黒澤明監督が手掛けた作品の「影武者」。この映画で当初主役を演じる予定だった勝新太郎氏と、彼の降板を受けて主役を演じた仲代達矢氏に、奇しくも纏わる逸話が在る。人伝に聞いた話なので、もしかしたら事実では無いかもしれないが、「演じるとは何か?」という役者論が垣間見られて興味深い。
「食する物が無く、今にも空腹で死にそうな人間」を演じるとする。仲代氏は「実際に満腹状態で在ったとして、空腹で死にそうな人間の様に見せるのが役者。」、方や勝氏は「実際に極限状態迄絶食し、その状態で空腹で死にそうな人間を演じるのが役者。」と語ったのだとか。実際に彼等がそう語ったのかどうかは別にしても、彼等の役者スタイルが感じられる話だ。どちらが正しくて、どちらが誤っているという筋合いの話ではないが、個人的には仲代氏の話に共感を覚える。
演じるというのは非常に大変な作業だと思う。不器用な自分には到底出来ない事なのだが、とは言え役者の演技を見ていると、「この役者って本当に上手いなあ。」とか「何て大根役者なんだ。」と思ってしまう事が多々在る。でも、中には「大根役者では無いんだけど、だからと言って演技が上手いとも思えないし、何か微妙な存在だなあ。」と感じてしまう、言わばボーダーライン上の役者も居る。ファンの方には本当に申し訳無い限りなのだが、自分にとってそんな役者の1人が水谷豊氏。
彼の演技力を高く評価する声が在るのは知っているが、どうにもあの”演じている”という雰囲気がビンビン伝わって来る所が、自分の中では彼をボーダーラインの役者たらしめている。台詞の言い回しも然る事ながら、青木さやかレベルと迄は言わないものの、ややオーバーな表情や動作によって、演じているという事実が前面に出てしまっている様な気がする。そう思わせる事も計算済みでの演技で在れば、それはそれで凄い役者だと思うが、本当の所はどうなのだろうか。
水谷豊氏はさておき、「この人こそが、自分の中ではボーダーライン上の役者。」という方を皆様に聞いてみたい所。
「食する物が無く、今にも空腹で死にそうな人間」を演じるとする。仲代氏は「実際に満腹状態で在ったとして、空腹で死にそうな人間の様に見せるのが役者。」、方や勝氏は「実際に極限状態迄絶食し、その状態で空腹で死にそうな人間を演じるのが役者。」と語ったのだとか。実際に彼等がそう語ったのかどうかは別にしても、彼等の役者スタイルが感じられる話だ。どちらが正しくて、どちらが誤っているという筋合いの話ではないが、個人的には仲代氏の話に共感を覚える。
演じるというのは非常に大変な作業だと思う。不器用な自分には到底出来ない事なのだが、とは言え役者の演技を見ていると、「この役者って本当に上手いなあ。」とか「何て大根役者なんだ。」と思ってしまう事が多々在る。でも、中には「大根役者では無いんだけど、だからと言って演技が上手いとも思えないし、何か微妙な存在だなあ。」と感じてしまう、言わばボーダーライン上の役者も居る。ファンの方には本当に申し訳無い限りなのだが、自分にとってそんな役者の1人が水谷豊氏。
彼の演技力を高く評価する声が在るのは知っているが、どうにもあの”演じている”という雰囲気がビンビン伝わって来る所が、自分の中では彼をボーダーラインの役者たらしめている。台詞の言い回しも然る事ながら、青木さやかレベルと迄は言わないものの、ややオーバーな表情や動作によって、演じているという事実が前面に出てしまっている様な気がする。そう思わせる事も計算済みでの演技で在れば、それはそれで凄い役者だと思うが、本当の所はどうなのだろうか。
水谷豊氏はさておき、「この人こそが、自分の中ではボーダーライン上の役者。」という方を皆様に聞いてみたい所。
メソッド芝居をマルチェロ・マストロヤンニ氏が批判したと耳にしたことがあります、“実体験しなければ演じられないなんて・・我々には想像力(創造力?)がある”
役者さんによって芝居へのアプローチも違いますが、
実際の水谷豊さんや本田博太郎さんが、とってもシャイな方で、底抜けに明るい役が、ほとんど演技だったと知った時の衝撃は大きいものがありました(笑)
“台本に書かれた別の人格だから演じられる”
僕のボーダーライン上の方は、高峰三枝子さんです。大好きな女優さんです。京塚昌子さんもそうですが、台詞がつまったり、たどたどしいけれど、それが真に迫ってみえます。現実の会話は流暢ではありませんからネ。
映画「犬神家の一族」で、戦死したと思った息子と再会するシーン、“よく、まぁ無事で・・”あの高峰さんには(芝居をしてます)って匂いは感じられませんでした。
その作品、場面に適しているかが分かれ道ですネ。
