる医師という職業。心身共に半端でない負荷が加わるこの職業に高齢な彼女が就くというのは、患者の立場からすると正直不安を覚える部分も在る。
問題医師が少なからず居る現状では、高い志と技術を持っていさえすれば、高齢で在ろうと余程医師になるには相応しいとは思っているが・・・。
③ メキシコの切手が黒人差別と批判
メキシコで先日発売された切手が波紋を呼んでいる。メキシコで1940年代から連載されている人気漫画の登場人物が図柄となった切手なのだが、その黒人少年の容姿(誇張された分厚い唇や大きく見開いた目。)等が黒人差別に繋がるものだと、黒人活動家等が猛反発しているのだ。メキシコ郵政当局の担当者は、切手は黒人を差別するものではなく、その意図も無いと説明した上で、「男の子はメキシコ文化の一部を表す、伝統的なキャラクターだ。」と主張したそうだ。この切手を販売中止にしたり、回収するつもりは全く無いとしている。
今年5月にメキシコのフォックス大統領が、「メキシコの労働者は米国で、黒人さえやりたがらない様な仕事をして、米国社会に貢献している。」と発言した事で米国の黒人社会が猛反発し、大統領が誤解を招く発言だったと謝罪した経緯が在る。だからこそ、今回の切手にも反発の声が上がったのだろうが、今回の切手の図柄に限って言えば販売中止や回収をする必要は全く無いと自分も思っている。
過剰な言葉狩りや、妙な思惑から「ちびくろサンボ」が絶版に追い込まれたりという事態(近年、復刊された事は喜ばしい限りだが。)には怒りすら覚えていたので、筋違いとも思えるクレームには断固として異を唱えるべき。クレームを付けられると事勿れ主義から、直ぐに言葉を使用禁止にしたり、絶版や修正の方向に走ってしまう日本の風土。正しい事は正しいと主張する勇気を持って欲しい。
④ 馴れ合い解説
先般放送されたジャイアンツv.s.タイガースの試合の解説は酷かった。解説そのものが酷かったという訳ではなく、解説者の星野仙一氏と田淵幸一氏の馴れ合い解説がどうかと思ったのだ。同じ様に感じていた人が他にも居た様で、新聞の番組意見欄にもこの件が載っていた。
***************************************
田淵氏: 「ジャイアンツの攻撃は本当に淡白だねえ。監督はどう思います?」
星野氏: 「確かに淡白だねえ。それに次の塁を取ろうという意識が無さ過ぎる。チーフもそれを感じない?」
田淵氏: 「監督は無気力プレイには厳しかったからねえ。でも、その監督の厳しさが今のタイガースを作ったんだけどね。」
星野氏: 「チーフも良く頑張ってくれたからねえ。」
田淵氏: 「昨夜も監督と飲んだんだけど、その頃の話になったんだよ。」等々
***************************************
星野氏がタイガースの監督だった際、田淵氏がチーフ打撃コーチだったという事でこの呼称で呼び合っているのだろうが、解説の場では純粋に解説者としてコメントし合うべきではなかろうか?身内ネタでしか盛り上げられない御粗末な御笑いタレントの遣り取りじゃ在るまいし、公共の電波を使って馴れ合い解説はどうかと思う。
後輩の前では威張り散らしていると言われる中途半端なタレントが、志村けん等の大御所の前では米搗飛蝗の如く平身低頭し、「師匠、師匠」と連呼している姿。彼にとっては師匠なのかもしれないが、見ている側にとっては身内意識をアピールしている様でどうにも鼻に付いてしまう。それと同じ匂いを感じてしまう酷い馴れ合い解説だった。
giants-55さんの 「実に理不尽極まりない」「学問の機会を不平等な形で奪うべきではない」 というご感想,まったくもって正論だと思います.
が...
医者一人養成するのに,国費1億円がかかるとよく言われます.55歳で医学生に,そして61歳でめでたく医者になったとして,1億円に見合うだけの活躍がその後何年できるのか,という大学側の邪念が働いたとしても私はそのことを非難する気はありません.女子学生をたくさん入学させても,結婚を機に地域を離れたり,「お医者さん,やーめた」となったりする例が少なくないからです.
それでも,全ての医者が臨床医となるワケではありませんし,研究者として輝かしい業績を挙げるかもしれません.体力云々は問題視する必要はないハズです.面接を含む2次試験をパスした上での不合格はあまりにも不明朗で,大学側は世のそしりを免れないでしょうね.ハネた理由をもっと明確にするべきです.
弊ブログに感想などをちょこっと書いてみました.
宜しかったら御書評などを頂ければ幸甚です.
