理解力に劣る自分だが、池上彰氏の解説は非常に判り易い。小難しい言葉をグダグダと並べ立てるのでは無く、理解し易い言葉をチョイスした上で、端的に説明してくれるのが良い。
彼が著した本を読む機会も多く、先達ては「知らないと恥をかく世界の大問題3」と「池上彰の講義の時間 高校生からわかる原子力」を読了。何方も読み易い内容。
「知らないと恥をかく世界の大問題3」で思わずニヤッとしてしまったのは、「料理の美味くない国は、戦争が強い様に感じる。」という彼の持論。「確かに、そんな傾向は在りそう。」と思う一方で、「そうなると、中国は戦争が弱いという事になるのだけれど。」という彼の“惚け”にニヤッとしてしまったのだ。
「池上彰の講義の時間 高校生からわかる原子力」の第1講「爆弾に使われた原子力」では、原子爆弾が作り出される迄の経緯(歴史)が記されている。原子爆弾の研究開始時期に関しては日米に然程差が無かったが、終戦間近の段階では大きな差が付いていたのだとか。「『国家プロジェクト』として、国家を挙げて人材や金銭を惜しげも無く投入したアメリカ。」に対し、「海軍と陸軍が別々に研究をする等、セクショナリズムの弊害が在った日本。」というのも大差が付いた要因だが、「戦略的な面」でも大きな違いが在ったと池上氏は指摘している。
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国家プロジェクトとなると、人材と金を惜しげもなく注ぎ込む。「NASA」(航空宇宙局)による宇宙開発でもそうでしたが、いかにもアメリカらしいやりかたです。
これは戦争でも同じで、いったん戦略を立てると、大量の人員と物資をいっぺんに送り込み、戦場を制圧。敵を叩きつぶすというやり方をとります。ちょっと予算をつけてやってみて、うまくゆきそうなら、さらに予算を増やそうという「逐次投入」という方式を好む日本とは好対照です。
たとえば第二次世界大戦中の日本軍は、米軍に占領された南太平洋の島を攻略する際、千人単位の兵士を少しずつ送り込み、次々に全滅していくという道をたどったケースもありました。
第二次世界大戦で、日本はアメリカの物量作戦に負けたとよくいわれますが、負けたの物量ではなく、そもそも戦略の問題だったのです。
その体質は、戦後も続きます。東京電力福島第一原子力発電所の事故の際にも、原子炉を冷やすため、自衛隊のヘリコプターで上空から水を投下し、効果がないとわかると警視庁機動隊の放水車を投入。水が届かないとわかると、東京消防庁のポンプ車を派遣・・・という要員の「逐次投入」を繰り返しました。現場の人たちは決死の思いで任務を遂行しましたが、戦争中と、発想がまったく変わっていなかったのです。
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投入出来る人員や予算の規模が日米では大きな差が在ったと思うので、「『逐次投入』が、効率的な戦略。」と日本軍が考えていた可能性“も”在るとは思う。唯、「逐次投入を好むという日本の体質」が東京電力福島第一原子力発電所の事故を最悪化してしまったという指摘は、結構的を射ているかもしれない。