東京新聞の読者投稿欄「発言 読者とともに」。2月22日(朝刊)には、東京都在住の68歳男性が、「反省のない政府に憤り」というタイトルで投稿されている。
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「反省のない政府に憤り」(T.H. 68歳)
昨年12月、母(93歳)の元に厚生労働省から戦没者遺骨のDNA鑑定についての手紙が届いた。インドネシア沖の沈没船から収集した遺骨で、まさに祖父が乗っていた船だった。身元を特定するため鑑定申請を求める旨が記されていた。
直系男子のDNAが必要ということで、母の弟(80歳)の検体を提供し、判定を待っている。戦争に行って亡くなった軍人の場合、何十年もかけて遺骨を丁寧に調査していることを知り、改めて驚いた。
一方で、民間人は疎かにされている。辺野古の新基地建設で埋め立てに使う土砂を、戦没者の遺骨が交じる沖縄本島南部から採取する計画という。ともに国のせいで亡くなったのに扱い方が違いすぎる。いまだに“靖国の精神”が脈々と受け継がれている。戦争への反省のない政府に憤りを感じる。
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「自国の為に犠牲となった方々の遺骨を、終戦から何年経とうが収集し続ける。」という国のスタンスは、とても良い事だと思う。でも、「軍人>民間人」という“優先思考”が国に在るのだとしたら、其れは問題だ。
終戦の日になると、所謂“保守派”と称される政治家が、ぞろぞろと“徒党を組んで”靖国神社に詣でる姿が報じられる。戦没者を悼む事は決して悪く無いが、では「彼等の中で一体何れだけの人間が、千鳥ケ淵戦没者墓苑“にも”詣でているのだろうか?」と、良く思う。
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靖国神社:明治維新以後の国家の為に殉難した人の英霊(主に日本の軍人、軍属等)を、主な祭神として祀る神社。
千鳥ケ淵戦没者墓苑:日中戦争及び大東亜戦争/太平洋戦争の折に、国外で死亡した日本の軍人、軍属、民間人の遺骨の内、身元不明や引き取り手の無い遺骨を安置する施設。
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以前にも何度か書いた事だけれど、「本当に戦没者を悼む気持ちが在るのならば“何時”、“何処”ででも悼める訳で、『終戦の日に、靖国神社に詣でなければいけない。』という事では無い筈。終戦の日に靖国神社に詣でるにしても、個人ですれば良いのに、ぞろぞろと徒党を組んでというのは、“保守層の票を得たいが為の示威行為”に過ぎない。」と、自分は考えている。
で、終戦の日に靖国神社にぞろぞろと徒党を組んで詣でる政治家の姿は毎年見掛けるけれど、同時に千鳥ケ淵戦没者墓苑“にも”詣でる政治家というのは、全く存在しない訳では無いけれど、自分が知る限り皆無に等しい様に思う。「靖国神社よりはマス・メディアが取り上げてくれないから、行っても無意味。」というのが理由ならば、とても非礼な事。
又、軍人や軍属が安置されていない訳では無いけれど、千鳥ケ淵戦没者墓苑と言えば“民間人の遺骨が安置されている場所”という感じで在るのに対し、靖国神社は“軍人や軍属の英霊が祀られた場所”という位置付け。だからこそ、「軍人や軍属の英霊が祀られているから詣でるけれど、千鳥ケ淵戦没者墓苑は民間人が対象だから、詣でる必要が無い。」と考えているならば更に非礼で在り、そういう考えこそが「『軍人>民間人』という国の優先思考の根幹」を成している様に思う。