あ、カキコサンクスです!リンク先見ました。なつかしかったです!ありがとうございました。あと、ご指摘サンクスです。岡崎友紀モノってケッコウ作られましたからゴチャゴチャになっちゃいました。あははは。
民主の躍進はすごいですが、期待料込みかなという気もします。正念場はこれからですね。。
もしどうしても投票したい人がなければ「棄権」と書いて投票すればとさえ思います。
すると「投票率90%のうち、半分以上棄権の無効票の選挙」が意味を持つかも知れません。
政治家が「投票率向上」といっても実は行って欲しくないのだから(特に固定票が多い人)、こういう方法は如何?
「衆議院は全国区1つ、定数なし。10万票取った人が当選」
候補者が必死で選挙に行くよう、死力を尽くしますよ。
ウチの知事選の投票率が「サトウエリコ嬢を使っての必死のPR」で、33.33%だったので、つい考えてしまいました。
>身内
テレビで先輩のお笑いさんに「○○師匠は?」と呼びかける若手お笑いさん、いつもおかしいと思っています。
まさか呼び捨てに出来ませんから(年長者ですしね)「○○さん」が正しいと思いますが、如何でしょうか?
記事を見る限りでは私も差別だとは思いません。今回のは過剰反応ではないでしょうか。
その一方、こうした“過剰反応”が起こることはアメリカにおける黒人差別が「歴史」ではなく「現在進行形」であることを如実に表しているとも思います。
未だに「黒人が引っ越してくると地価が下がり白人は居なくなる」そうですから。
行き過ぎた、『言葉狩り』は到底容認できません。しかしこうした問題は「使う人間がどんな意味で使ったか」ではなく「受け取った人間がどんな風に受けとめたか」で判断する原則だそうです。
つまりその言葉を使った人間の“意図”に関わらず、受け取った人が“差別”と感じればそれは差別だそうです。
インディアンも「インドの人」というアメリカ先住民には明らかにとんちんかんな名称。知的障害者の人々を指す言葉だった「精神薄弱者」。特に後者は今日全く使われません。
使う方が特に違和感なく使用していても名指しされた人々が不快に思い深く傷つけば一定の(行き過ぎでない範囲の)配慮は必要不可欠のようです。
今回の筋違いのクレームの背景。それにはアメリカにおける「黒人差別」が過去のものではないことも考えるべきではないでしょうか。
ただ日本の“圧倒的多数派”に属している私たちに差別された人間の苦しみ、悲しみ、憤りを真に理解することは不可能でしょう。
ですがそうした“問題”があり、また日本も他人事ではない(北海道の先住民の土地を奪い、差別してきた)歴史があることを最低限「知識」としては知っておくべきではないかと私は思います。
差別問題って非常にセンシティヴで難しい問題ですね。以前、日本の政治家だったと思いますが「日本の様な単一民族国家は・・・」とやって、アイヌや沖縄の人々が激昂したというニュースが在りました。これ等も彼の地に居住した事の無い自分からすると、最初は「何でそこ迄怒るんだろう?」という気持ちが正直在りました。でも、彼等が背負って来た歴史を考えると、自分達及び祖先の存在をも否定された様な、民族としての尊厳を傷付けられた発言なんですよね。それを思うと、怒って当然だろうなあと後から思いました。
同和問題等も同じですよね。どうしても関東圏に在住していると、そういう観点が抜け落ちがちなのですが、差別した側は直ぐに忘れても、された側はずっと忘れないというのは仕方ない事かもしれません。だから、彼等が”常識的な範囲で”差別と感じる表現に関しては使用を制限されてしまうのは仕方ないでしょう。
唯、昨今の言葉狩りは明らかに行き過ぎだと思うんです。差別云々というよりも、「クレームを付ける事で、何がしかの利益を得よう。」という目論見が露骨に見えてしまうものが多くて。
あくまでも個人的な見解ですが、仮に自分がその様な立場になったとしても、「片手落ち」という表現等に不快感を持たないと思うんです。まあ、あくまでもそうなってみないと実際は判らないという部分も在りますが・・・。
古くから使われ、日本語の表現として確立されて来たモノが、差別云々で須らく使えなくなってしまうのは、文化を否定する事にも繋がってしまうと思います。(明らかに問題在る表現は論外ですが。)
中国を見ればわかりますが、善悪は別として決してわかりあえない二者というのは存在すると思います。メキシコの件は微妙~。。
都議選の結果は予想通りの結果となりました。
地方議会まで2大政党化への道を歩んでいる事が顕著になってきました。
私も投票には行きましたが投票率は相変わらず停滞気味です。
仰るとおり公明党候補の全員当選は当然の如くクリアされました。
私もgiants-55様同様毎回の事ながら公明党の集票力と票読みの正確さには空恐ろしさを感じました。
特定の宗教団体がメインの収容マシーンである政党が政権与党の座にいることに疑問を感じている1人として
頭の中で色々事を考えている日々です。
投票率の向上については難しい物ですね…。
「私が投票しても変わらない」
と言う意識を変えていく事は永遠のジレンマかもしれません。
一人一人の意識が変わらない限り変わらない訳ですし…。
難しいものですね。