コメントと倉田保昭さんの情報を有り難うございました〆
今は、若手できれいな役者さんやかっこいい俳優さんが多いですが、どうも大根役者っぽい人が多いような気がします。
とても演技しているように見えないのだけど、ある瞬間その場にぴたっとハマって見える時があったりします。
微妙な存在と言えば、木村拓也ですかねぇ。後のスマップの面々はボーダー未満ですね。
去年の大河ドラマで、タッキーの演技力がアレコレ言われてましたが、私は主役を張れる人は、華さえあれば演技力は二の次でかまわないと思っています(もちろん両方あるに越したことないですが)。だから逆に脇を「固める」はずの人たちの演技がすごく気になる。去年は正直タッキーよりナンチャンに目が釘付けでした(笑)
ナンチャンは役者じゃないんだから良いとして。
私は昔から大竹しのぶさんが「演技派」とされてることが疑問です。大根とまでは思いませんが、臆面なく大袈裟に演じられるだけのこと、みたいな気がするんです。それも演技力だ!と言われると返す言葉もないんですが、彼女の演じる姿を見ても「大竹しのぶやな~」とは思うものの、役柄はいっさい印象に残りません。それはそれですごいことなのかもしれませんが・・・・
好きな俳優とは言え違う観点から捉えたいという気持ちはありますし、盲目的に大絶賛するのは嫌ですからね。
私の場合は水谷さんを好きになってから日が浅いのでそんなには語れませんが、「刑事貴族」で初めて水谷さんを知ってから、「相棒」で改めて水谷さんの芝居を拝見した時にそのイメージの違いに驚き、「キャラクターに合わせた柔軟な芝居が上手い人だな」と思ったものです(今でも思っていますが)。
ただ好きな人の判断と、中立の立場の人との判断とでは、やはり見える物の違いは否めませんね。私の場合、好きであるが故にひいきの引き倒しをしている部分があるのかも知れません。
次に放送される「相棒」を観る時は、できるだけ好き嫌いを抜きにして水谷さんの芝居に注目してみようと思います(私のような素人の目でどれだけ役者の芝居の巧拙が判るのかはともかく)。
「ボーダーライン」については私自身、役者の芝居を見分けられるほどの眼力がないのでコメントを控えます。申し訳ありません。
ただ「ボーダーライン上の役者は誰か」という趣旨に基づいたgiants-55さんの記事は、切り口といい内容といい、とても興味深いものがありました。
私自身、ドラマや舞台が好きなので、giants-55さんの文章を、これから役者の芝居の巧拙を見分ける上での参考のひとつにさせて下さい。
タッキーの演技力って、「義経」が始まった頃から比べると格段と上達している気がします。特に、先日の「里見八犬伝」での立ち居振る舞いは褒めて上げられるレベルだったと自分は思います。
脇役の方は別として、主役を張る役者は華”も”必要ですよね。誰しも最初は未熟なもの。華が在って、場数を踏んで行く中で演技力も磨き上げて行くというのは在りでしょう。
ナンチャンの存在、確かに気になりましたね。でも、それ以上に、今年の大河ドラマ「功名が辻」にて蜂須賀小六役を演じておられるプロレスラーの高山善廣氏は気になります。講談等では野盗(山賊)の出の様に描かれる事が多い蜂須賀小六ですので(実際には違う様ですが。)、そういったイメージから彼を抜擢した部分は在るのかと思います。でも、一寸演技が御粗末な気が(^o^;;;。
大竹しのぶさんがボーダーライン上の役者さんですか。面白い着眼点だと思います。確かに、過剰な演技とも言えますね。唯、まなぶ様が上記されておられますが、水谷豊氏は普段はかなりシャイで寡黙な方なのに、ドラマ等では明るい役を多く演じておられるギャップ。大竹しのぶさんも、普段はかなり早口でポンポン物を言われる人だと聞いた事も在りますので、その意味では水谷氏と同じく、常に演じているという凄さが在るのかもしれないですね。
「常盤貴子はどんな役をやっても常盤貴子であり(下手という意味でなく)、深津絵里は深津絵里ではなくなる」と思って見ていました。
前者は自分の個性に役を引き寄せてその個性を引き立たせながら演技し、後者は自分の個性は生かしながらも自分から役柄の方へ歩み寄って演じているように感じたのです。
どちらがいいということではなく、そのスタイル自体が役者の個性でもあると思うのですが、特に昔の役者さんで主役クラスをはる人というのは前者タイプの人が多かったような気がしますね。
私はどちらも好きですが。
なんだかお題とずれてしまって申し訳ありません(^^;
また見てみたいドラマでもあるなぁ。個人的にだが、彼の癖は、なんかひきつけるところがあるよ。熱中時代しかり・・。