今日は、芸能界に関する話を2つ。
1つは「オセロの中島知子さんを巡るトラブル」に付いてなのだが、と言って彼女自身に関してでは無く、「彼女が凄く心配。」等とインタヴューで答える芸能人が次々に登場している事に付いて。勿論、真剣に中島さんの身を案じている者も少なくは無いと思うが、中には「中島さんと、本当に接点が在ったの?」と首を捻ってしまう様な人が居たりもする。言葉は悪いが、「人の不幸に乗じて、自己アピールをしているだけではないか?」と感じてしまうケースも。
又、様々な問題が指摘されている宗教団体に所属し、“同業者”に対して執拗に勧誘を行っていると報じられた事も在る某芸能人達が、中島さんに対して「本当に心配で、助けて上げたい。」的な発言をしていたのには唖然。熱に浮かされた様に“教祖様”を褒め称えたり、嫌がる相手に対して執拗に勧誘を迫るというのは、自身が洗脳されているという事ではないのか?「洗脳された中島さんを心配する以前に自身、そして自身が洗脳した他者に思いを馳せるべきではないか?」と思う。(人の不安に付け込んで大金を得ている様な女占い師が、中島さんに“巣食う”霊能者に付いて、「詐欺商法だ!」批判していたのも笑止千万。)「目糞鼻糞を笑う」とは、正に此の事か。
そして、もう1つは「西城秀樹氏の現状」に付いて。昨年暮れに2度目の脳梗塞に見舞われた西城氏だが、一昨日、久し振りにTV画面で其の姿を拝見した。ゆっくり乍らも話す事に不自由さを感じられなかったのにはホッとするも、右半身麻痺の後遺症を患っているという事で、杖を突いてゆっくりと歩いている姿は可成りショックだった。3年前の記事でも書いた様に、西城氏と言えば「躍動感溢れるスポーツ万能者」というイメージが強かったので。長嶋茂雄氏が脳梗塞に見舞われ、後遺症が残った姿を見せられた時もショックだったが、年齢面も含めて西城氏の方が更にショックだった。
右手と右足が不自由となり、一時は前に歩く事が出来なかったと言う。必死にリハビリを行った結果、杖を突いてならば普通に歩ける迄に回復。「(杖を突いて歩く)こういう姿を見せる事は、僕の使命なのかな。脳梗塞の後遺症と闘う人の為になれば。」とインタヴューで答えたそうだが、再び躍動感溢れる姿を見せて欲しい。頑張れ、秀樹!
意識しないで使っていましたが、「『狂信』いう言葉が、宗教から派生した。」とは「成る程。」と思わされました。我が国では「宗教=胡散臭い」というイメージを持つ人が結構居ると思われますが、生活の中に宗教が溶け込んでいるとも言われる海外では、「無宗教を口にする日本人って、本当に不思議。」と思う様ですね。
「特定の宗教を信じる事自体を、他者が否定する。」というのは、「鯨を食べるなんて野蛮なので、止めなさい!」と海外の人から強いられるのと同じで、其れはどうかと思う。だからどんな宗教を信じようと、其れは“原則的に”個人の自由。問題は「原則的に」と記した様に、己が信じる宗教を他者に無理強いしたり、其の宗教を隠れ蓑にして他者から金銭等を巻き上げるという行為が在れば、其れは絶対に許されない。
閑話休題。宗教に批判的か適度に距離を置いて冷静に見ることの出来る者からすれば、今回giants-55さんが指摘されるように、目糞が鼻糞を嗤う現象でしょうが、それは岡目八目というもの。
宗教に嵌って盲目状態にある人達にとっては、自分たちこそ冷静正常であって、それ以外を信じる者たち(無神論者も含めて)は無知か、誰かに洗脳されていると見えてしまうのでしょうね。
そうでなければ自らが信じる宗教のために、文字通り命を懸けることなどしないでしょう。「狂信」とは宗教から派生した言葉です。